しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

わからない、知らない。

2014-08-23 00:39:36 | 日記
5日間取れる夏休み、今日が最後の5日目。
朝からステンドに勤しんだ。

あとは留め金と鎖をハンダでつけ、
薬品をつけて仕上げるだけとなったサンキャッチャーだったけど、
2つ分の鎖しか工房になくて注文。2つはなんとか完成した。
今年も9月中旬に工房全員の作品の展示会があるので、
それにとりあえず出せるように。
『干支シリーズ』4点とサンキャッチャー3点を出す予定。


今日はウイークデーなので、普段会うことのない主婦メンバーの人たちと一緒になった。
といっても、展示会や打ち上げなどではお互いが常連で顔見知りなので、
「久しぶりね~!!」みたいな感じで迎えてもらった。

で、「そういえば先生達って、生徒来ないからずーっと夏休みなの??」って聞かれた。
やっぱり、不思議なんだろう。
子どもたちが学校に来てないから、仕事ないんだろうと思われてるんだなあ・・・。

いえいえ、いっぱい仕事があります!(←心の声!!)
私の場合は、作品採点、鑑賞文を読んで評価、小学校との連携授業の計画書作成、
最初の方には5教科の補習会の手伝いもあったし、美術科の補習会(7日間も!)もあった。
そうそう、部活もあった。横浜市の美術部展に向けて作品制作の指導は大変だった。
学区で夏祭りがあれば巡回に借り出されるし、夜店の手伝いの仕事もしたりもする。
9月からの授業の準備もあるし、連絡票のコメントも考えなければいけない。
私が担当している美術科としての受け持ち人数は640人超、
結構、時間が足りない。
しかし教員以外の人は、教員は楽だと思っている。ひどいなあ・・・・。
ここはしっかり言わねば!!

「いえ、教員も夏休み自体は5日間しか取れませんが、
年休を夏に消化する人が多いので、まとめて10日ほど年休もプラスして休んで、
海外に行く方もいます。私は日帰りで京都でしたけど・・・・。」

言ってて虚しくなった・・・・京都日帰り。
来年は!来年こそは!! 
・・・・チケチケとステンドやってるかもしれない・・・。




丸一日工房にいる予定だったので、お昼は近くのパン屋さんで、
アボガドと卵のサンドイッチを買って来る。
食べてからまた制作再開。アクセサリー制作、久しぶりだ。
フュージングガラスを、今回はクリアのガラスじゃないものを選んだ。
落ち着いた感じの色味が気に入った。
小さいガラス10種類くらい、2500円分ほど購入。

鮮やかな色は作っても自分が全くつけないので、
アンバーとか白とか、アッシュグリーンやブルーなど、
鮮やかでない色味にしておいた。

集中して作ったら、いつの間にやら19個も作っていた。


「そんなにたくさん作ったら、売るしかないでしょう~」
と言われて、いやー、こんなの売れないですよ!!と言ってたら、
どうやら、話しかけてきた主婦の方は11月に下北沢でスペースを借りて販売する予定だという。
一緒に出してみる?と声をかけていただいたけど、
3姉妹で作品を出す予定だというので、
全くの他人である私が入るのはなんか変だろうと思って辞退した。

しかし、売るとしたら、どういう風に値段設定するのがいいんだろうという話になった。
例えば、私が今日作っていたペンダントヘットは、
前から持ってたフュージングガラスと今日購入した2500円分のガラスを
ほんの少しずつ使って作っている。だから厳密には原価がよくわからない。

ただ、焼成費は19個で2000円を支払っているので、焼成費は1個につき105円ほど・・・。
デザインを考える、ガラスを切る、(ルーターで削る)、洗浄、接着・・・・
・・・という手間はいくらに換算されるのだろう。


今日、私がステンドを教わっている先生が作った作品がテレビで紹介された。
工房で夕方、先生とスタンバイしてテレビを観た(笑)。

麻布十番の万華鏡の専門店に先生の作品を置いてもらっているのだけど、
その作品。お店がつけた値段にびっくり。

なんと78万円!!
確かにものすごく大きい作品だし、手間も膨大にかかっているものだけど、
78万円にはかなり驚いた。

昨日、美術部の生徒と美術館鑑賞会として、東京国立近代美術館に行ってきた。

これ。「現代美術のハードコアは実は世界の宝である」展。長いわ・・・。


ここでは、作品や作者の紹介だけに留まらず、現代美術のマーケットについても言及されていて、
なんでこの絵が40億~!? みたいな話が観た後に持ち上がるような見せ方だった。
あと、コレクターって重要だろ?みたいな暗示がほうぼうに・・・。

芸術作品の金額の付け方って、正直よくわかんないよ~~。


もし自分の作品を売るならいくらにする?という話になって、
今日作ったペンダントヘットなら、うーん、1個1200~1500円の間くらいかなあと思った。
それくらいまでなら、自分だったら買ってもいいと思える値段だから。
しかし、もっと厳密に儲けやらなんやら考えなければいけないのだろうから、
商売には向かないんだろうなあと思う。


で、夕方、前からずっと行きたいと思っていた企画展、
今日、夜間開館で21時まで開いていると知って、ステンドから直接向かった
東京都現代美術館。


これ。ミッション『宇宙×芸術』。

とにかく難しい内容だったけど、美しかった。
人間臭い魅力ではなくて、光や形、動き、そのものが美しい。
美しい、というのはいろんな方向から使われる言葉だけども、
美しいという言葉を煮詰めまくって出てきた結晶のような美しさ?
・・・例えが上手くはできないけれど、とても純度が高い無機質な美しさか。


プラネタリウムでは、寝転んでみられるようになっていたので、
暗い会場に横たわってみる。
まるで自分たちがいる大地が動いているかのような不思議な体験をした。
星々が見え、オーロラ?や桜?が見えた。
小さい頃からプラネタリウムが大好きで、
高校生になっても元気がなくなると一人で見に行っていたので、
とてもとても胸が熱くなった。美しさが懐かしかった。

芸術衛星から送られて来るデータで作られている作品、というのもあった。
というか芸術衛星というものが今年の始めに打ち上げられていたなんて。
宇宙との交信みたいに、信号と光が点滅する。
私たちが日々思っていることとかちっちゃいちっちゃい!!と思ってしまう。
宇宙の法則、命・・・とにかくスケールが大きかった。
あと、くじ引きで当たったら、ロケットの部品がもらえるという企画には笑った。
なにそれ面白いじゃん!!当たりたかった!! 白い玉が出た・・・・。


それにしても芸術って範囲が広過ぎて、何が何だか。
現代美術館の展示は、美しい科学館じゃないか?って思った。
でも、「芸術家個人の内的宇宙の成長」と「本物の宇宙」の成長っていうのは、どこかでリンクしているのでは?
という解説は、何故だか説得力があった。
宇宙の構造を真似て、私たち自身が小さな宇宙だから・・・。

行って良かった。こういう展示は個人的には大好きだから。


夜間開館に行ったのは初めてだったけど、とても落ち着いて鑑賞できて良いものだった。
人も多くないし静か、みんな熱心にみている。
これからも「みたい」展覧会があったら、夜間開館時間(があるところのは)に行こうかな。



現代美術館から清澄白河駅までの道を迷わなければ、今日一日はパーフェクトだった!
来る時の道を覚えていたつもりだったんだけど。しかも何回も来てるんだけど。

わからないことや知らないことが、
こんな歳になってもあいかわらずたくさんあるんだなーと感じた一日だった。

















盆休みのスケッチ

2014-08-18 23:57:00 | 日記
盆休みが終わったということは、もう夏は終わったも同然だ。

お盆は5日間くらいは実家に帰って、小学生の頃のようなゆったりとした時間を過ごしたい。
今年はそれは叶わなかった。
教育課程の出張の終わった次の日はもう15日。
15日の早朝に新幹線に飛び乗った。京都で母と待ち合わせ。
鞍馬と貴船あたりまで京都を北上して、
貴船で川床料理をいただいて実家へ帰るというプランだった。

京都は曇りのち雨の予報。
9時半に京都駅で母と落ち合う。JR東福寺駅まで南下して京阪電車へ乗り換えて、
一路、出町柳駅へ。

一泊でもするなら、出町柳探索でもしたいところだったけど、
残念ながら日帰りなので、そのまま通過、一日乗車券(1000円)を買って叡山電車へ乗りこむ。


青々とした緑の中を進んでいく叡山電車。
今年の冬に乗った時はガラガラだったけど、さすがは観光ハイシーズン。かなり混んでた。
とはいえ、座席には普通に座ることができる程度だった。

貴船の川床料理を13時半に予約していたので、まだまだ時間がある。
叡山電車の終点、鞍馬へ。

とにかく天狗押しだった。
緑色の中にいきなり赤い天狗。
色彩対比が美しくて、母はここで撮った写真がいたく気に入った。
年賀状で使うそうだ。

この前で撮ったのね。

駅からすぐのところに鞍馬寺。
京都市内からずいぶん離れているし、高いところにいるので、
ちょっとだけ涼しかった。

静か。母が大喜びだったのが嬉しかった。

多宝塔と本殿にいくためにロープウエイ的なものがあった。往復で200円。

このロープウェイ的なものに乗る前、『ヒルに注意!』の張り紙があったのだけど、
内容がユニークだった。

『サンダル履きでこの山に登ろうという人は、ヤマビルさんたちに献血してもいいよ!
って合図を送っているようなものなので、寄ってきますよ~!!』
・・・怖い!!

しかも雨上がりのときはヒルが出やすいということで、雨が降ったりやんだりの空の下、
ビクビクしながら多宝塔付近を歩く。

多宝塔


この辺りで写真を撮ったりしていたら、時間がなくなったきた。
で、本殿まで行かずに鞍馬駅に引き返す。
ほんとのことを言うと、山道を登っていくのが私も母もちょっと怖かった。
昼なお暗く、しかもいかにも上からヒルが落ちてきそうな雰囲気だったんだもん。





風鈴が風に吹かれてちりりと鳴り、天狗のお面がたくさんかけてあり、何だか不思議な空気が漂う駅舎。
この空気感だけでも、旅の途中なんだな(日帰りだけど!)という喜びを感じさせてくれる。

一駅戻って貴船口。
ここで、川床料理のお店が送迎車を出して待っていてくれた。
と、雨・・・。川床、大丈夫か???と心配しながら貴船荘という料理屋さんへ。




わ、素敵!!ここでご飯が食べられるの!


と楽しみにしてたのだけど、残念ながら雨でここでは食べられず。。。
室内での食事となってしまった。川床料理じゃなくて、普通に『料理』じゃん・・・。
でも、貴船神社が見えるところでご飯を食べることができた。


それにしてもここの料理、尋常じゃなく美味しかった。
ぜひ、川床の風情の中で食べてみたかったなあ。来年またリベンジかな、これは。


ぼやけたけど、お品書き。母と二人分で14000円。
娘、頑張ってみたよ!(だからこそ、川床でなかったのが悔やまれる・・・。)

鮎が特にものすごく美味しかった。丸ごと食べられる。



ゆっくり母と話をしながらご飯を食べて15時。
もう一つの目的は、七夕の飾りがしてある貴船神社にお参りすること。
夜間ライトアップが綺麗、とガイドブックで読んだから。

夜間ライトアップには少し早いので、貴船付近をそぞろ歩き。
雨も降ったりやんだりだったし、貴船荘でうちわをもらったので、
うちわをパタパタさせながら夏祭り気分。

食事のあとは必ずコーヒーを飲みたくなる母なので、二人でコーヒーショップを探した。
一軒あったけれど、お客さんでいっぱい。
諦めて通り過ぎ、いろいろ歩いていたけど、やっぱりコーヒー飲みたいとのことで、
もう一度行ったら席が空いていた。

お店に入ると、
『すみません~、今日はもう閉店にしようとおもてるんよ~』と優しげな京言葉のおばあさん。
この人が店主らしい。
しかし、私たちが少し前に入り口で席が空くのを待っていて
諦めた様子だったのをみていたもう一人のお店の方が、
『さっきずっと待ってはった人らやなあ、どうぞ、お入りなさいな.』
と、最後の客として迎え入れてくださったのだった。

どうやら、閉店にはまだ早い時間なのだけど、お客が多過ぎて疲れきってしまったとのことだった。
80歳になるおばあさんとお嫁さんの二人で切り盛りしている小さなお店だ。
店主のおばあさんは私と母に興味を持ったらしく、
しかも母も話し好きなものだから、二人はなんだか意気投合し、
店主さんはいろいろ貴船の裏事情(?)を教えてくださった。


貴船神社の石段は最近新しくなったのだけど、石がツルツルで危なく、
最近も参拝客が2人ほど救急車で運ばれたこと。
夜間ライトアップを宣伝文句にしているけれど、ただライトが点いているだけで、
夜遅く来た若い女の子たちにとっては、周囲が真っ暗なのでかなり危険なこと。
少し離れているところで、川床料理の大手がやっている雑貨屋兼コーヒーショップについて。
(品揃えの意味不明さや喫茶店としては落ち着かない雰囲気で何がしたいのかわからない、
と地元では不評、とか・・・。)

地元民しか知らないような話を教えてくださった。
『スモールトーク』というお店(店名はほんとは全部漢字。当て字になってる)。


ライトアップを見に来た私たちだったけど、店主さんの言葉に従って、
夕暮れ前に参拝してきた。
確かに石段はツルツルで、雨上がりのこの日のような天気のあとはかなり危険だと思った。
店主さんと写真撮れば良かったなあ。今回の旅で、一番印象に残った。
地元の方とおしゃべりできるのが旅の醍醐味だったりする。
私一人だとここまでしゃべってくれなかったかもしれない。
人が大好きな母に感謝。

貴船神社


ちょうど私たちの行った8月15日まで、七夕飾りが飾られている。

貴船神社は水の占いで有名ということで、母が挑戦。
200円でくじを買い、ここに浸すと、文字が浮き出て来る。

母のくじは『吉』。
病気の項に『たいしたことない。すぐ治る』と書いてあった。信じる。
私は、占いって当たると思っているし、今年は2回も同じのが出てるから引かなかった。
なんとなく怖いじゃん・・・。


なんだか予想外の出来事ばかりで元々の思惑とは全然違う感じになったけれど、
母と二人、何とものんびりと楽しい旅になった。

帰りの叡山電車はたまたま新型車両で、景色が見やすいように外側に向かってシートがついていた。

車両の中に、大きな黒いトンボと糸のようにか細いトンボが二匹、紛れ込んでいた。
大きな窓の外を、じっとトンボが見つめている光景は、なんとも可笑しかった。
出町柳まで、一緒に乗ってきた。
彼らも、旅だったのかもしれない。

19時過ぎの新幹線で実家に帰った。
母と帰るなんて、なんだか幸せだった。
お風呂に入っていたら、仕事から妹が戻ってきた。
父も入れて家族4人、冬に旅行に行こうという話になった。


来年はお盆初日には実家に帰って、迎え火をしたい。
















かざみどり

2014-08-11 21:20:39 | 日記
学校の夏休みはもう半分を過ぎたけど、自分自身は一日も休みをまだとってない。
明日が夏休み初めての休み!!


今週はやっと休める・・・と思ってたら教育課程の出張がお盆ど真ん中に来るために、
いつもなら5日間ほど必ず帰省するのに、今年は2日間だけ。
来週からはいよいよ教育課程で研究発表が控えているから、今週は心が休まらない。
いろいろ学べるのはいいけど、もう来年はやらない。


今日は神奈川県の美術研究会に参加。
昨年度、やっぱり教育課程でお世話になった先生の実践発表があったので、
お礼も込めて、どちらかというと義務感で参加したけども、
内容が濃く、今後、自分が授業を組み立てていくときの改善点がたくさん見えたから、
結局、参加して良かった。


帰りながら、普段使わない電車の窓から、さびしげな風景が見えた。
横浜って、広い・・・横浜市、というのは名ばかりで、かなりの田舎っぷりだ。
うちの学校も結構そうだけど。


一生懸命働いているけど、ほんとにこれでいいのかな・・・。
という言葉がふっと心に湧く瞬間はたまにあるけど、今日は一瞬でなくて、
しばらくそのことをずっと電車に揺られながら考えていた。
不満が強いわけじゃないけど、心を比較的閉じがちで生きてるよなあと。


人生には、いろんな出会いやタイミングってものがあるらしい。
必要なときに、必要なことが起こるのかもしれない。

つい最近、ステンドグラスの工房で一緒の人から、作品を出してみない?と声をかけてもらった。

彼女は、仕事は別にあるけど、ステンドグラスアーティストとしての肩書きも持っていて、
自分でワークショップを開催したり、お店やイベントに作品を出したりしている。

彼女と工房で一緒になったときに、
「いいなー、私もどこかに作品置いてみたいなあ。
自分の作品を手に取ってくれる人がいるって何だか嬉しいよね。」
みたいな話をしていたら、
今、声をかけてもらっているところがあるんだけど、一緒に出す?と誘ってくれたのだった。

そのときには、自分の仕事のことを考えて即答ができなかったけど、
いろいろじっくり考えてみたら、やっぱり自分はそうしたいんだな、と気がついた。

周りのことや仕事のことばかりに気を取られて、自分の本心が見えなくなってた。
作品をどこかに置いてもらいたいなとは思っていたけど、
そんなまでじゃないし、どっちみち仕事あるからたくさん作れないし・・・とか、
自分の本心を否定するみたいなことばかり言っていた気がする。


でも彼女をみてたら、
自分でステンドグラスアーティストって名乗りをあげて、
どんどん知り合いを巻き込んでワークショップをしているし、
自分の作品に対して愛情と自信を持っているし。

要は自分の気持ち次第なんだなあと気がついた。
私はただ、自信がないだけなんだと。

で、ここ数日、手作り作家さんのあつまるサイトなんかを少しみたりしてた。
ステンドグラスは需要ないんじゃないかなあ・・と以前は思ってたけど、
意外に売れているみたいだった。ランプやアクセサリーは特に。
でもニッチな分野であることは間違いないみたいだった。

ランプは一つ作るのに時間がどえらいかかってしまう。
サイトでは、かなりよくできたランプが1万円台で売ってたけど、
あれだと時間単位で考えたら損になってしまうのでは・・という感じではあった。

なので、やるとしたら鏡とかアクセサリーとか小物に特化するしかない。

とりあえずやってみることにはした。とはいえ、私は忙しいことには変わりない。
しかも全く誰も手にとってくれないかもしれない。
仕事を続けながら、でも、細々と作り続けていきたい。
それだけは決めた。


で、仕事の自分は、仕事用の自分として置いておいて、
ステンドグラスをやってく自分用に名前を作りたい。
さっきの彼女も別名で活動している。彼女のは、英語でかっこいい名前。

でも私の場合は、作るものが人から『はんなりしてる』とか『ふわっとしてる』とか、
決してカッコいい感じじゃない。自分もそう思う。
それに第一、私が作るんだからカッコいいわけない!!

どんな作品が作りたいかといえば、
みてるひとがほっこりするもの、とか、優しい気持ちになれそうなもの。

鳥が好きなので、鳥の名前を使わせてもらおうといろいろネットで鳥の名前を調べてみた。
フランス語で鳥の名前、っていう案は私にはカッコ良過ぎる。
やっぱり私の場合は日本語だ。『どんごれ』って感じ(?)にしたい。
(「どんごれ」って日本語、あるのか・・・? 語感がなんか好き。)


突然だけど私、蚊取り線香ブタさんが好きである。
和室によくおいてある、あれ。

あの丸っこい形、人を和ませるとぼけた表情、
どこか懐かしい、あたたかな感じ。
ああいう雰囲気を持った感じにできないか・・・と数日間、頭の隅っこで考え続けていた。

出てきたのが『かざみどり』だった。
漢字ではなくて、ひらがなで。

ネットで「かざみどり』と検索してみたら、
飲食店やお菓子屋さん、結構あった。
『かざみどりガラス屋さん』にしたら誰ともかぶらないか。
再び調べてみたら、かぶってはいない。(雑貨屋さんで風見鶏さんはあった。)

しかし、『かざみどりガラス屋さん』、リズムが悪い感じがする。
『かざみどりガラス工房』の方が良くない? 

風見鶏って、日本では八方美人とか、あまり良い意味に使われないけど、
西洋では魔除けの意味があるみたい。魔除けって、いいじゃん。
古来、キラキラ光るガラスには『魔除け』の意味もあったことだし。



というわけで、『かざみどりガラス工房』として作品を出すことにしました。
といっても、まだ少し先のことになります。
しかも『工房』っていうほどたくさん作れませんが・・・。
正規の仕事の合間をぬって、少しずつ準備をはじめていきます。



ワクワクすることは、人生において、正しいこと。
その言葉を信じて、というか自分の気持ちを信じてチャレンジしてみようと思います。
みていただく事自体がもうチャレンジです。


かざみどりガラス工房を、どうぞ宜しくお願い致します。



























夏休みのこころ

2014-08-01 00:57:20 | 日記
学校の夏休みが始まってもう9日。
夏休み始まって以来、ずっと毎日普通に出勤していたけれど、
今週に入って、職員室に人がぐっと減ってきた。
みんな旅行や部活の遠征。海外に行く人も多い。
美術部のもう一人の先生は、イタリアへ行ったとお土産をくださった。


私といえば、今年の夏はどこにも行けない。
お盆なら行けるはず・・・と思っていたら、教育課程の仕事が入ってしまった。
国内でもいいから、旅に出たかった!


旅にも出られない、仕事もある。
なのに、最近、心が数年来無いくらい穏やかだ。
夏休み、定時で退勤できるし時間があるということが大きいんだと思う。

家で仕事をしている間、時々ネットサーフィンをすると、
昔好きだったものを思い出して、それに関することを次々と調べたくなってくる。
インターネットはこういうときにとても便利なもので、
内容の質はいろいろあるけど、
とりあえずどんな情報でもころがってるからありがたい。

昨日はなんの拍子だったか(演劇関係からだったか)、夢野久作へ飛んだ。
高校生の時にちょっとハマった時期があった。
昨日、『瓶詰の地獄』の原文をネットであらためて読んでみた。
高校生ならハマりそうな悲劇だ。
記憶の中ではもっとドロドロした感じだった気がしたけど、
文章が静けさで満ちていて綺麗だなと今は思う。
乱歩の方がドロドロ度は数段上だ。
横溝さんは、一番面白い時期のは意外に理論的だ、ほんとに怖いけど。
ちなみに夢野久作さん代表作の『ドグラ・マグラ』は最後まで読めてないままだ。
ブーン・・・・、とかチャカポコ・・という音しか記憶にない。
てかそれじゃあ、全く読めてないし・・。


中・高校生の頃は、何故かダークなものに惹かれる子が多い。
自分自身に対する悩み、苦しみをダークな世界に浸ることで昇華させてた気もする。
でも暗くてグロテスクで気持ち悪いだけなのは嫌で、どこか叙情的でないとダメだった。
幼い頃の私の記憶、心象風景は、決して明るくはない。
でも、明るさに満ちてる人なんて、果たしているんだろうか?


そんな薄暗い心の自分が嫌で仕方がなかったし、忙しかったのもあったので、
いつの間にか、自分が辿ってきた心の道のりのようなものを忘れかけている。
ネットの海でふと記憶が蘇り、自分の来歴がしっかりすることで、
なんとも物悲しいのに懐かしい気持ちになる。
だから、心が穏やかなんだと思う。



そして、それに拍車をかけた出来事。
今日、夏休み初めて学校を離れた。実技研修のため。
アートフォーラムあざみ野であった、アニメーションワークショップ。
このワークショップの講師の先生であった松本力さんのアニメーションが、
まさにど真ん中だったのだ。

ストーリーがあるわけじゃない。
今日見せていただいたのは手描きアニメーションで、人の顔がどんどん変化していく。
色が生き物のように変化する。時間が巻き戻る感覚。
上手く言えないけど、夢の中の手触りというのが近い気がする。
松本さんいわく、人によっては松本さんのアニメを『気持ち悪い』と言う人がいるらしい。
でも私は、すごく『懐かしい』気がした。

その後、面白かったのは、松本さんの時間軸のお話だった。
説明し辛い、とても哲学的な話だった。
過去の自分と未来からやってきた自分がハイタッチする瞬間が今で、
だからいつも『今』って不安なんだ、みたいな・・(。。;)

その話を聞きながら私の友人は横でうつらうつらしてたけど、
私は、ふと思い出したのだった。
自分も小学生の頃、似たようなことを考えていた。

誰だったか忘れてしまったのが残念で仕方がないのだけど、
海外のSF作家さんの物語で、太陽の光が通常より数秒~数分遅れて地上に届くため、
人の動きが実際のものより遅れて見えることで起こった殺人事件を扱った小説があって、
小学校の高学年のとき、近所の公民館に来てた移動図書館で借りて読んだ。
今思い出しても、すごい話だ・・。
それにしてもあの移動図書館の本のセレクションは凄かった。
子どもための移動図書館なのに、内容が子ども向けじゃないのがたくさんあった。
そして子どもたちはそういうのを好んで借りる。


その本を読んだのがきっかけだったように思う。
私の時間って、薄っぺらい紙みたいな『私』が瞬間瞬間連なることで『今』の私ができてんだな、
と考えるようになった。松本さんの話で記憶がスパークした。
アニメーションのしくみとも似てる。
時間って不思議だな、もし私が死んだら、今まで重ねてきた『私のかたまり』はどうなるの?
って思ってとても怖くなったときがあった。小4か小5ぐらいだ。

あと何故か、私たちは大きい生き物の細胞の中に棲む微生物のような存在で、
その生き物というのは、カタツムリみたいな形のやつだ、と考えていた。

それは、夢でみた風景だったからだ。
子どもって基本的に暇だから、へんてこりんなことを考える。
子どもは勝手に哲学するのだ。

そんなことを思い出して、懐かしくて何故か少しさびしくて、でもほっこりした。
心が、小学生の頃の夏休みに戻ったみたいにワクワクしてる。
なんだろう、ものすごく幸せ。