stylishな暮らしと美しい画像が印象的なあるブログを 先日から読んでます
そこで今日 こんなentryを見てしまいました
「修行僧の集団(10人ぐらい)がうお~と叫びながら、
一軒一軒のお宅の前で手を合わせて祈っていました!
引っ越してきたばかりの頃は外から聞こえる男性の叫び声に驚き、
家の前で手を合わせるお坊さんに何かお礼をしなくてはいけないのかな?
とオロオロしちゃったんですけど、ご近所のみなさんは誰も外に出て来ないので
何だか解らないけど、ほっとくことにしました(^^ゞ 」
あぁ もったいないなー .. って 想いました
ほっとくのはその人の勝手だけど
私なら小銭掻き集めてでも お布施させていただくのに .....
この方は 托鉢や布施の意味や 当然 功徳も知らなかったのでしょう
親御さんに教わることも 知識として触れることもなかったのかしら
こんなに情報が溢れている世の中にあって とても不思議な気持ちがするけど
そんなものなのでしょうか
そして まだ続きがありました
Comment欄のguestとのやりとりです
「うちの方にも、お坊さん来ましたョ。。。
お布施をあげた事あります。。。
あの声、ビックリしますね。。。」
「え!お宅にもお坊さんが来るんですか?
やっぱりお布施をあげた方がご利益あるのかなぁ・・・(笑)」
これを読んで私は ある日の事を想い出しました
お寺で護摩供の順番を待っていたときです
お堂の中にある受付に
ひとりの女性が来ました
そして受付の和尚様に発した言葉は
「えっ!? ○○円も取るんですか?
外には300円って書いてありますよね ?」
というものでした
よくあることなのでしょうか 和尚様は顔色ひとつ変えずに
外の張り紙の300円は 護摩木にお願い事を書いて後に祈祷してもらうもの
此処は個人個人 護摩供修行をして頂くもの
そんな風な説明をされていたと思います
そしたらその女性 一度 開きかけたVuittonの財布をバックに押し込みながら ムカついた表情で
「あ .. じゃ いいです」
棄て台詞のように言って 出てってしまったのでした
その様子の一部始終を一緒に見ていた私の相棒が呟いた言葉は
「取られると思うくらいだったら 最初から来んなヨ」
ほんとその通りだと思いました (笑)
世知辛い世の中ですから それぞれ事情はあるでしょう
けれど 布施 というのは本来
あげるものでも 払うものでも 取られるものでもないわけです
布施は させていただくもの
己の修行の為に 喜捨させて頂くものなのです
だから懐が寂しくならない程度の金額を布施するのは 修行にはならないような気もします
まして神社じゃないんだから ご利益とか見返りを期待するものではないです
ブログの彼女も 護摩堂での熟女も
目の前まで 仏縁が訪れた瞬間でした
けれど それに気付かなかったのか 不必要だと想ってしまったのか
御仏は 優しく見守ってくれていたでしょうに .....
「縁なき衆生は度し難し」
もちろん法縁にドップリ浸かりながらも 度し難い(救われにくい)人もおられるでしょうけどww
それを考えると 自分の身上はつくづく有難いなぁと想います
決してお金持ちではないけれど
「貧者の一灯」は尊いのだとも お釈迦様は仰ってくださいますから(笑)
彼女達にも どうか御仏のご加護がありますように ......
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もったいない
padさんの相棒さんが呟いた言葉に異論はございませぬ
だよね もったいねぇよね?(笑)
数年前 相棒が東京へ出張に行ったとき
駅で托鉢していたお坊さまがいたんだって
地元では托鉢なんて滅多に遇わないから これはご縁だと思った相棒がお布施したらしく(たとえなんちゃって坊主だとしてもイイヤの気合でw)
そしたら そのお坊さま
素晴しい調子で心経を一巻 唱えてくださったんだって
なんちゃってどころか よほどキチンとした御僧侶だったってわけ
道行く人が不思議そうな顔をしてみていくのがとっても恥ずかしかったらしいけど
きちんと合掌して 最期まで頂いたと言ってた
それを聞いた時は正直言って悔しかったわ 私(笑)
けど 相棒も成長したなぁ ... って しみじみ有難かった
御仏は みていてくださるのね