しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

幸せ小包

2012-05-31 22:25:45 | 日記
だいたい帰るのが遅いから、ゆうパックとかの荷物が受け取れない。
妹からの誕生日プレゼントがまだ受け取れていなかった。
配達してくれるのは9:00~20:00くらいまでだから、
7:00前に家を出て、帰宅時間が21:00を優に超えてしまう毎日だと、
受け取りがとても難しい・・・。

仕方がないから、さっき、帰ってくる途中に本局まで取りにいった。
正確には、全然途中じゃなくて、タクシーに乗った・・・。
こんな時間でも、本局の24時間受付窓口には列が出来ていた。
荷物受け取りにこんなに疲れるなんて・・・。

小包をやっと受け取った。
長い道のりだったわ・・・・。

妹は今まで服飾関係の仕事にずっと就いていたけど、
病気があって、見た目が華やかでも相当ハードな勤務体系の職場が辛く、
店長としての重圧から、一時、体調が悪化したことがあって、仕事を辞めた。
半年ほど家でのんびりと暮らしていて、その後、倉敷の美観地区にある、
古い蔵を改造した雑貨屋さんに勤め始めた。
今までわりと名の知れたところばかりに勤めていたけど、
とにかく忙しいし、社員も使い捨てとばかりに、
働いている者のことなんてこれっぽっちも考えていないようなところばかりだった。
そういう見た目だけの職場に嫌気がさしたのだろう。

妹の今の職場は、
岡山の地域振興のために役立ちたいと起業した方がトップにいるところということで、
とにかく職場の雰囲気もあたたかく、妹もとても余裕をもって仕事ができているようだ。
そんな妹がくれたプレゼントはとても素敵だった。

・土井朋子さんという作家さんのフュージング技法で作られたタンポポの絵のガラスの器
・リネンのシール
・ワックスペーパーで作られたブックカバー(北欧デザインの!)

可愛い~!!!

妹の選ぶものはたいてい私も好きで、
離れて暮らして久しいのに、
同じ時期に流行ってもいないのに同じ物を買ったり。
シンクロすることが今まで何回もあったくらいだ。

嬉しくて、すぐにお礼のメール。
でも、木曜のこの時間帯は、きっと彼氏とデートだな・・・。

とっても質の高いプレゼントな気がして、
なんだか今日は一段とコーヒーも美味しい。
こちらのことを考えて、心をこめて選んでくれた贈り物って、本当に嬉しいね。
ありがと、妹。




なんにもできずに

2012-05-30 23:24:11 | 日記

今日は大変な一日だった。
本来は修学旅行の事後学習だったから、
一日中、クラスでの、ホームルーム状態のはずだった。

しかしながら事件が起こって、私は朝、生徒たちに指示を出したあとは、
ほぼ一日中、電話連絡と面談に奔走していた。
事後学習発表会、見たかったな。

こんなことは初めてだ。
詳しく書かないけど、学校だけで対応できる問題では既になくなった。
児童相談所の協力が必要になった。
親からの愛情に飢えている子たちは、
こんなにも周囲の愛情を確かめるかのような行動に走るのか。
たった14歳の心の中にその孤独感、痛々しい限りだった。
話を聴いていると、大粒の涙をぽろぽろ流しながら話す。
聴くことしか、涙を共有することしかできないのが辛い。

北野天満宮で購入した「学業守」と、
「友と学び、友と楽しむ」という書は額に入れ、黒板の上に飾った。
修学旅行での、友達との楽しかった時間を、
独りぼっちではないということを、辛い事があったら、その都度思い出して欲しいと思う。

修学旅行のときに、教員としてやっていく覚悟を心の中で決めた矢先だった。
以前の自分だったら、心の中で嫌だな、と思ったかもしれない。
これは、人としての磨きをかけるための試練かもしれない。
しかし、自分のできることがなんと少ないことか。

今日、何時間、子どもと面談したのだろう。
13~18時まで、話を聴いていた。どれほど話すことがあるんだろうか。
話が全く止まらない。この子たちは、それほど寂しいんだなあと思った。

だめだ、今日は自分もまとまらない。
誰もが寂しいと思わない社会なんて、ないのかもしれないけど、
近しい子どもたちが、激しい孤独感の中にいるというのが耐え難い。
ほぼ壊れてしまっている家族の中で、ひどく孤独に苦しむ子どもたちに、
学校という社会を楽しく充実したものにすることだけが、
今の私のできることなんだろう。

できることが少なすぎて、悲しくなったよ。




















カオスに強く

2012-05-29 21:55:45 | 日記
未明の地震にはびっくりした。
長い、突き上げるような地震。
寝入りばなだったから、飛び起きた。
なぜか、本棚を全力で押さえつけていて、
「ああ、ついに死ぬのか。」と思った。
逃げればいいのに、いざとなると身体って動かない。

地震のせいで、なんだかしょっちゅう揺れているような気がする。
美術室で午後、一人で仕事してた時も、
「あれ、今揺れた?」って何度も思った。
なんだか怖くて仕方ない。意外に私、恐がりだった。

今日は修学旅行の代休だったけど、
明日の事後学習の準備のために午後から職場に行った。
2、3時間でちゃちゃっとやって帰ろう!
いつものところでお茶でもしよう!と思っていたのに、
意外と細々としたことに時間がかかって、
結局7時間ほど仕事しっぱなしだった。全然休みじゃない。

家に帰ってご飯を炊いている間に、
京都の「よーじや」のお土産をぼんやりみていた。
このマーク、やっぱりどこかで見た事あるなあ。


どこで見たのかなあとずっと考えてたら、思い出した。

フランスのアニメーション作家 フローランス・ミアイユさんの作品に、
「ハマム」というのがある。(ブログで以前、書いたことあるかも)


公衆浴場での人々の姿を描いた短編で、自由な発想や形、色彩が楽しい作品。
西洋の人から見たら、公衆浴場って不思議なものなんだね。
その視点も面白い。大好きな作品の一つ。
そういえばフランスの女性の視点って、なんだか面白いんだよね。

このアニメーションで、寝転んだ女性が、
手鏡で自分の顔をしげしげと見ているところがあるんだけど、
角度を変えると顔がどんどんいろんなのに変わっていくという面白いシーンがある。
そのシーンに、この「よーじや」の絵にそっくりな顔が出てくるの!!
だからなんだというわけでもないけど、どこかでミアイユさんが、
「よーじや」のこの顔を見たのではないか、とか思うとちょっと楽しい。
来日されてるようだし。

Twitterが暗い話題で埋まってきた。現実は過酷だ。
岡山に住む母ですら「風向きでマスク」とか言い始めている。
今、チェルノブイリの被災者、という画像が、3件に1件くらい、
TwitterのTL上にやってくる。見た。かなりショックなものだった。
・・・・これが、日本の未来の姿だというのか?

日本人はカオスを体験するとカルト化するという。
出典を忘れた・・。
学生時代に講義で聴いたのかもしれない。
でも日本人だけじゃなくて、人はみんな多かれ少なかれそうだよね。
日本人はそうなりやすいってだけで。
チェルノブイリの被災者の画像は、かなり辛い。
でも、これを日本人は見るべきなんだろう。
瓦礫も平気!放射能大丈夫!みたいなカルトを払拭するために。

ああ。

「よーじや」に逃げてみた。日本文化、万歳!
日本は素敵な文化を持つ国だったのよ。

正しい知識と認識を持って、カオスに強くありたい。





















































修学旅行を振り返ってみた その5

2012-05-28 14:53:37 | 日記
~③について 続き~

中学校の先生の仕事として、
愛情をしっかり与える、感じさせる、というのはかなり大きいウエイトをしめるのではないかと思った。
教科とかその他の生活指導はまあ当然やることだけど、
今の子は「愛情」という、全てが育つ基盤がとても弱いような気がする。
そこに、難しいことをたくさん教えても、ちっとも吸収しないだろう。

他クラスでは、1日目の広島平和記念公園の散策の際に、
広島のボランティアガイドさんに生徒が質問されて、
生徒が答えた内容がふざけているとそのガイドさんに叱られたことが原因で、
その生徒が激しくむくれてしまって散策から脱走したという事例があった。
とりあえず一回認めてやらないと、何も入っていかないというわかりやすい例だ。

誰かに、しっかりと愛されたい、好かれたい認められたいという基本的な人の欲求。
それはまずは親がしっかり満たすべきことだと思うけど、それができない親が増えているのもしれない。
前に書いた2人の子の親は、電話での印象だと、
かなり子どもに対して無関心なのか、ただ忙しいのか、
そんな感じがした。とにかく子どもに構っている感じがあまりしなかった。

私は人の親になったことがない。けど子どもだったことはある。
うちも親が忙しくて、親が構ってくれなくて寂しかった記憶があるけど、
うちには祖父母が同居していたから、親の代わりを祖父母がしてくれていた。
褒めてくれたし、認めてくれた。愛されていたという記憶がちゃんとある。
今の時代、核家族は当たり前。
食事も塾に行く前にコンビニので済ます、とかいうのもよく生徒からきく。
親も仕事で忙しく、食事時ですら一緒じゃないから、ゆっくり話す時間もないのだ。
ならば、学校で家庭でできなかったことも代わりにやるしかない。

教科の指導とは少し違って、愛情を与えるというのは、
全身全霊をかけてやらないとできないことだ。一人ひとり子どものタイプも違うし。
一切のごまかしも効かないし。ものすごく自分が試されてる気にもなるのだ。
最近、教育って大変な仕事だなあと感じることが多くなったのは、ここだ。
教科指導だけなら、それほどじゃない。心よりも頭を使うウエイトが大きい気がするからだ。

もう教科だけなら7年目だ。だからまだまだのところもあるけど、多少は自信も出てきた。
でも、人に愛情を与えるという仕事には全く自信が持てない。
こんな風でいいのか、こんな言葉でわかってくれるのか足りないのか、いつも迷いながらやっている。
しかも、他にやりたいことも多かったから、
自分は逃げ腰なんじゃないか、卑怯なのではないかといつもどこかで後ろめたかった。
この子等を放っといて、いつでも仕事は辞めることはできるのだから。

教師というのは、一生の仕事だと最近では思うようになった。
前は、いつでも辞められると思っていたけれど・・・。
生徒が育ち、同時に自分が育っていくには長い時間がかかるけど、
そういうことが感じられる職場は素敵だと思うようになった。
何より、この仕事を頑張ることは、世の中が良くなる事に大きく貢献できることだと思う。
自分が好きなことをやっても、自分は満足するけど特に人の役には立たない。
好きなことで人の役に立てれば一番いいけど・・。そこまでの才能は、残念だけどない。
才がないなら、ないなりに、心と身体を使って、精一杯生きていくしかない。
人には、持って生まれたもので、それぞれ役割があるのだろう。
自分は社会を構成していく部品なんだと思う。悪い意味じゃなくて。

神様がいるかいないかはわからないけど、
そういう宇宙的視点で見たとしたら、自分が教師を続けていくことは正解な気はする。
でも、次に生まれてくるときは、
自分の好きな事で、人の役に立てる才のある人として生まれてきたいな。

修学旅行の新幹線移動がやたら長かったから、ぼんやりそんなことを考えていた。
帰りの新幹線では富士山がきれいだった。でも、ちらっとみただけで、
あとは体調不良者の対応と保護者対応の電話に奔走していた。

昨年の自然教室では、
夜中の職員打ち合わせで納得いかないことがあって大げんかしたので、
今年はそんなことにならないようにおとなしくしようと思っていた。
けどやっぱり納得のいかないことは多かった。あの班別自主行動のチェックは特に!
けんかは嫌なので、全部、ここで文にして吐き出した(笑)。
つくづく、溜めておけないタイプだ・・・。

長々と思ったこと、考えたことを全て吐き出した。
自分用の長いメモになった。読んでしまった方、どうもすみません


ちなみにお土産。
生八つ橋(ラムネ味・いちご味・桜味)、
よーじやの柚のリップクリームとハンドクリーム、手ぬぐい。
木版画の京都の風物詩の絵はがき(クラスに掲示したい)、
北野天満宮での一番でっかい学業守(クラスに置くため)、
「友と学び、友と楽しむ」という書(クラスに掲示したい)を購入。

そういえばクラスの生徒にはものすごく渋い趣味の子がいて、
自分用の御朱印帳を持って来て、各寺で書いてもらっている子もいた。
いいねえ。
ほとんどの子が、日本の文化っていいなあと実感をこめて感想を書いていた。
毎日夜中の3時までしおりチェックをしていたけど、読んでいて楽しかった。
実は2日目の夜に、私は疲れて少し具合が悪くなったけど、
生徒が夕飯を食べたりお風呂に入ったりしおりに感想を書いていた時間帯に、
少し横にならせてもらっていた。副担任の先生にだいぶん助けてもらった。
まだ20代半ばの若い先生だけど、よくいろんなことを察して動いてくれた。
彼女には「よーじや」のものがお土産にはいいよ、
とお礼にアドバイスしといたら、本当に「よーじや」でお土産を買って来ていた(笑)。
いや、僕、そういうのに無頓着なんで助かったです、と。
とても真面目だ。良い同僚がいるのはありがたい。

あーあ。終わっちゃったよ・・・。お祭りのあとは寂しい。
今日、明日は代休。とはいえ、今日だけ完全に休んで明日は仕事に行く。
次はすぐに合唱コンクールへの取り組みが始まる。
またそれはそれで、クラスのドラマが生まれてくるはず。

身体休めて、また頑張るか








修学旅行の振り返りをしてみた その4

2012-05-28 14:29:07 | 日記
話がうろちょろしてしまっているような気がするけど、振り返りその4。

~③について~

うちのクラスでは行きの新幹線から調子が悪くなる子がいた。
酔い止めを飲んでも全く効かない。
しかも、乗り物酔いの症状ではない、過呼吸症状も同時に出る。
車掌さんにお願いして、養護の先生と新幹線内の救護室へ。
この子は結局、乗り物は全部ダメで、3日間ずっと乗り物内ではずっと横になっていた。
昨年はこの子、こんなことなかったのに。しかも同時に出る過呼吸症状は一体なんなんだ。
帰りの新幹線内から保護者に連絡するも、この子の親だけは、新横浜まで迎えにいきます
と言わなかった。冷たく「じゃ、お願いします。」とだけ言われた。
他の体調不良者の保護者は両親揃って新横浜まで迎えにきたりしていたのに・・。
人の親でもある校長先生は
「信じられないわ。何があっても子どもが調子悪いなら迎えにはくるでしょ。」とぼやいていた。
この子の過剰演技のような過呼吸症状について、
「おそらく無意識でこの子は、人の注目を引きたいのよ。人の愛情を感じたいのよ。」と校長先生は言う。
私も同じ意見だった。この子は愛情に飢えてるなあと常に思っていた。
その証拠に、宿舎ではこの子は人一倍元気で、
周囲に迷惑なほどテンションをあげて騒いでいた。身体の病気じゃないのだ。

また、カラーコンタクトで目が腫れた子も、愛情が不足してる感じが常に漂っていた。
他クラスにいる彼氏とうまくいかなくなってからは、体調も言動もおかしくなっていた。
彼氏とのことばかりに夢中だったから、クラスでも浮いていた。

京都で眼科を受診し、間髪入れず今度はお腹が痛いと言い出した。生理痛だと。
養護の先生が、飲んでいる薬を聞き出して買って来てくれた。
生理痛でお腹がいたくて何も食べれないというけど、食べないで薬を飲むのも胃に悪いから、
夕飯を別室に持って来てもらい、仕方ないから私が箸を持って食べさせた。
えー豆腐がまずーい、そうめんがぬるいよ~とか言いながらも少しだけは食べた。
まるで赤ちゃんのようだった。
その後、薬を飲んで自分の部屋に帰ったのは良かったけど、痛いよー!と騒ぎまくって
部屋中を文字通り転がりまくって、壁に頭を打ち付けたりする謎の行動で部屋の子を辟易させていた。
これじゃあ他の子が寝られないので、私ともう一人、職員がいた部屋で預かった。

最初は痛い痛いと騒いでうずくまっていたけど、温かいお茶を一緒に飲んだり、
私やもう一人の先生と話したりしてるとだんだんと落ち着いて来た。
結局、私の部屋でその子は12:00頃に寝た。
どっちみち、私は夜中に職員の打ち合わせもあるし巡回もあるし、しおりのチェックもあるしで
ろくに寝られないから、誰が居ても良かった。穏やかな顔で寝ていた。

次の日からその子は調子が良くなって、班別の際では恋愛相談を男女関わらずしたようで、
部屋でも恋の話で盛り上がって、帰りにはたくさん友達ができていたのは、前にも書いたか。


【続】




























































修学旅行の振り返りをしてみる その3

2012-05-28 12:41:38 | 日記
~②について~
◯組◯班は、もともと自分たちが立てた予定を守らず、しかも変更を本部に連絡せず、
どうやら他の班と途中から合流しているとの情報も来ていて、
本部の先生たちが大変怒っていた。
京都の名所を調べ、路線を確認し、細かい計画表を作ることに事前学習の数時間を費やしている。
なので徹底的に予定表に忠実にあれ、というのが、本部の先生の考えだった。

本部からのその連絡に従って、一度京都駅に帰りかけていたのをもう一度引き返し、二条城へ。
しかし閉門の4時が接近しており、もうそこにはいなかった。
帰途についてしまったようだった。目的の班には会えなかったことを本部に連絡した。

17:00には宿舎で帰着チェックを各担任がする予定だったので、急いで私も帰途につく。
その間、個別支援級の先生に携帯で連絡を取っていた。
問題になっていた班にはそういえば、個別支援級の子がいたのだった。
ならば、個別の先生がその班と一緒に、もしくは付かず離れずにいるかもしれなかったから。
残念ながら、個別の子と先生は、班とは二条城から別行動をしていて、今の様子はわからなかったけど、
二条城前で「めんどくさいから、最後の東本願寺を抜こう。」という相談はしていたのを聴いたという。
また、予定表では全く異なる動きのはずだった他の班と、同じように動こうとしていたのも確認できた。

見かねて、個別の先生が、「変更をするなら、本部に連絡は入れなさい。」
と生徒に言ってくれたようだったけど、そのまま本部には連絡はなかった。

17:00前に宿舎には到着したけど、入り口から行列ができていた。
予定より早く帰ってきた班がたくさんあったのだ。
本部では、長机に4人の先生が座っていた。
そこに横1列になって班の6人が帰着チェックを受ける。
しかし全く前に進んでいない。問題の班が先頭にいた。
やっぱり、予定をすっとばしてかなり早く帰ってきたのだ。
先生が、予定表を細かにチェックしながら、
「何時にここに着いたか、何分間いたのか」とアリバイ探しのように詰問していた。
子どもたちの顔が強ばっている。班長の子は嘘をついた。
行ってないはずの東本願寺に「行った」という。駆け足で行ったと。
しかしバレる。先生は余計に激怒してしまった。

生徒には各班に1台、携帯が渡してあった。連絡用でもあるけど、
GPS機能で、居た場所もいわば本部に「監視」された状態だったのだ。
それは私たち、外を巡回していた教員がもっていた携帯も同じで、
だから決められたエリアから私も出ることはできなかった。
三条あたりで行ってみたいところもあったけど。

帰着チェックを受ける子ども達の顔が曇り始めた。
最初の班が大激怒を受け、その後の班にも同じ先生が細かく経路をチェックし始めてしまった。
あれ、担任がチェックする予定だったんじゃないの?と私は思いながら本部の後ろに控えていた。
並んでいる子どもたちの目が「なんでこんなことになってんの?」という不安の色になっている。
たった5分、帰って来るのが早かった班は、
「もっと見たいという気持ちがないから、早く着いたんだ!」と責められていた。
気の弱い女の子は、怒声がもう怖くてぽろぽろ泣いていた。

本来なら、担任が
「暑かったね、怪我とかなかった?どこが良かった?元気で帰ってこられて良かった!」
と、知らない土地で大冒険してきた子ども達を迎えてあげるところである。
そうしたかった。午後からはひどく暑かった。みんな、頑張ったのだ。

疲れて、1個くらい見学場所をすっとばしたいという気持ち、私は実際歩いたからけっこうわかる。
私、正直言うとだるくて移動にタクシーを使ったところもあったのよね。
だって、烏丸線と東西線と京阪電車はいいけど、バスも混んでるし、ものすごく暑いし。
だから1個くらいとばしてもいいじゃんと本音では思うのよ。


昼食場所での通過チェックの時で、もうヘトヘトになっている班も多かった。
そこを「見学場所をとばすなんて、やる気がない!」と理由も聴かず断罪してしまうのは、
涼しい本部でずっと座ってるだけの先生にしかできない、ひどく思いやりのない行為だと思う。

時間をきっちり守ることも大切だけど、はじめての土地で時間通りには動けないだろう。
集団だったら疲れている子がいて、その子の介抱で予定通りのバスに乗れなかったり、
金閣寺方面に行った子たちはバスがなかなか来ず、徒歩でまわったというから、
時間も大幅に変わって来るだろうし、
三十三間堂前のバスは混みすぎていて、2本見逃しても乗れなかったらしい。
そういうアクシデントはつきもの。ガイドブック上で立てた予定なんて、その通りにはいくわけない。
しかし、5分の違いで怒られるのだ。なんだそれ・・。
子ども達は従順というか流していたのか、先生の怒声にただ謝っていた。

で、昼ご飯の場所でふざけていて転んで、頭を打ったうちのクラスの男子が帰ってきたときだけは、
私のところに回されて来た。その子こそ怒んなきゃいけないじゃんね・・・・。
「ふざけてたらみんなが迷惑するし、今回は偶然怪我も何にもなかったから良かったけど、
頭を打って記憶なくなったり、わけわかんなくなったりとか、何か起こったらどうするつもり? 
自分の行動に責任を持ってよね。」
いつもへらへらしてるそいつは、やっぱりへらへらして「すみません」と言った。
こういう子はなにかあってみないと、自分の行動のアホさ加減がわからないのかもしれない。

今回、子どもに何を教えたいのか、
宿泊行事での目的が教員間で共通理解できていなかったことを痛感した。

私は
・仲間とのつながりを感じ、仲間とともに協力し、楽しむこと
・広島の平和記念資料館や京都の文化に触れて感じたこと、考えたことを言葉にしてみること
・自主自律の心を養う

ことだと考えていた。だから、5分、帰着時間が違ったから怒る、というのは私の中にはなかった。
時間を守るというのは、自主自律の心の中には含まれると思うけど、時と場合による。
アクシデントがつきものの班別自主行動では、該当しないのではないか。

普段、彼氏にばかり心が向かっていたうちのクラスのある女子は、
この旅で恋愛相談をたくさん班の仲間にしたらしい。
男子も相談に乗っていたし、夜も部屋の子にしゃべっていたようだ。(夜は寝て欲しいけど)
帰りには、男女関わらず多くのクラスメイトと普通にいろいろ話せるようになっていた。

人とのつながりはある意味セーフティネットだ。
2年のときはちょっとグレそうな雰囲気だったこの子だけど、
これだけ仲間がいれば、悪い方には向かわないだろう。笑顔も増えた。
宿泊行事は仲間作りには最も有効な方法だと思う。

広島では平和記念資料館で、ビジュアルに訴える核や戦争の恐ろしさ、虚しさを
生徒も痛感したようだ。平和学習としてはこれ以上のものはない。
京都では、にわかに日本文化フリークが増え、自分用のお土産には扇子を買う子が多かった。
しかも、よくお土産物屋にあるジャニーズとかのじゃなくて、和柄の、本格的なもの。
帰りの新幹線では、まるで平安貴族のように、優雅に扇で扇いでいる男子が多数いた。
3日目のクラス別体験での西陣織の機織り体験が相当楽しかったようで、
自分で織った!と誇らしげに見せてきた。
全員、機織りで小さなコースターを織って記念撮影。それがお土産になった。

課題は多いけど、私としては、子どもたちはよくやっていたと思うし、褒めてあげたい事も多い。
何より、仲間を作るのが下手だったうちのクラスの子が、
楽しくいろんな人と話している帰りの新幹線内での姿が、一番の旅の収穫だった。

【続】




修学旅行の振り返りをしてみる その2

2012-05-28 12:26:23 | 日記
2日目、生徒たちが楽しみにしている京都班別自主行動。
この日は、生徒たちが事前に立てた計画に基づいて京都の名所を班でまわる。
午前中は涼しかったけど、午後から少し蒸し暑くなってきた。盆地の気候だ。
前日の夜にはしゃぎすぎて寝てなかった子は、てきめんに体調が悪くなった。
また、集団に慣れず眠れなかった子もいて、そういう子は
午前中は宿舎で休んで、午後から養護の先生と別ルートを回って京都見学をしていた。
養護の先生は、朝から猛烈に忙しかった。
あちこちで気持ち悪いだの、お腹が痛いだの、足が痛いだの。
そのほとんどがはしゃぎすぎの睡眠不足か、食べ過ぎの腹痛か、筋肉痛だ。

うちのクラスは2名が病院にお世話になった。
一人は、カラーコンタクト(!)が痛くて目が腫れるの巻。
修学旅行当日はしてなかったけど、前日までしていたらしい。
1日目の夜、保護者に連絡をして、京都の眼科へ。
その後、この子は生理痛もひどくて、叫びまくる(・・)ので他の子が寝られず、私と同じ部屋に寝た。
もう一人は3日目、熱中症で脱水症状を起こして、新幹線内の救護室に寝ていて新横浜駅から救急病院へ。
この子は、昨日の夜にもう症状は落ち着いて、点滴もしなくていいよと言われた。
慣れない環境で緊張したのも調子が悪くなる原因だったようで、横浜に着いたとたん、症状が軽減していた。

4月に小学校から赴任してきたばかりの養護の先生は、このあまりの忙しさに驚いて、
「中学の修学旅行って、病人とかいないと思ってた。間違いだったわ。」
と。中学生もまだ子どもっていう証拠。宿泊してみるとよくわかる。



で、2日目班別自主行動。教員は巡回スケジュールが決まっていて、
私は午前は銀閣寺を中心とした東山エリアを、午後は二条城付近と西陣あたりを、
というのと、昼ご飯場所での通過チェックが仕事。
午前中は、哲学の道から銀閣寺へ、その後平安神宮付近へ。
銀閣寺で三班、平安神宮で一班と遭遇する。見知らぬ土地でへとへとながらも楽しく旅していた。

その間、岡崎カフェという、町家を改造した素敵なカフェを見つけてお茶をする。
探したらネットに画像があった。店の中が素敵だったんだけど、外のしかないなー。

そうこうしているうちに、通過チェックをする西陣に行かなきゃの時間に。

しかし、予定より昼食時の通過がどの班も早めで、
午前中担当の先生がほぼやってくれてたこともあって、13:00には仕事がフリーになる。
よし!二条城・西陣エリアを旅してみよう、と決めた。
東西線や烏丸線、京阪電車が走っているところ以外はかなり不便。
なので、この電車路線付近で。
まずは相国寺。
鳴き龍で有名。手を叩くと天井に反射した音が鳴いた龍の声に似てるというもの。
龍がどうやって鳴くのかは知らないけど、確かに面白い響き方をする。
その後、その隣にある同志社大学今出川校舎。
神学館からはパイプオルガンの音がしていた。大学にいた頃と変わらない。
キャンパスに立つと、その頃に自分の気持ちが蘇って来たのには驚いた。

懐かしい気持ちの後は、二条城。
しかし、二条城の周辺だけを巡回した。数班とすれ違う。
本当の目的は、二条城近くの丸太町堀川にある小さなギャラリー、モーネンスコンピス。

ギャラリー モーネンスコンピス http://www.maane-moon.com/galleri/
小さな町工場の上にあるギャラリー。自費出版っぽい、和菓子の写真集をゲット。

そんな風に、午後は完全に一人旅状態。15:30、そろそろ宿舎に帰ろうと東西線へ。
二条城前から烏丸御池へ。そこから更に烏丸線に乗り換えて京都駅付近の宿舎へ帰ろうと思いきや、
そこで指示が来た。私が持っていた本部用携帯に連絡が入る。
「今、その周辺にいるはずの◯組◯班が、予定表と違う動きをしているようだから、
見にいって。」というものだった。

【続】



















修学旅行を振り返ってみた その1

2012-05-27 23:24:37 | 日記
中学校生活の一大イベント、修学旅行が終わった。

時系列で書いてから、考えたことや反省を書いていくべきか。
頭の中で様々ことばが渦を巻いているので、ちゃんと振り返りがしたい。
でも眠い。とにかく宿泊行事では教員が寝る時間がない。

そんな眠い頭だけど、記憶が新しいうちにまとめると、

① 校外学習では社会常識を教えることが重要
② 子どものことを考えた指導とは何か
③ 教員という仕事をしていく上の覚悟

という3点について、ものすごく考えさせられる旅だった。
いや、楽しいこともかこうと思うけど。実際楽しかったし。

~①についての考察~

1日目朝、新横浜駅に自分たちで集合して新幹線に乗る。
まずはこれが第一関門。新横浜駅まで自分たちで7:15までに来るという難関。
新幹線の発車時刻には余裕を持たせてあるから、遅れても大丈夫なのだけど、
約束,時間を守るということを身を持って学んでもらうという目的もある。
必ず誰かと約束をして、集団で来ること。
真面目な生徒たちは,腹痛で途中駅で降りた一団以外は時間内に来た。
班ごとに整列し、約束の時間をむかえた。
と、今は修学旅行シーズンなので、他の学校も近くで同じように集合している。
しかし歩道にはみ出して、ガムを噛み噛み。列もぐちゃぐちゃ。
朝、通勤の人もいるのに、邪魔になっている。それでも平気なのだ。
しかも先生がいるのに、誰もそれを注意しない。
うちの校長先生が見るに見かねて、その中学校の先生に抗議に行った。
それでやっと、その学校の先生たちは重い腰をあげるように整列指導を始めた。

軍隊みたいにする必要はない。
けど、集団で子どもが動くということはものすごく周囲にストレスを与えることだ。
それを「子どもだから、あたたかい目で見守ってやってください。」というのは、甘えだと思う。
周囲にストレスを与えないように、子ども自身が考えて動けるようにはしなければいけない。
うちの学校だって、まだまだダメだ。
今回、新幹線は貸し切り電車ではなく、一部のクラスが一般の乗客と一緒になる形だったのだけど、
テンションが上がりきった生徒たちは騒いでしまう。
うちのクラスはたまたま生徒だけしか乗っていない号車だったから、
騒いでも他の方に迷惑にならなかったけど、
一部のクラスの生徒は、車掌さんから、
「他のお客様から苦情がありました。もう少しお静かに。」と注意を受けた。

で、ここからが問題だった。
その時に一緒に乗っていた先生たち、車掌さんから注意されたにもかかわらず、
生徒にそのあと一切注意しなかったのだった。ここでも見るに見かねた校長先生が、
代わりに生徒に静かにすることの意味をとつとつと語っていた。
私は偶然、体調不良の生徒のことを報告に行ったその号車で、一部始終を見たのだった。

校長先生のしたこと、これぞ「先生の仕事」である、本来ならば・・・。

生徒たちにしてみれば、
「他の号車に乗った仲間たちは騒いでるのに、自分たちだけ騒げないのは不公平!」
と思っていて、そう思う事自体は理解できる。自分が子どもでも思うだろう。
だけど先生達まで、
「子どもが修学旅行なのだから、周囲の大人は子どもが騒ぐのも多少理解して欲しい。
車掌を通して注意するなんて、なんて心の狭い!」(←後に先生たちが言っていた)
と思って注意も何もしないっていうのはどうなんだろう。

それは違うのではないか。

校外に出て世の中を学ぶことも修学旅行の目的の一つなのだから、
子ども達には、自分たちのキーキー声が、
新幹線に乗っているような日々を忙しく働いている大人にとって、
大変不愉快なものであることぐらいは理解させるべきだと思う。

それに本当に生徒が可哀想だと思うなら、
思いっきりはしゃげるように貸し切り車両にすれば良かったのだ。

学校という「非常識の壁」の中で守られているんだなあとあらためて思う。
道路に広がって歩こうとすること、点字ブロックの上に座ること、
場をわきまえずに騒ぐこと。だらしのない服装。
注意ポイントがたくさんあった。

今年の3年は、男女がわりと仲が良いし、新幹線内でのお菓子を食べて良い時間のときも、
男女でお菓子を交換したり一緒にトランプで盛り上がったりしてて楽しそうだった。
そういういいところはそのままに、社会の中の自分という視点も持たせなきゃとか思った。


と真面目なことを書いてみた(- -)。

1日目は新横浜から広島まで3時間40分ほど新幹線に揺られて、
広島平和記念公園と資料館を見るのが目的。
資料館での、原爆に関する表現のあまりの悲惨さと迫力に、
過呼吸状態、泣き出す子・・・いろいろいた。
まさに百聞は一見にしかず。
3年間かけて平和学習をしてきた総決算。
普段は、成績に入らない平和学習には全く興味を示さなかった子も、
「先生、俺、見てるだけで被爆しそう。」という名言を残した。
それほど、感受性の鋭い子ども達にストレートに訴えかけるものだった。

帰りのバスで同乗した他クラスの先生が、
「僕はあまりここが良いとは思わない。
こんなに人の感情に直接訴えてくる方法は、なんだか卑怯な気がする。
長崎の資料館のように、理知的に核について語る方がいい。」とおっしゃっていた。
私としては、
少し見ただけでも、核や戦争の恐ろしさやむなしさが伝わって来る広島の資料館は、
中世の頃、無学な人々にキリスト教を広めるために作られたステンドグラス絵のように、
たくさんの人に関心を持ってもらうきっかけになるから、ものすごく良いと思った。
単なる考え方の違いだけだから、議論するのも嫌だし、自分の思ってることは言わなかった。

その後、また新幹線で広島から京都へ移動。京都宿泊のため。
まあ、夜、生徒がすぐに寝るわけじゃない。22:30消灯でも、
優に24:00過ぎまで生徒はこそこそしゃべっている。
巡回して、明日も活動があって大変だから、体力を持たせるために寝てよ、
と注意する。
そして2日目の京都班別自主行動で、寝てない子達はことごとく調子を崩すことになる。

【続】
















旅の空で

2012-05-24 20:42:41 | 日記
明日から修学旅行。
けど、夜になった今もバタバタ。明日朝、めちゃくちゃ早いのに、
起きられるか・・・。寝ないでおこうか・・。

今日は4時間目に、宿泊行事前に行う「結団式」があったのだけど、
私は出られなかった。
というのは、クラスの子が3時間目に泣いていて、
別室でずっとその理由を聴いていたから。

泣いてたのは結局、昨日、つき合っていた子と別れた、
というのが直接の理由だったんだけど、
その話に付随していろいろな話が出て来た。
前々から怪しんでいたけど、今日、確信を得た。
家庭での問題。あまりに重い問題だった。
その子の心に大きな影を落としていることがわかった。

話を聴きながら、不覚にも涙がこぼれてしまった。
小さい身体で、辛いことがものすごくたくさんあったのに頑張ってたんだね。
私では、話を聴くことぐらいしかこの子のためにできない。
本人に許可を得たので、学校カウンセラーさんに話をつなぐことにした。
家庭の問題に踏み込むのは大変難しいけど、
今回は踏み込まざるを得ない。その子は壊れかけているから。

その話が終わったあとは、もう一つの問題。
明日、自分たちで友達と約束し合って、
指定された時間までに新幹線の駅まで来なければいけないのだけど、
「うちの子は、友達ともしはぐれてしまったら一人では行けません。
誰と何時に約束してるのか何とか調べてください。」
という保護者からの電話。
自分の子から直に聴けばいいじゃん・・と思うんだけど。 

で、これが今、難航している。
というのは、みんな塾に行ってて家におらず、連絡が全く取れないのだ。
他の先生たちは、だったら親が直に新幹線の駅まで連れてくればいいのに、
と憤慨しているけど、保護者もみな忙しい。
今の時間になっても、一緒に行く子達に連絡がとれず、
塾が終わる時間帯の21時過ぎに、再び生徒の携帯に電話してみる予定。
で、その結果を、保護者に連絡しなきゃいけない。

心配なのはわかるけど、ちょっとね。
心配なら連れてくればいいのに、それはしないのね・・。
間違った過保護だ。いや、過保護はもともと正しくないか・・・。

子どもを愛してはいるのだろうけど、
行動でうまく示せていないというか。
そういう保護者が多い気がする。

泣いていた子は、話の最後にぽつんと言っていた。
「修学旅行はすごく楽しみだったの。
だって、家から離れられるもん。」

いろんなしがらみを実は抱えている子ども達。
旅の空で、わいわい騒いで、楽しんで、
友達とのつながりを作れたら、何かが変わるかもしれない、
と、淡い期待をしている。

とりあえず、晴れるといいな。

































俺たちに常識はない!

2012-05-22 22:26:11 | 日記
修学旅行のしおり読み合わせの学活。
それにしても、遠足や自然教室の校外授業の時に生徒から出る質問って面白い、
というか、なんというか・・・・。
油断も隙もないというか。

【うちのクラス:今日出た質問】
◯ 「新幹線にはトイレがあるんですか?」   
◯ 「新幹線のトイレには自由に行っていいのですか?」 
◯ 「おやつにバナナは入るんですか?」(←毎度のやつ)
◯ 「ズボン丈の長さって、どこまでがOKでどこまでがアウトですか?」
◯ (荷物を自宅に送る際の荷札を書いていて、)
  「町名から書いていいですか?」
◯ (同じシチュエーションで)自分ちの住所、忘れました。教えてください。」
◯ 「広島から京都って、バスで行くんですか?」
◯ 「トランプとUNOがいいなら、花札もいいですよね!」
◯ 「テレビ見てもいいんなら、有料のもいいですか!」
◯ 「広島って、京都の隣なんですか?」

・・・・。

驚いたことに自分ちの住所、電話番号を覚えてない子がけっこういた。
なんかあったとき、どうやって連絡取るんだ!!
自分の町から出た事があんまりないんだなあというのがよくわかる。
荷札に町名とマンション名だけだと、多分、普通の荷物なら京都からだと届かない。
まあ、他の子のを手がかりに届けてはくれるだろうけど。
広島から京都までバスで行くのもけっこう辛いだろう。
広島の位置がわかってない子が多くて。地理頑張れよ!受験生!

それにしても修学旅行で花札やるんだろうか。花札のやり方、そもそも私知らない。
あと、有料のは見れないよっ。

それわかってるよね、という一般常識は一切彼らには通じない。
実はいろいろわかってないから、用心深く説明していく。
今回の質問で爆弾投下レベルだったのは、

◯「先生、ところで、俺らいつ行くんですか?」

・・・・・しおりの表紙に書いてあるよ。
すぐだよー、あさって荷物を送るんだよ・・・。
そういうと、本気で驚いていた。

いやこっちが驚いたさ・・・。

この人たちが複雑な京都の市バスを乗りこなせるとは到底思えない。
京の街に放つのが怖い・・・。
街の人に聞くなり何なりして、なんとかサバイバルして欲しい。
これこそ生きる力、受験が何だ。

私は連絡用携帯を片手に、
生徒が多くいるはずのところを中心に京都の街を彷徨う予定。
今日の説明で、ああわかってないことが多いのね、とまた心配になった。
前日指導では全体でもう一度念押しをするけれど、
どうなることやら。

「俺たちに明日はない」っていう映画があったように思うけど、
まさに「俺たちに常識はない!」って胸張って言えちゃう。

破れかぶれ、200人超で旅立つ3日前。

















理想の一日

2012-05-21 21:14:47 | 日記
朝から話題は金環日食で持ち切り。
駅では、誰もが同じ方向を見上げて、
携帯なんかをかざして写真を撮ろうとしてる人多数。
雲間から少し見えた!
なんだかお祭りみたい、天体ショー。

昔見た日食の時は、もっと周囲が暗くなったような気がしてたんだけど、
金環日食がピークの最も暗い時でも、普通の明るさがあった。
ちょこっと横からはみ出している太陽の光だけでもこんなに明るいなんて、
太陽ってパワフルなんだなあ、と同僚と話す。
お天気の話って、人を和やかにするのは何でだろう。

それにしてもピーク時には雨がパラパラ降ってたのに、
日食終了とともに晴れてきた。
なんだかそんなもんだよねえ・・・・。


今日は午前中で学校は終わり。午後は区の研究会。
何の因果か、非常勤講師時代からずーっと同じ区に勤めているので、
区の研究会はまるで同窓会。
今日の研究会は、全教科が1つの学校に集まるから。

昨日のブログで書いた、3年前の修学旅行に一緒に行った人たちにも会って、
髪の色、明るくなってねえ?ある意味デビューしてねえ?とか言われる。
この軽さが、前任校だわ。

終了後に、一番仲の良かったT先生とあんみつを食べつつ、お互いの学校の話。
この頃の人たちが最も楽しかったんだよね。今が悪いわけじゃないんだけど。
上の、前任校で一番仲の良かったT先生はもう最高で、少林寺拳法の達人(女性です)。
飲むとすごいことになる・・人の車によじ上ったり、突然全力疾走したり。
伝説を多く持つ女性。
誕生日が一日違いで、誕生日会と称して飲んで大変だったけど、超楽しかった。
こういう破天荒な人は、あんまりいない。
竹を割ったような爽やかな性格の人で、何でも話せる。子どもからも慕われてる。
この先生と同じ学年で働いてたときは夜の職員室が毎晩、大爆笑の嵐だった。
懐かしい。気さくなんだけど、ズケズケと人の心に踏み込むようなことはしない。
距離を上手にとることのできる人たちだったんだなあと感謝してる。

人にしてもらってばかりじゃなくて、いつか自分もそういうふうにならないとね。

で、T先生があんみつをおごってくれた。
T先生、払うよ~というと、
また、次に飲みにいくとき払って!!とのこと。やほ!

楽しみが増えた♪

家に帰って、修学旅行の準備。基礎化粧品は最小限に。
携帯用の小ボトルに詰め替える。
洋服はかなり考えて3日分をコーディネイト。
動きやすくしわになりにくいもの。さっぱりしてるもの。
とにかく荷物は少なく・・・。
けど、「替え」「替えの替え」・・と持っていきたくなるのが人情よね。
木曜日には荷物を送るから、まだあと2日あるけど、
早くからやっておいてちょうどいい。
こうやって、旅行への心構えを作っていく。

今日は、金環日食は見られるわ、同僚とあんみつ食べるわ、
パタパタと旅行の準備をするわで、
毎日がこんな風にワクワク過ごせたらいいのにっていう理想の1日だった。


























記憶のアルバム

2012-05-20 18:07:36 | 日記
土曜の朝、起きたらなんだか気持ち悪かった。
熱が出ていた。ああ。
先週ずっと眠くて仕方なかったのは、これの予兆だったのか・・。

昨日は午後からはほとんど家で寝ていたけど、熱は下がらず。
今日もまだ熱は下がらず。
でも部活やら、明日の準備やらで学校へ。

午前中の部活で、生徒がプレゼントをくれた。
今日は私の誕生日。
私が鳥好きだと知ってて、鳥のはがき入れをくれた。
数人、手紙をくれた。覚えててくれたのが嬉しい。
今、美術部では名画模写をやって、それに自分の絵を加えていく
というのをやっている。
北斎の「神奈川県沖浪裏」の絵で、ペンギンがサーフィンしてたり、
小舟に乗って震えているのが自分たちだったり。
ゴッホやセザンヌ、ミッシャ、モネ、ダリ・・・。
好きなのを選んで、畳半畳くらいの絵を描いている。
その様子の、楽しそうなこと。
本当に描くのが好きなんだなあー。

楽しそうな生徒といると少し調子が良くなった気がしたので、
部活後、帰宅ついでに修学旅行にいるものを買いにいく。
旅行に関係ないけど誕生日だし、
以前からいいなーと思っていた白のアクセサリーを購入。
派手じゃないから、旅行中にもできそう♪

少し旅行が楽しみになってきたけど、その前に体調を整えなければ。
思い返せば、3年前の修学旅行前も熱を出して、
旅行中はずっと解熱剤を飲んでいた。
夜中も起きておかなければいけないから、普通の体調でもしんどい。
でも、そのときの修学旅行では生徒の1日職業体験があって、
ものすごく面白かった。生徒が給仕をしたり、販売したり。
なんだかんだで、残っている記憶は楽しい。


明日は金環日食。
日食は亡くなった祖母と2人で、
ガラスにろうそくの煤をつけて見た記憶がある。
あれっていつだったんだろう?と調べてみると、
1978年と1981年あたりの日食が記憶と合致しそう。
昼間なのに暗くなって、不思議だったという、
うっすらとした、温かい記憶。
昼間に見てたってことは、小学校入学前か。
そうすると1978年ってことになる。ずいぶん昔のことだ。
明日の日食は何にも用意していない。
日食グラスは粗悪品もあって危険、ときく。
今からガラスに煤をつける、という手もあるけど。
UST越しに生中継を見ようかなと思う。
これもまた記憶の一つになるのだろう。

そして今、チョコケーキとコーヒー♪
熱があってもこれは関係ないっ!
チョコケーキは1個400円もする高級なケーキ。
甘すぎず、ちょうどいい。さすが高いだけあるね・・・。

今日くらい、いいよね(^^)。
毎日ちょっとずつ楽しく。
楽しい記憶のアルバムを未来に残したいな。




























うちはうち、よそはよそ!

2012-05-18 22:19:47 | 日記
体育大会が終了。
なかなか全員が揃わずに、前日まで30数回しか跳べなかった大縄跳びも、
本番では178回。
練習ではしらけて声を出さなかった生徒たちも、
勝負となると、知らず知らず、声を張り上げてかけ声をかけていた。
ひっかかっても「落ち着け!」とか「まだまだいける!」とか、
励ましの声をあげてくれる人も現れて、なんだか盛り上がって円陣まで組んでいた。
全くゲンキンなもんだ・・・。

400回も跳んじゃうクラスもあるくらいだから、
本当は178回なんて3年生ではダメだけど、
「うちはうち!よそはよそ!の精神で行こう!うちは100回目標だ!」
と前日に励ましていた。
この言葉に、クラス全体がかなりウケていた。
うちはうち、よそはよそ!
「お金ないところみたいじゃん!」と生徒が笑っていた。


結果的には目標の100回をはるかに超えたのだから、かなり頑張ったと思う。
リレーや個人種目でも頑張ったけど、なかなか上位には食い込めず、
ただ、騎馬戦だけは強いクラスとチームを組んだこともあり優勝。
総合成績は、6クラス中5位。
昨年は優勝クラスだったから、ちょっとさびしいのはあったけど。
でも、満足だった。

日焼けした顔で撮った記念写真では、
今まで有象無象の集団だったのが、
ちょっとだけ「協力できるクラス」の形ができてきているように思えた。
いや、でもまだまだ。。。道のりは険しい。


最近、学ぶことがほんとに多い。
今日も生徒指導で学ぶことがあった。

親がかなりの高学歴だけど、子どもは服装も荒れてて、勉強もしない。
親は、自分自身が努力して勉強して今の地位を築いてきたから、
子どもが何にもやらないのが信じられない。
愛情があるがゆえに子どもの醜態が情けなくてひどく罵ってしまうのだ。

で、その生徒が今日、無断欠席。先生達で近隣を探しまくるが見つからず。
どうやらデートしてたらしいという情報が、
同じクラスの保護者の方からの連絡で後に入る。
明日以降、生徒指導だ。
修学旅行まであと1週間・・・・。問題多し。

親の気持ちもわからなくもない。
親にしてみたら、こうしたら一番良いという最短距離の道筋がわかるから、
愛情ゆえの「上から目線」なんだろうけど、
子どもには基になっている愛情がまず理解できない。子どもだから。
「お前はダメだ!」という言葉だけを鵜呑みにしてしまう。
子どもにしてみたら、親は自分の話を聴いてくれず、頭からいつも否定してばかり、
という風にしかうつらない。かくして、溝が深まっていくのだ。

子どもの心まで降りていくこと。
簡単なようでいて、ものすごく難しい。教育って、なんと大変なことか。
特に、常に上を、向上することを目指してきた高学歴の大人には大変難しいことだ。
(その点では私は良かった。。。)

学校を無断で休んで出かけてしまうことは、いろんな人を心配させる行為だ。
そのことについては、はっきりダメというつもりだけど、
そうするに至った気持ちを、じっくりと耳を傾けて聴かないとなあと思っている。
家庭で、様々あったことが推測されるから。

もうほんとに、教育という仕事に王道なんてない。
うちはうち!よそはよそ!の心で、一人ひとりの子どもに接していこうと思った。







































メンテナンス週間

2012-05-16 22:11:44 | 日記
出張で、遠く離れた坂の多い街に行った。
晴れて、暑かった。坂をのぼるのも一苦労。
そういえば今朝は地震雲を見たな。
明らかに変な雲だ。規則正しく並んでいたり、放射状に広がっていたり。
そういう形の雲を見た時はたいてい、本当に地震があった。
きっとまたあるのだろう。不思議なことではない。

明日は体育大会、係準備も終わり、出張が終わればのんびりと帰れる。
出張は美術科の会議で、話し合いに参加。
美術科の教員になりたての頃は、
他の学校の、年配でベテランの美術の先生たちが怖くて仕方ないように感じた。
総会や研究会で一緒になっても、過度に緊張して話せなかった。
けど、今一緒にお仕事をしているベテランの先生方は、
ベテランだけあって、接し方をよくご存知の方ばかりだなあと思う。
私のように、人見知りの激しい生徒もいるだろう。
そういう人に対してでも、変に気を遣わせないように話してくださる。
表情も、こちらをリラックスさせるものだ。
教員のベテランとは、そういうことも普通にできる人たちだ。

17:30には会議も終わり、電車でいつも通る駅にあるコーヒーショップへ。
30~40分くらいのんびりしようと、席を取ってコーヒー。
最近眠気がすごいので、原因をいろいろ考えて対策を立てる。
とはいえ、

① 疲れが溜まっているかもしれないので、早めに寝る。
② 玉ねぎをたくさん食べる(疲労を取り除く成分が入っているというから)。
③ カルシウムやマグネシウムなどの栄養補助食品(サプリメント)をとってみる。
④ 残業も毎日じゃなくて火・木・金は長めに頑張るなど、リズムを作る。
ぐらいしか思いつかなかった・・・・。

帰りに新たまねぎ(北海道産)と、カルシウムのサプリメントを購入。
カルシウムは違うかなあ。。。でも足りてないかもしれないし。
以前、母がカルシウム剤を送って来たことがあったけど、
その時は「必要ないや!」と思って飲まなかったな。
錠剤を飲むのが昔から苦手だからっていうのもあって・・。
母の愛をあらためて知る。

玉ねぎは炒めるのも好きだけど、煮込んじゃうのが一番いい。
柔らかくなって美味しい。今日はまるまる1個分は食べた。
カルシウム剤も一応飲んだ。
何か効果があればめっけもの!

まあ、歳を重ねていけば年々疲れやすくもなるだろう。
けど、出来る限りのメンテナンスで、
ちょっとでも長く元気に働けるようにしたい。
ベテランの先生方の凄さに、ちょっとでも近づけるように。





















ブラックボックス

2012-05-15 22:01:17 | 日記
豆乳コーヒー二杯目。眠いから。
最近、とにかく眠い。
食事には気をつけているつもりだけど、放射能の影響?とか考えてみる。
内部被曝していると身体がだるくなるらしい。
水もずっと、水道水は飲食用に使っていない。
魚も牛乳も口にしてない。でも心配だ。
ただの睡眠不足だと思いたい。

それは(重大だけど)置いといて、
朝起きたとき、何かの単語がぼーんと頭に浮かぶ事がある。
そういう話を誰ともしたことがないので、他の人もそうなのか
そうでないのかわからないけど、とにかく浮かぶ。

今日は「流し雛」だった。
前後の脈絡なんてわからない。ただ、単語のみ浮かぶ。
ちょっと前は、ほぼ忘れてしまったけど、
なんだか現代美術家っぽい外国人の名前だった。
浮かんだときにメモるか、何度も唱えておかないと、
目が覚めてくるにつれて詳細を忘れてしまう。

今日は朝起きてすぐ何度も声に出して唱えてみたので覚えている。
通勤電車の中で「流し雛」をなんとなく携帯で調べてみた。

【流し雛】
流し雛(ながしびな)は、雛祭りのおおもととなった行事です。
雛祭りの源は、3月3日の上巳の節句の薬草摘みでしたが、
やがて人の形をした紙の人形(かたしろ)で体を撫でて、
それを川に流すことで穢れを祓い、災厄祓いを願いました。
流し雛は、源氏物語の「須磨」にも出てくるほど歴史ある行事です。
やがてこの行事が宮中のひいな遊びへと発展し、雛祭りへと変わっていきます。
現在でも流し雛は、各地に残っています。

・・・・・。
今の自分に何が関係あるのかわからない。
厄払いでもしろってか。
・・・しよかな(。。;)。

夢の中の1シーンだったものが、物語と切り離されて、
現実の中にぽとっと落ちてきたのだろう。
こういう意味のよくわからない単語が、朝突然、頭に降って来る。

授業以外ではあんまりしゃべらないし、仕事も大抵1人で
美術室に閉じこもってしている。
終わったら早く解放されたいので、そそくさと帰る。
私の1日は規則正しくて、そして単調だ。
どこからへんてこりんな単語が出て来るんだろう。
人間の心とか頭って、一体どうなっているのだろう。

先日購入した「よくわかる キリスト教美術」の本を読み終わった。
それにしてもキリスト教の話は良くも悪くも劇的で、人の心を引きつけるものだ。
長い間にわたって、人の心を支配してこれたのもよくわかる。
絵画の中で棕櫚の木を持っている人はたいがい殉教者だってのははじめて知った。
絵の中で、殉教者を讃えている。
しかし何かの思想のために死を選ぶってのを拍手喝采するのは、やっぱり残酷だ。
で、信じない人間に対しても徹底的に残酷なんだな、キリスト教。
宗教美術を見ると、それを信じる人々の精神構造をも見ることにもなるから面白い。
人間の心と頭の中は、ほんとうに摩訶不思議。

明日の朝も、何か前後文脈意味不明な単語が飛び出すのだろうか。
まさに人の頭と心はブラックボックス。
面白い謎は、案外自分という身近なところにあるのかもしれない。