夏休み最後の日は、思いがけず涼しかった。
朝から入ってたはずの予定が、
手帳にも書いてたのに自分の勘違いで今日ではなくて、
ポンと、予定のない空白の一日になった。
・・・ラッキー?
最近、こんな日が珍しい。
日曜日がお休みの日、という感覚が薄れてしまって久しい。
残っている仕事をしに行く日、という感覚だから、
今日のような「安息日」は、自分でも不思議だったけど、
そろそろ休む日は休まないとダメなんだな、ということも自覚できるようになってきた。
自転車がパンクしてしまってたので、近所の自転車屋さんに行くも、
なんと閉店してしまっていた。
あれれ、どうしよう・・・とネットに頼ると、
駅の反対側、少し行ったところにあることがわかった。
駅前は再開発で、最近どんどん様子が変わってきている。
一ヶ月ひと昔、ぐらいな勢いだ。
駅の反対側に、暮らしていたことがある。
おんなじ駅エリアで引っ越しをして、今、暮らしている場所にいる。
今の場所は住宅街だけど、
駅の反対側は昔は結構怪し気なところで、
客引きのお兄さんが夕方になるとうろうろしているようなところだった。
私は女性だから関係なかったけど。
安い、という理由だけでそこに暮らしていたのは、もう10年以上も前のことだ。
普段、用事がない場所だったのもあるけど、
なんとなく駅の反対側に行くことは避けていた。
20代の頃はそれなりに苦労した。
なんだかいろいろを思い出すからかもしれないな。
引っ越しの日、不動産屋のご夫婦が、
お餞別のように、近くの中華料理屋さんでお昼をごちそうしてくださった。
そこも相当怪しい不動産屋さんだったけど、
田舎から出てきて苦労していた私には、とても親切に接してくださった。
駅の反対側を、10年以上ぶりに歩いた。パンクした自転車を引き摺って。
なんだか、今のダメな自分を引き摺って「帰ってきた」みたいな気もした。
お世話になった不動産屋は今でも営業しているようだった。
物があふれて、怪しさが増していた。
昔はひしめくようにあった風俗店的な怪しいお店は、
再開発のせいか一掃されていた。わずかにスナックやカラオケ店が残っている。
代わりに綺麗な美容院や飲食店ができていた。道も広くなってた。
とはいえ、昔住んでたマンション付近はそんなに変わっていなかった。
商店街のような雰囲気も変わらず、個々の店はそれなりに営業を続けている。
住んでいたマンションを見上げる。
こんな小さな小さな部屋に、よく暮らしていたものだ。
七夕の前後に、商店街にはひらひらと道沿いに飾りが飾られる。
それが舞う夏の風景が、今も記憶に残っているけど、
それが夏の終わりの今、まだくっつけてあって、ちょっとうら寂しい感じがした。
自転車屋さんは、10年も20年もきっと変わってないんだろうなあという感じのお店だった。
わずか数分で、パンクを直してくれた。こういう街の商店はなくなってほしくないな。
それから明日からの忙しい毎日に備えて、伸びちゃった髪を切りにいくことにした。
夕飯の材料を買って、家に戻り、しばし眠った。
こんな日曜日もいいなと思った。それこそ、昔の自分に戻ったようだった。
それにしても涼しいのはいいけど、夏で、カッと暑くないのは少しさみしいもの。
夜になって、外では秋の虫さえもう鳴いている。
夏休みの間にしたかったことの7割くらいしか仕事ができていない。
夏に学校から離れていた時間は、教員になって今年が一番長かった。
友達とも母とも旅行に行けたし(同じ場所だけど・・・)。
でも良かった気がする。いろいろ考える時間ができたから。
明日からまた、洗濯機の中でぐるぐる回るような毎日なんだろうか。
10代、20代、30代の暮らしを考えてみると、でも今が一番いい。
今か、小学生の時のどちらか。
自由度が高いのがポイントだ。
昔のことを考えると、頭が痛くなる。いろいろ恥ずかしいのもあるし。
いつも、「こういう風になっていたい」とイメージし続けることは大事かもしれない。
一応、今は数年前になりたいと熱望していた職にはつけているから。
私はどうなっていたいんだろう、と、この夏はたくさん考えた。
このハードワークに心身ともに長年耐えられそうもないので、
教員を続けたいと思わないのは自分でも残念だけど、ガラス制作はしていたい。
でもそれじゃ、暮らしていけない。
実家じゃなくても、田舎にはいつか帰りたいかも、と最近は思う。
将来のイメージが、まだあやふやだ。
だからしばらく今のままなんだろう。
多くを望まなければ、好きなことをして生きていけるかもしれない、という淡い希望もある。
過去を振り返る時間があると、その先も考えてしまう。
今日は、そんな日だった。
朝から入ってたはずの予定が、
手帳にも書いてたのに自分の勘違いで今日ではなくて、
ポンと、予定のない空白の一日になった。
・・・ラッキー?
最近、こんな日が珍しい。
日曜日がお休みの日、という感覚が薄れてしまって久しい。
残っている仕事をしに行く日、という感覚だから、
今日のような「安息日」は、自分でも不思議だったけど、
そろそろ休む日は休まないとダメなんだな、ということも自覚できるようになってきた。
自転車がパンクしてしまってたので、近所の自転車屋さんに行くも、
なんと閉店してしまっていた。
あれれ、どうしよう・・・とネットに頼ると、
駅の反対側、少し行ったところにあることがわかった。
駅前は再開発で、最近どんどん様子が変わってきている。
一ヶ月ひと昔、ぐらいな勢いだ。
駅の反対側に、暮らしていたことがある。
おんなじ駅エリアで引っ越しをして、今、暮らしている場所にいる。
今の場所は住宅街だけど、
駅の反対側は昔は結構怪し気なところで、
客引きのお兄さんが夕方になるとうろうろしているようなところだった。
私は女性だから関係なかったけど。
安い、という理由だけでそこに暮らしていたのは、もう10年以上も前のことだ。
普段、用事がない場所だったのもあるけど、
なんとなく駅の反対側に行くことは避けていた。
20代の頃はそれなりに苦労した。
なんだかいろいろを思い出すからかもしれないな。
引っ越しの日、不動産屋のご夫婦が、
お餞別のように、近くの中華料理屋さんでお昼をごちそうしてくださった。
そこも相当怪しい不動産屋さんだったけど、
田舎から出てきて苦労していた私には、とても親切に接してくださった。
駅の反対側を、10年以上ぶりに歩いた。パンクした自転車を引き摺って。
なんだか、今のダメな自分を引き摺って「帰ってきた」みたいな気もした。
お世話になった不動産屋は今でも営業しているようだった。
物があふれて、怪しさが増していた。
昔はひしめくようにあった風俗店的な怪しいお店は、
再開発のせいか一掃されていた。わずかにスナックやカラオケ店が残っている。
代わりに綺麗な美容院や飲食店ができていた。道も広くなってた。
とはいえ、昔住んでたマンション付近はそんなに変わっていなかった。
商店街のような雰囲気も変わらず、個々の店はそれなりに営業を続けている。
住んでいたマンションを見上げる。
こんな小さな小さな部屋に、よく暮らしていたものだ。
七夕の前後に、商店街にはひらひらと道沿いに飾りが飾られる。
それが舞う夏の風景が、今も記憶に残っているけど、
それが夏の終わりの今、まだくっつけてあって、ちょっとうら寂しい感じがした。
自転車屋さんは、10年も20年もきっと変わってないんだろうなあという感じのお店だった。
わずか数分で、パンクを直してくれた。こういう街の商店はなくなってほしくないな。
それから明日からの忙しい毎日に備えて、伸びちゃった髪を切りにいくことにした。
夕飯の材料を買って、家に戻り、しばし眠った。
こんな日曜日もいいなと思った。それこそ、昔の自分に戻ったようだった。
それにしても涼しいのはいいけど、夏で、カッと暑くないのは少しさみしいもの。
夜になって、外では秋の虫さえもう鳴いている。
夏休みの間にしたかったことの7割くらいしか仕事ができていない。
夏に学校から離れていた時間は、教員になって今年が一番長かった。
友達とも母とも旅行に行けたし(同じ場所だけど・・・)。
でも良かった気がする。いろいろ考える時間ができたから。
明日からまた、洗濯機の中でぐるぐる回るような毎日なんだろうか。
10代、20代、30代の暮らしを考えてみると、でも今が一番いい。
今か、小学生の時のどちらか。
自由度が高いのがポイントだ。
昔のことを考えると、頭が痛くなる。いろいろ恥ずかしいのもあるし。
いつも、「こういう風になっていたい」とイメージし続けることは大事かもしれない。
一応、今は数年前になりたいと熱望していた職にはつけているから。
私はどうなっていたいんだろう、と、この夏はたくさん考えた。
このハードワークに心身ともに長年耐えられそうもないので、
教員を続けたいと思わないのは自分でも残念だけど、ガラス制作はしていたい。
でもそれじゃ、暮らしていけない。
実家じゃなくても、田舎にはいつか帰りたいかも、と最近は思う。
将来のイメージが、まだあやふやだ。
だからしばらく今のままなんだろう。
多くを望まなければ、好きなことをして生きていけるかもしれない、という淡い希望もある。
過去を振り返る時間があると、その先も考えてしまう。
今日は、そんな日だった。