しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

小さき者も高みを目指す

2015-05-31 10:28:19 | 日記
昨日の地震は長過ぎて焦った。
自宅は5階にあるので、結構揺れた。
地震には慣れたとはいえ、
昨日のは、「逃げなきゃやばいかな、箱根、ついにいっちゃったのかな・・」
とか、いろいろなことが心を去来した。


Twitterでみんながつぶやいている様にちょっと安心する。
Twitterって人と繋がってる感がものすごくあって、
大規模災害があったとき、
情報が流れて来るという実質的な利点を度外視しても、
どれほど慰めになるか知れないという大きな心理的利点があると思う。
東日本大震災のときだってそうだった。
みんなの集合意識が実体化したみたいで凄いな。


先日、学活中にも地震があった。
すぐに机の下に隠れる指示を出した。
しかし生徒は地震にはもう慣れている。
地震がやんでしばらくしたら、また普通に学活を再開した。
でも、普通になってしまうのは実はまずいことだ。
『恒常性バイアス』だっけ、危機感がなくなり、いざというとき逃げられなくなる。



もうすぐ3学年のビッグイベントである修学旅行。
生徒たちのワクワク感はこちらにまでビシビシ伝わってくる。
大人の事情的に言わせてもらえば修学旅行は「学習」の一環だけど、
生徒目線ではそれどころでなない(笑)。非日常の極みだもの。
この懐かしい感覚。
学年会での「新幹線デッキと宿舎のロビーはマジで『告白祭り』になるから気をつけろ!」
の発言にみんな大爆笑。
デッキには担当職員つけなきゃ!!
混むと一般の人の邪魔になるから! てか混むのか・・・(笑)。



夜遅くまで学年会をする日も増えてきたけど、
大規模災害が起こったときの対応策についても考えた。
そういえばそれって、3年前は考えなかったなあ・・。

いつ起こっても嫌だけど、
特に1日目の京都で、生徒たちだけで行動する班別自主行動時に何か起こるのが怖い。
担当職員は時間帯によって変わるけど、
誰かが常にいる清水寺と金閣寺、
そして本部のある宿舎の3カ所を集合・避難先にする。
その中で一番近いところに向かうこと、とした。

子ども達の動きって、それでなくても予想不可なところがあるから、
+自然災害なんて、ほんとにごめんこうむりたい。
特に人手が足りなくて、ボランティアさんを2名も連れて行くし、
何もないことを祈るばかりだ。


学年会での、先生たちの詳細かつ熱い話し合いにちょっと安心する。
いい先生が入ってきてくれたら学年の雰囲気って変わるものだ。
昨年まで、南国チックでどことなく怠惰な雰囲気があった(?)うちの学年だけど、
他校の学年主任経験者で、
昨年、修学旅行の実質計画を全て1人で立てたS先生が細やかに意見を出してくれたおかげで、
今年の修学旅行細案は結果、きっちりしている。

案を立てたのは6年目の若いM先生で、
熱心だし真面目だし3年前に修学旅行には行っているけども、
案立ては初めてだったから細かいところまでわからない。
そこをS先生がしっかりとフォローしてくれた。

普段は面白くて変なことばかり隣の席で言っていて、
こっちはいつも爆笑してしまうS先生だけど、
さすがは数学科、いざとなると細か過ぎるくらい細かいところまで気にかけているので、
うちの学年にはかつてない神経質なほど細か過ぎるキャラ(?)でありがたかった。

S先生は同じ学年の仲間として普段のバカ話を通して既に慣れ親しんでいるけど、
この人の『スイッチ』が入ったらなんとなく背筋がピンとする。
普段はとても穏やかかつ面白い人なので、
前任校でS先生が持っていた部活が『まるで軍隊』、
と他の先生に密かに噂されていたのが全く信じられなかった。
でもスイッチが入ったときのS先生の雰囲気を見てると、
この人の本来持っている厳しさとか、底知れぬ怖さと頭の回転の速さが伝わってきた。
確かに『軍隊』を育てることのできる人だ。本当に怖い人は、一見、穏やかだ。


私が普通に相当バカなことを話しているのを見て、
他の先生たちから「・・・怖くないの?」と聞かれたりもよくするので、
本人に自覚してもらおうと思って、
「時々、めちゃくちゃ怖いよ。」というと、
「俺みたいに優しい男はいないよ。人見知りだし酒は全然飲めないし・・怖いかなあ?」と返された。
そういうことじゃない(笑)。優しいとは思うけど自分の二重性を全然わかっていない。
「時々にゅっと顔を出す人格が、とっても怖いやつなんだよ(笑)。」と真実を伝えておいた。


なにはともあれ、この先生が加わったことで学年職員の雰囲気が一気にぴしっと熱くなった。
ありがたいことだ。
特に若い先生には、仕事の仕方や視点の持ち方で結構いい影響を与えるはず。



人なんて、なんてちっぽけな存在なんだろうと思うことが増えた。
うちは箱根からそんなに離れていない。
もし箱根に何かあったら、すぐに逃げなければいけない。
自然の前では、人はなんてちっぽけなんだろう。だから傲慢になってはいけない。
神様がもしいるとすれば、そんなことを私たちに伝えようとしてるかのようだ。



武術の師範から、昨日Facebookを通じてメッセージをもらった。
食品の害についての記事だ。コーラの害、食品添加物の害。
私が直接、子どもと接する仕事をしているのを知っていてのこと。
最後にこう付け加えてあって、じんときた。


「君自身のため、生徒のために自分を高めてください。」


どれほどちっぽけな存在であっても、努力や謙虚さを忘れてはいけない。
周囲に起こることや取り巻く人々が、私にそう伝えていると感じた。






























底知れぬから、好き

2015-05-16 23:59:55 | 日記
旅に出たのが先週のこととはとても思えない。
ペトラ・ブッシュ『漆黒の森』を読み終わり、面白かったこともあって、
この本の訳者・酒寄進一さんがあとがきで勧めていたドイツミステリを買ってみた。
小説自体ももちろんいいんだけども、この訳者の方の訳がとても上手い。
海外文学の面白さの半分は訳者の方の力だと思う。


・フェルディナント・フォン・シーラッハ 『犯罪』
・ネレ・ノイハウス 『白雪姫には死んでもらう 』

の2冊。
まとめて読む時間はあまりなかったので、通勤時間に少しずつ読んだり、
今週は2回出張があったので、出張の帰りに出先でコーヒー1杯で1時間ほど本を読んだり。
ミステリ好きが高じて文学全般が好きになったのに、
社会人になってからはあまり読めていなかった。久しぶりのミステリ三昧にワクワクした。


フェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』は、短編集のような形式。
起承転結がとても緩やかで淡々としていて、不思議な後味の小説だけど、
昔好きだったサキの小説の雰囲気を思い出させた。日本人にはない、乾いた感覚が良かった。
乾いているけど、深みがある。
フェルディナント・フォン・シーラッハが普通の小説家ではなく、
弁護士という別の仕事を持っていることが関係しているような気がする。

全ての小説にリンゴが登場するということは、最後まで気がつかなかった。
読み終わった日の夜、不思議な夢をみた。
キリスト教に関する夢で、たぶんこの小説の影響だろうと思った。
罪とは何だろうと、しばらく考えこんでしまった。

次に読んだネレ・ノイハウスの『白雪姫には死んでもらう 』は、
『犯罪』が哲学的な作品(と思った)だったのに対して、
完全にエンターテイメントの側面が強い小説だった。
同じドイツミステリ分野でも、かなり路線が違う。

それもそのはず、
調べてみるとネレ・ノイハウスは「ドイツミステリの女王」(このとき、初めて女性であることを知った!)
すなわち一時期の山村美紗氏みたい(?)な扱いを本国で受けている超売れっ子作家だった。

オリヴァーとピアという男女の刑事が主役で、この2人の人物がとても魅力的。
事件とは関係ない、それぞれの家庭のストーリーも組み込まれていて、
これって海外ドラマの脚本にそのままして欲しい!と思ってしまうくらいだった。
映像で見てみたい!絶対面白い!

2人の少女殺しという無実の罪で、
11年の有罪判決を受けてしまった青年トビアスが出所したことから始まった物語。
彼の帰りを望まない村、村人全員がなんだかおかしい・・・・と、舞台も充分!
犯人候補が多過ぎて、もう登場人物みんな怪しいくらいに中盤から思ってしまうけど、
真実がわかるにつれて、ふええ・・・人間って怖い・・・・・・。
あと、この小説でも『漆黒の森』でもキーとなったのが自閉症の男性の存在。

特に『漆黒の森』での自閉症男性の心の表現が本国で話題になったそう。
作者が自閉症の方に長い期間接して、かなり綿密な取材をもとにして作られたキャラクターなんだそうだ。

全ての人を『花』として見ていたこの男性の心象風景にはとても驚いた。
ものすごい風景だ・・・。
また、どんどん連想ゲームのように思考が『跳ねている』状態にも。
私たちの知覚世界では到底、到達することのできない世界観だった。
気になる人はぜひ『漆黒の森』を読んで欲しい。


『白雪姫には死んでもらう 』でも、偶然、事件を見てしまった自閉症の青年が事件の鍵を握っていた。
しかし、彼はしゃべることができないのだ。彼をめぐる人々の思惑が交錯する様子も怖い。

それにしても驚きの結末。
途中から犯人はわかるように書いてあるのだけど、
それに手を貸した人間があの人だったとは!!!!!!
結末まで読みたいがために、毎日の電車通勤時間がどれだけ待ちどおしかったか。


昨日読み終わり、
すぐにでもまたフェルディナント・フォン・シーラッハかネレ・ノイハウスのを読みたい!
と思い、少し時間があったので武術の練習前に駅内にある本屋さんへ。
小さな街の本屋さんなのでないかもしれないなあと思ったら、
ネレ・ノイハウスの『深い疵』があった。


武術の帰りの電車で早速読み始めたら、
どうやら『白雪姫には死んでもらう 』の方が『深い疵』よりも後の話なんだそうだ。
事件は別の話だけど、同じシリーズでオリヴァーとピアが出てくるので、
ああ、オリヴァーはこのあと・・・!とか、
それぞれのプライベートの行く末を知っちゃってるところがちょっと残念(笑)。
とはいえ、今回のも面白そうだ。

海外文学全般に訳に時間がかかるだろうから、どんどん出てくるわけでもないだろう。
今、私の中ではたまたま出会ったドイツミステリが熱いけど、
そのうちドイツ以外の国の最近のミステリも読みたい。


どの国にいても、人間って底知れない恐ろしさや魅力を持ってるなあとミステリを読むといつも思う。


































新旧・龍に会いに!

2015-05-06 23:04:10 | 日記
今年のゴールデンウイークは休みを満喫できたと思う。

昨日は、六本木シネマートの『香港電影天堂 最終章』を観に行く。

ちなみにここの映画館、もうすぐ閉館してしまうらしい。もったいないな・・・。

前日までの旅では睡眠時間がえらく少なかったこともあって、
昼過ぎまで寝ていて、しかものんびりと支度していたので、
16時10分の『燃えよ!じじいドラゴン!』の回にギリギリ間に合った。
往年の功夫スターであるブルース・リャンとかチェン・クア­ンタイとかが出ている。
見たい!って思った。
けどこの邦題だけみると、ギャグなのかなって・・・思うよね。
とても小さいところで、お客さんはだいたい20人くらいだったと思う。
老若男女いろいろだった。みんな、功夫映画ファンだろうなと思うと嬉しくなった。

燃えよ!じじぃドラゴン 龍虎激闘 日本語付予告.wmv


確かに面白いシーン満載だった。
何度も映画館から一斉に笑いが起こった。何度も吹き出した。
映画館で観るって、こういうとき一体感を感じられて楽しいよね。
60歳を過ぎているというブルース・リャンやチェン・クア­ンタイのアクション、
体型が変わってはいても、素晴らしく力強く鋭かった。観てて爽快だった。
若いときから鍛えているというのは大事なことだ。

しかし途中から涙が止まらなくなった。

まずは、30年間意識を失っていた師父の意識が戻り、
歳をとってしまった二人の弟子に語りかけるシーンで泣いた。
相当、破天荒な師父(若い女の子をナンパしたりしてる~)として描かれているのだけど、
このシーンの師父は本当に思い遣り深い言葉を2人にかけるのだ。
そして次の日の朝、突然亡くなってしまう。
前夜のあの言葉は、別れの言葉だったことを知る2人。

若者とブルース・リャンが真剣勝負をするシーン。
怪我で不自由な足を引きずり、必死で闘うブルース・リャン。
互角の闘いをするけれど、途中から足が限界を迎える、立てない。
若者ははっとして手を止める。(この若者も、真剣に武術のことを考えている青年として描かれている)
膝を着いたまま、拳で相手を打ち続けるが、力が入っていない。
そのうち、倒れ、大声でリャンは笑い始める。
周囲は一瞬驚くが、相手側の師父とチェン・クア­ンタイはすぐに何かを察する。
2人の闘いをみていたもう一人の若者は「?」という顔をして理解できないと言うけれど、
相手側の師父は「・・・おまえも歳を取ったらわかる。」と静かに言う。

そしていつしかリャンの声は、押し殺したような泣き声に変わっていた・・・。



ギャグ映画だとばかり思っていたら、
歳を取ることの悲哀や武術家としての矜持、
そんなところまでしっかりと描かれていた。
最後、「・・・おまえも歳を取ったらわかる。」のところから、
もう涙が止まらなくなって、明かりがつく直前に急いでハンカチで目元を拭った。

客席のあちこちから「何度観てもいいよね・・。」という声が聞こえた。
何度も観てるお客さんが多かったのだ。それだけ良い映画だったということ。

1時間あったので、近くにコーヒーを買いにいく。
次は、ジェット・リーと金城武の『冒険王』だ。

映画『冒険王』 オリジナル劇場予告編


こちらも、冒険活劇かなと思ってたら、半分間違っていた。
何と、ジェット・リーは小説家の役!
自分が書いている「冒険王」という小説の中でだけ、
彼は英雄として振る舞えるのだけど、
日常生活では妻と上手くいっておらず、
離婚の危機を迎えてストレスを抱えてイライラしている。
現実の世界と「冒険王」の世界の2つのストーリーが同時並行で進行するという話。

「冒険王」のジェットはいつも通り無敵で、アクションがかっこいい。
ワンチャイシリーズで相手役だったロザムンド・クワンが今回も妻役なのは嬉しかった。
ロザムンド・クワン、ほんと美しい・・・!
中華圏の女優さんの美しさはハンパない。


通常生活の方のジェットの役が新鮮だった。運転も下手、臆病者・・・。
でもどう転んでも可愛いのが、ジェット・リー。
昔のドラマっぽい映画だったけど、ジェットが可愛いから満足。
ついでに、金城武もとってもキュートだった!

でも映画として上なのは、「燃えよ!じじいドラゴン!」の方かな。
邦題なんとかして欲しいなあ・・・・。

家に帰って、ようやく手に入ったドイツの推理小説作家・ペトラ・ブッシュの『漆黒の森』を読み始めた。
これもまた素晴らしかったのだけど、しかしそれはまた別の話として書こう。

好きなことばかりしたゴールデンウイークだった。
最後は、新旧のドラゴン(功夫スターのことだよ!)にも会えて、大満足!
日々の生活の中にも、ちょっとした満足を毎日入れていきたいね。
















静寂の旅 琵琶湖と京都 2日目 その8(ラスト) 

2015-05-05 02:37:03 | 日記
どうしよう、もう「その8」になってしまった。
この辺で終わらせないと・・・。読んでくださっている人、本当に長々とすみません。

Way to the Danrinji temple.(なんか英語で言いたかっただけ。)


で、檀林寺。
  

一言で言うと、ここの霊宝館はヤバいぞ(笑)!
霊宝館の写真撮影は禁止だったので、言葉でしか書けないけど、
例えば、飛鳥時代に作られたという国宝級の夢違観世音菩薩が腰までくらいの高さの木の柵だけでガラスもなく、
どっかーんとそこに安置してある。触ろうとすれば触れる、これ・・・。
いろんな時代のいろんなお宝がものすごーく無造作に置かれている。
全部筆で、手描きで説明が入っている。
しかも全てが宇宙のパワーで解決・・・的な下手したらかなりオカルト的な説明がついているものもあった。
(これだけでも撮影したかった・・・説明できないっ。)
おおらかなのか適当なのか。まあ同じことだけど。

このお寺自体は、平安時代の始めに嵯峨天皇の皇后が創設したもので、由緒正しいものだ。
嵯峨天皇の皇后である橘嘉智子は容姿端麗、徳も高く、技芸を愛する優秀な女性で、
この地に仏教を信仰するための壮大な寺院を作った。これが檀林寺。
平安時代初期の仏教と文化の一中心地だったという。


そんな楽しい檀林寺を後にして、嵯峨野を歩く。
結構、ツッコミどころ満載かもしれないよ、嵯峨野。



工事をしていたから入るのをやめた常寂光寺。

小倉池のほとりにあった、不思議な神社。御髪神社。
ねえ、ここ、髪のことだけしか願えないの????髪だけ?髪だけ?
 

トロッコ電車は1時間先のも予約でいっぱいだった。乗れない。


野宮神社。恋愛の神様なんだって。参拝に人が並んでいた。激混み・・・。
でもよーく見ると、奥の方に縁切りする水たまりみたいなのがあったりする・・・。
どっちなんでしょ。恋愛事は一気に引き受けますってこと?
しかし緑と赤のコントラストが美しい神社。
  

ちなみに食べたおやつシリーズ。
嵐山まで来て、今日も食べたソフトクリーム。
ほうじ茶ソフトで。さっぱりしてて美味しいんだよね。



あとアップするのを忘れていたので。祇王寺を出たところ。
祇王、仏御前、そして祇女や母刀自にも捧げたいような、白い花が咲いていた。


まとまりのない話になってしまったかもしれない。
けれど、2日間を通して考えたことは「心の中の静けさ」についてだった。

新学期になって、いろいろ考えて心が波打つときも多かった。
あまりぐらぐらと心が動くタイプでもないけど、そんな私でもこんな時がある。
目に映るもの全てが何かの暗喩だと思えば、日々疲れるかもしれないけど、
そういう側面も確かにあると思う。

静かな水、呼吸を調える、数を無心に数える、物事は常に流れ、変わって行く。
今回、目にする風景が私に示していたのは、
心の静寂を自ら作り出す方法へのヒントだったのではないか。

武術の型練習では、毎回、気を丹田に鎮めろと言われる。
最初、型に入る前も、気を鎮めるアクションから入るくらいだ。
鋭く速く、力強い技を繰り出すのに、最も必要なことだからだ。

静寂から、力強さが生まれる。
とても大切な学びがあったと思う。
そして、京都のソフトクリーム美味しかったよー!!
(最後はそれか・・・・。)

















静寂の旅 琵琶湖と京都 2日目 その7  

2015-05-05 01:31:57 | 日記
地図を拡大してみる。奥嵯峨と言われるところのイラストマップ。
ちなみにオレンジ色の蛍光ペンのところは、地図をくれたお店。
最初から蛍光ペンでマークがついてた。今回の話では、申し訳ないけど関係ない。


気がついた方がいらっしゃるだろうか。
この写真だけで気がつかれた方は凄い。




私がいた寿楽庵の隣に、小さい文字で「寂庵」とある。
うん? どこかで聞いたことのある名前だ・・・。

「お庭の壁の向こうに棟が見えはるでしょ。
そこ、「ジャクチョー」さんが普段暮らしていらっしゃるところですよ。今日もいらっしゃるはず。
だから、そちらを向いていただいた方がいいかなあって。」
私が座っているところから20mくらいしか離れていない。



・・・あ!!!「ジャクチョー」さんって、「寂聴」さんか!!

とすると「寂庵」って、瀬戸内寂聴さんのお宅だ・・・!!!
「え!瀬戸内寂聴さん、今、そこにいらっしゃるんですか!?」
「そうですよ。すぐそこに。みなさん、聞いてびっくりしはります。
どうぞ、お土産話にしてくださいな。」

あの壁からお姿が見えることもあるのだろう。
うちの母が寂聴さんの法話の本やCDセットを持っていたりして、寂聴さんの大ファンなのだ。
連れて来てあげれば大喜びしそうだなあ。
壁を越えようとするかも・・・。


とか言っている間ににしんそばができる。
雨が少し冷たくて、身体が冷えていたので温かい麺は嬉しかった。
初めて食べた。美味しい。


「今からどこか行かれるん?」と聞かれたので、
「このあたりを回ろうと思います。」と答えると、
「祇王寺は女性なら絶対行って欲しいところです。ぜひ、行ってみてください。」
と言われた。

既に計画表とは違う動きをしていて、ノープランだったので、
お会計を済ませて、
勧められるままに祇王寺へ。
どういう由来のあるお寺かも知らないまま行ったのだけど、
パンフレットや説明ボードを見て、心打たれた。

ここは「平家物語」の『祇王』という物語に由来するお寺だ。
この『祇王』という話、女性なら絶対、ぐっとくるものがあるのではないか。
女性の人生は往々にしてこういうエピソードには事欠かない。
だからさっきのお店の方が勧めてくださった意味もわかる。

特に、あとで気がついたんだけど、
結構うら寂しい奥嵯峨を一人で旅してる女性なんて、
客観的に見たら、失恋でもして世を儚んでいると思われてもおかしくない・・・。
あー、よくよく考えたらそうかも、そう思われたかも・・。
うーん・・・人生は素晴らしいと思っているんだけど、まあいいか。

ところでこの物語には、平清盛と白拍子の祇王、そして同じく白拍子の仏御前という女性が登場する。



「平家物語 祇王」
都にきこえた白拍子の祇王、祇女という姉妹があった。
姉の祇王は平清盛の寵愛を得て、妹も有名になり、安穏に暮らしていた。

ところが、仏御前と呼ばれる白拍子が清盛の屋敷に現れ、舞をお目にかけたいと申し出る。
清盛は怒って門前払いをしようとしたが、祇王が優しく取りなし、
仏御前は清盛の前で今様を歌うことになった。
仏御前は美しく、声も節も上手であったため、清盛はたちまち仏御前に心変わりしてしまう。
昨日までの寵愛が嘘のように、祇王は館を追い出されることになってしまうのだ。

その後、清盛は祇王に追い打ちをかけるようなことをする。
仏御前の元気がないので、彼女を励ますためにお前が館に来て歌え、と祇王に命令したのだ。
言われるままに祇王は歌ったものの、ショックで心はボロボロになる。

祇王、祇女、そして母刀自の三人は髪を剃って尼となり、
嵯峨の山里、今の祇王寺の地に世を捨てて仏門に入る。

母子三人で念仏を唱えていると、竹の網戸をたたくものがある。
出てみると、思いがけずそこにはあの仏御前の姿があった。

「祇王の不幸を思うにつれ、無常を感じ、今朝、館を出て参りました。」

仏御前が被っていた衣をとると、剃髪した尼の姿になっていた。
若干17歳の仏御前のそんな姿をみて、祇王は全ての恨みつらみを忘れ、
四人が一緒に暮らし、念仏を唱え、極楽往生の本懐を遂げた。





というストーリー。
この時、祇王もまだ21歳だったという。女性が美しいときだよ。
平清盛、お前がただのスケベじじいなだけじゃん!という話(じゃない)。


まあ一般化するのは悪いけど、
男の人って、こういう無神経なところが往々にしてあるよね。
っていうか、生物学的にこういうものなのかもって。

でも、恋敵だったはずの2人の白拍子が一緒に相手を思い遣って暮らしたという話は、
人間愛を感じる話で、結構、心に響いた。
それに比べて、どこぞのドラマの女同士のドロドロとか、人間の真心をバカにしてる、浅はかなもんだよね。

   

祇王と仏御前のお墓があった。
二人の人生と思いやり深い、優しい魂に対して、思わず心から手を合わせた。



近くの檀林寺へ。ここは別の意味でツボだった。






























静寂の旅 琵琶湖と京都 2日目 その6  

2015-05-05 00:28:04 | 日記
『化野念仏寺へ近道4分』の標示を辿り、雨の中を歩いた。
化野念仏寺の入口まで来たとき、ようやく一組の海外からの観光客の方々を目にした。
日本人のガイドさんが流暢な英語でこのお寺の来歴を説明しているらしかった。

化野念仏寺(境内に入ると写真撮影禁止)

中に入ると、地元の方らしいお参りの人が数名いらっしゃった。
そうだ、ここは水子の霊も祀るお墓なんだ。

壊れて首のない地蔵や、苔むした地蔵。無縁仏は8000体ほどあるという。
だけど不気味とか怖いという気は不思議としなかった。
いろんなしがらみや苦しみからようやく自由になり、
今、たくさんの魂と共に静かに平穏に眠っていらっしゃる…
よかった、ここならきっと寂しくない。
逆に生きてる人が励まされる場所のように思えた。来てよかった。

化野念仏寺に貼ってあった。日々、自分を振り返れということか。




化野念仏寺の山道のお土産屋さんはほとんど開いておらず、2軒だけ営業中だった。
中に入らなくてすみません、と心の中で謝りながらお店を通り過ぎた。
通り過ぎた後で、バス停がこっちじゃなかったことに気がついた。
また戻るとなるとお店の前を通らなければいけないから苦痛だ…。


仕方ないから嵐山方面まで歩くことにした。
元々、嵯峨野は散策に適したところなのだから。
誰も店の人の姿がみえない店先に「どうぞご自由にお取りください。」と手描きの嵯峨野散策イラストマップがおいてあった。
一枚いただく。

降り続く雨に少し疲れて、どこかで休みたくなった。
みると、営業してるのかしてないのかわからないくらい微妙な灯りが灯ってる店があった。
店頭にメニューは出てる。やっているようだった。緑がうっそうとしてる。

勇気を出して、入ってみた。
あれ?誰もいない…。
 
厨房を覗くと、年配の女性とアルバイトらしき学生風の女の子がご飯を食べていたようだった。
のんびりしてる・・・。


「あ、いらっしゃいませ、お一人さまですか?どうぞ。」と案内された先には誰も他のお客さんはいなかった。
まあ、もともと参道にも人はいなかったもんなあ…。

昔の田舎の家のような和室。時間が止まってるようだ。
お庭がとてもきれいだったので、そちらが見えるように座った。
    
1枚目の写真の紙に書いていることは「150年前のガラス戸なので触らないでください」。



京都名物のにしんそばを注文して、
ぼんやりと先ほどいただいてきたイラストマップをみていた。
お茶を持ってきてくれた大学生風の女の子に、
「この地図上だと、今いるお店はどのあたりになるんですか?」と尋ねると、
「あ、ちょっと聞いてきます。」と地図を持って奥に入って行った。

代わりに年配の女性が地図を持って、ここですよ、と店の名前を書き加えてくださった。

この写真じゃあ見えないか・・・。
寿楽庵。そんな名前の感じだよなあ、と思った。


「こちら側にお座りになった方がいいですよ。」とその女性がおっしゃった。
ガラスの引き戸の向こうに、もう一軒、家があるのが見えた。
こちらは庭がよく見えるのに、何故そっちをすすめるのだろう?


その理由は、今日一番の驚きだった。

静寂の旅 琵琶湖と京都 2日目 その5  

2015-05-04 23:54:03 | 日記
どうしようか迷ったけれど、まだお昼前。
とりあえず混んでるのは覚悟で嵐山方面に行ってみることにした。
京都駅に戻り、山陰本線(嵯峨野線)に乗り込む。
嵯峨野線はアナウンスがあまり入らないので、
気合を入れて周囲をみていないと、目的地でおりられない。
もう少しで乗り過ごすところだった。

嵯峨嵐山駅到着。
雨が降ったりやんだりの天候だけど、さすがは人気スポット。
人出はかなり多かった。天龍寺方面に向かって進む。

天龍寺の庭園をみてきた。日本画の世界がそこに広がっていた。植物の宝庫。
   

そして嵐山と言えば、お約束の渡月橋へ。


そして竹林。
海外からの旅行者も、しきりに「バンブー」という単語を発していた。
雨のせいで、緑が生き生きしている。どこまで行っても竹、竹。
同じような写真になってしまう。
  


さて、本当に行きたいのは嵐山のその先、嵯峨野の化野念仏寺だった。
しかし化野念仏寺は京都の西のはじ、風葬、葬送の地。
約1200年前、弘法大師がここで野ざらしになっていた遺骸を集め、
埋葬したという。それが始まり。


「化野」の「化(あだし)」とは、「はかない」「むなしい」という意味で、
また「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化ることや、
極楽浄土に往生する願いなどを意図している。【化野念仏寺のパンフレットより】


大学生のときからずっと気になっていたけれど軽い気持ちで行ってはいけないところに思えて、
結局行けないまま京都を離れてしまったのだった。

嵐山のバス停に行ってみた。

市バスではなく京都バスの鳴滝行きに乗って鳥居本で降りて歩くらしい。
バスが少ないなら縁がなかったと思ってやめようと思っていた。
時刻表をみると、一時間に2本、そのうちの1本が3分前に発車したことを示していた。

あ、さっき出たばかりなのか…。
どうしよう、待とうかな、それとも縁がなかったと思って他のところに行こうかな…。

煮え切らずグタグタ迷っていると、目の前にまさにその鳴滝行きのバスがすっと入ってきた。
どうやら遅れていたらしい。縁がある、覚悟を決めて乗り込んだ。
雨脚が少し強くなってきていた。

大覚寺前で元々少なかった乗客がほとんど降りた。
乗客がほとんどいないバスは寂しい山路をひたすら登って行く。
空はどんより灰色。鳥居本に到着した。
あたりには人影がなかった。
ああ、ものすごく寂しいところにきちゃったなあ…と、そのとき、激しく後悔した。

静寂の旅 琵琶湖と京都 2日目 その4

2015-05-04 23:30:08 | 日記
8時からの坐禅体験のため、7時前にチェックアウトし、
大津駅から京都駅、奈良線で一駅の東福寺駅へ。
勝林寺(読み方は『しょうりんじ』、微妙に嬉しい!)は東福寺の北方、
つまり鬼門にあたるところに位置してるお寺で、
勝利の神である毘沙門天をおまつりし、東福寺を守護する禅寺。
  


10分前に集合の連絡がメールできていたので7時50分には参加者が揃った。
全部で15名、3分の2の10名が女性だった。
おそらくアメリカ人らしい、若いカップルも参加していた。

お寺の住職さん(まだ30代半ばくらいの若い方だった)が足の組み方や手の形などを説明してくれた。
「目は1mくらい先を伏せ目がちに見ているのか良いです。
目を閉じると眠ってしまうことがあります。
また、10数えながら息をゆっくり吐き、
すっと吸うというのを繰り返していると雑念が消えていきますよ。
雑念が出てきたら、額縁やテレビの中の映像を見ているような気持ちで流しっぱなしにしていると、いつしか消えていきます。」とおっしゃった。
坐禅のことは全くわからないので、
とりあえず言われた通りやってみることにした。
太ももの上に足をのせて組むのだけど、一苦労、そして足首が固いのかとにかく痛い!
「痛いときは、静かに足を下げていいですよ。」と、すかさず。
15分間×2セット。間に5分の休憩が入る。


鈴の音と「バシッ」という何か(木?)を強く弾いたような鋭い音で坐禅が始まった。
警策(きょうさく)という木の棒を持って、お坊さんが参加者の前を巡回する。
体験なのでお坊さん側から叩くことはないけれど、
お坊さんが巡回してこられた時に手を合わせると、一礼して叩いてくださる。
警策で叩くことは罰ではなく、
文殊菩薩様からの「励まし」を意味しているという。
おまえ頑張れよ!ってことね。
「せっかくだから警策も体験してみてください。」と始まる前にお坊さんがおっしゃっていたので、
2セット目から参加者のみなさん、手を合わせ始めた。
私も手を合わせて合図し、警策で叩いていただいた。
手を合わせてこちらも一礼し、頭を下げたままの姿勢にしておくと、
警策で両肩の肩甲骨あたりを叩いてくださる。意外に痛い。。
あとでお坊さんがおっしゃったところによると、
本物の雲水(修行中の僧)が受ける警策の痛みは激しいものらしい。
慣れないうちは血がにじむこともあるとか。
「どこのお寺とは言いませんけど、
体験でもかなり激しく打つお寺もありますから気をつけてください。」ともおっしゃっていた。
…ふええ。

それにしても坐禅後、始まる前より本当に心が穏やかになった。
いやいや、ほんとに!

数を数えて半眼で呼吸を繰り返していただけなのに…確かに雑念は湧き起こる。
でもお坊さんに言われたように、
極力、額縁の中の映像のように意識してみていると、ほんとにすぅーっと消えて行く。
そして鳥のさえずりと、時々強くなる「サァー」という雨の音だけが聞こえるのだった。

「『調息、調体、調心』(だったと思う)が大切なんですよ。
普段の生活の中でも簡単にできることですから、ぜひやってみてください。」と最後におっしゃった。


心って、こんなふうに取り扱うものなのか。
みんな普通に知ってることなのだろうか。
私にとってはものすごく大きな発見だった。
心の取り扱い方法なんて、誰も教えてくれないもんね。

終了後、精進料理が振る舞われた。

いただく前に、これを読み上げる。

音が難しい。お坊さんの後について言わないと読み方がわからない。
胡麻豆腐や煮物、お粥、漬け物などとても美味しくいただいた。お粥はお代わり自由。
隣に座っていたおそらくヨーロッパ系ではないアメリカ人女性は、
ほとんどどれにも手を付けていなかった。
梅干しもダメだったらしい、吐き出していた。美味しいのになー。

精進料理を食べ終わった後、お坊さんがお話してくださったところによると、
釈迦が悟りを開いた日を最後にした7日間、
雲水たちによる不眠不休(!)の坐禅修行がこのお寺では行われるという。
畳よりもかなり高い位置に座って坐禅を組むため、
眠気で転がり落ちてしまうこともあるという。
最初の2~3日は眠くて仕方ないらしい。それはそうだろう。
しかし4日を過ぎたあたりから眠気も少なくなり心が冴えてくるそうだ。
そういう状態で禅問答を老師と行うという。
…それほんとなの…?!
お寺の、特に禅宗のお寺ってやることが激しい。

あ、そういえば『少林寺』の方も禅寺だったな。
厳しい武術の修行をしてたな、リンチェイも(映画で!)。

・・・今日はこのくだりはいらない。


お坊さんの語りが上手で食事後の楽しいひとときを過ごし、
2時間ほどの坐禅体験はおひらきとなった。
ごく近くの東福寺へ。
大学1年のとき、ごく近所に住んでたのに行ったことがなかった。
こんなに美しいところだなんて全然知らなかった。
  
元々は桜の名所だったのだけど、
修行の邪魔になるということで桜の木を全て伐採し、
代わりにもみじを植えたという逸話が残っていると、勝林寺のお坊さんがおっしゃっていた。

青もみじが眩しい。しかも混んでない。
しばらく座ってお庭を鑑賞した。
心が穏やかだと、見えてる世界全てが穏やかに映る。

静寂の旅 琵琶湖と京都 その3

2015-05-04 01:18:32 | 日記
清水道で降りると、しばらくしてこの風景が見える。
京都って感じだよなあ、八坂の塔。


ベタ過ぎるほどベタなんだけど、ここが落ち着く。
二年坂の方に出ると、18時を過ぎていたけど、そこそこ人はいた。

お昼ご飯を食べていなかったことを突然思い出し、この辺りでご飯にすることにした。
『名代おめん』という銀閣寺に本店のあるうどん屋さんが高台寺付近にもあって、
まだ空いているようだったので飛び込む。

空豆の白和え、カツオのたたき、旬の野菜の煮物。お惣菜3種。

そしてここの名物の「おめん」。たくさんの野菜をだし汁に入れて食べるつけ麺だった。
うどんだから、と思って油断していたら、
意外に結構な量だった。お腹いっぱい。

まだ19時なので、高台寺付近をブラブラしていた。
高台寺は前回も夜間拝観しているし、もういいかなと思っていたら、
今日はプロジェクション・マッピングをしているというので入ってみた。
『高台寺 小宇宙』という名前でやっていた。夜のお寺はそれでなくても神秘的なのに、
光を当てて、よりいっそう名状し難いものになっていた。安っぽくならない程度ならいいけど・・・。

  

高台寺の向かいのお寺でも小規模なプロジェクション・マッピングをしていた。


プロジェクション・マッピングより、
鏡面のような池に映る木々とか、竹林の方が正直言うと美しかった。
  

高台寺を出て徒歩で北上する。暑くも寒くもない。どこまでも歩けそうだった。
八坂神社到着。
夜でも人が結構いる。夜の神社はどこか色っぽい。


祇園付近。ぶれた。

もしかして空いてるかも・・と淡い期待をして前を通ってみた祇園辻利は全くもって20時過ぎても混んでいた。
どんだけ人気なの・・・。
仕方ないので、テイクアウトのグリーンティーだけ買ってみた。濃くて美味しい。本日2品目のお抹茶。

これを片手に四条京阪駅あたりから鴨川沿いを散歩してみた。目的なんてない。
水があるところが昔から好きだったから。
三条京阪まで散歩してしまった。対岸に揺らぐ光が眩しい。
向こう側にも川沿いにいっぱい人がいた。京都の初夏って、好きだな。


三条京阪から地下鉄東西線で烏丸御池、そして烏丸線で京都駅へ。
ふらっと出町柳とか行きたいと思ったけれど、明日も早い。

普段の生活の中では、常に心の中にさざ波がたっている状態かもしれない。
静かにただそこにある水を今日はたくさんみた。
自分の心もそうであったら、いいと思う。



静寂の旅 琵琶湖と京都 その2

2015-05-04 00:39:05 | 日記
上陸。

急な石段が突然165段続く。祈りの階段というらしい。
これを登ってようやく宝厳寺へたどり着く。

このお寺のご本尊は弁財天。言わずと知れた芸能を司る方だ。
しかも、江ノ島、広島の厳島神社とここの3つを『日本三弁財天』といい、
この宝厳寺の弁財天はとても古くて由緒があるので特に『大弁財天』と言われている。
パワースポットとしても近年、有名になっているらしい(私は知らなかった・・)。
宝厳寺は、ご本尊のみ撮影禁止で、あとは撮影OKだった。
写真の弁財天像は、撮影用にあるものらしいけど、
弁財天様って2本以上腕があるんだ・・・あれ?あったっけ?
ここの弁財天様は、地元のいろんな信仰が混じり合って、ちょっと不思議な形をしていた。
強い信仰の対象なのだという。

     
たまたまホテルが京都市内に取れなくて、滋賀に泊まるなら滋賀の名所にもどこか行きたい!
と、旅行会社の窓口でパラパラとパンフをめくっていたら見つけたのが竹生島だった。

実は6月の修学旅行で京都とともに広島の厳島神社に行く。江ノ島は行ったことがある。
計らずも、日本三弁財天を全て回ることになる。
芸能を司る・・・願いたいことはたくさん!!
ステンドも日本画も、美術科教員としての仕事も、バレエも武術も!(欲張り・・・)

というわけで、宝厳寺で芸能守りを購入し、
同時に赤くて可愛いダルマ人形に自分の願いを書いて奉納する、ということをやってきた。
写真にはないけれど、
島には都久夫須麻神社という平安時代あたりに由来する由緒正しい神社もあり、国宝に指定されている。
重文や国宝が、小さな島に普通に数多く存在していた。

ご飯を食べるところはあっても、既に食堂の食料は尽きてしまったということで、
私が入島した時間帯にはお土産物の他はもうアイスとジュースくらいしかなかった。
なのでお昼ご飯は食べず、抹茶アイスを食べる。

しかし考えてみると、結構怖い。
もし突然、海が時化て島から本土に帰れなくなったら・・・・。

・・・あ、そっか、海じゃなかった~!湖だったよ、忘れてた・・。


そして船が出る時間。

15:00過ぎ、長浜港に到着し、再び電車に乗って大津へ。
お腹は空いていたけど、眠気が強くて電車でうたた寝していた。

いったん大津のホテルに帰って、携帯を充電してから京都へ。
朝もたいがいだったけど、夕方になっても京都駅の混雑ぶりはハンパなかった。


地下鉄に乗って一駅、九条へ。
ここを降りて大石橋バス停から202か207の反時計回りの循環バスに乗ると、
混んでなくてスムーズに祇園方面に行ける、
とネットで知り、試してみた。

ほとんどのガイドブックでは、京都駅からバスに乗って祇園方面へ、
ということになっているけど、これは激しく混むのだ。
とにかく京都駅発も京都駅行きも、激しい混雑になる。
大石橋バス停経由が修学旅行の班別自主行動のときに効果的に使えるルートなのかどうか確かめたかった。


結果、ほんとにスムーズだった。待ち時間はあったけど本数は多そうなので大丈夫。
乗車から10分もかからず清水道へ到着。
ただし五条坂あたりからは観光客はどっさり乗車してくる、が既に座っているし、
次で降りるのだからあまり関係ない。
五条坂までの間は、地元の人しか乗っていないようなのどかな雰囲気だった。
ただし大石橋には4カ所バス停があり、
乗る場所を間違えるととんでもないところに連れて行かれる。
1番出口から出て左に行き、角を曲がって九条通に出ると目的のバス停がある。
1番出口を出たら右側にすぐバス停があるけど、ここは違うバスが出るのだ・・紛らわしい。
生徒に教えとかなくては・・。バス停の写真なども撮影しておいた。


頭がいつの間にか修学旅行の下見になっていた。
いや、今回は個人旅行だから! 


静寂の旅 琵琶湖と京都 その1

2015-05-04 00:38:25 | 日記
ゴールデンウイークは世間では後半だけど、
私にとったらようやく始まったばかり。
前の日、計画を立てたら、ワクワクしてあんまり眠れず。
子どもかっ・・!


7:42の新横浜発のぞみ299号に乗って、京都へ。
曇り空の京都、日射しが暑過ぎるよりはいい。
すぐに大津駅に向かうので改札を通らなかったけど、改札方面は恐ろしく混んでいた。
それなのに快速で2駅、大津駅はガラガラだった。

とりあえず荷物を置かせてもらおうとホテルへ。
京都市内に宿が取れなかったのが残念だと思っていたけど、
このホテル、駅から直結でものすごく便利だった。

すぐに東海道線(琵琶湖線)で長浜へ向かう。1時間、電車に揺られてぼんやり。
長浜着。ステンドグラスかな。思わず撮影。

駅から10分程度歩いて長浜港へ。ツーリングの人たちをたくさん見かけた。
バイクで琵琶湖沿いを走るの、気持ちいいだろうな。

いつもは1日6便しかない竹生島クルーズ船も、連休中は臨時便が何本か出るということで賑わっていた。
12:45が予定の出発時間だったけれど、少し遅れて出発。

青春してるなあ、と思わず撮影。

山の緑色は遠方から見ると、日本画で描かれる色と同じ、青。
空と海と山がそれぞれ少しずつ違った彩度の青に囲まれて、心が穏やかになっていくのがわかった。
青は人を落ち着かせる色だ。



しかし、竹生島が見えてくるに連れ、不謹慎にもワクワクしてきた。

竹生島は基本的に無人島(昼間だけ人がいる)で、電気が通っていない島らしい。
昼間は発電機を使って、島にある3つのお土産物屋が営業しているという。
この3つのお店の人たちも船の最終便で本土(?)に帰っていくのだ。

古来より神が住む島と言われている神秘の島。
ここはあくまで『斎場』であって、人間は本来、部外者なのだ。
・・・・まるで、横溝正史の小説の世界みたいじゃない?

























小さな旅を重ねて

2015-05-02 03:44:23 | 日記
ようやくゴールデンウイーク。
そこそこ微熱があったりした日もあり、4月当初の疲れが出て来ていたようだった。
ここで大きいお休みがあるのは、心理的、体調管理的にもいい。

ゴールデンウイークは旅行と映画と、遊びたいこと満載。
大人になって、『遊ぶ』ってことが大切と思うようになってきた。
個性は、そんなところから生まれている気がするからだ。


直前の二日間が両日とも6時間フル授業と会議で仕事盛りだくさんだったので休みが嬉しい!
帰りに、本屋さんでブラブラする。こういう時間すら久しぶりだった。

長い休みだし、旅の移動時間も長いし、
このタイミングでぜひ読みたい!
と思っていた海外ミステリー、ペトラ・ブッシュの『漆黒の森』はいくら探してもなかった。
広告では比較的売れてそうな書き方だったんだけど、
そこそこ大きめの本屋だったにも関わらず、
そもそも海外小説のコーナーにほとんど本を置いていなかった。
海外小説って今はもうあんまり売れないのかな・・・。

海外文学の雑誌を購入。
これも前々から興味はあったけど、やはり時間と心の余裕がなくて購入に至ってなかった。
海外小説の方もやっぱり読みたいので、家に帰ってネットでお急ぎ便注文。
そうすれば必ず手に入るんだけど、
直接、本屋さんで見つける方が喜びが大きい。なんでだろう。

文学から離れてしまっていた生活が少しさびしかったから、
浸れる時間が出来たことが嬉しい。


京都(&琵琶湖)旅行は、琵琶湖に浮かぶ竹生島に行くこと以外は何も決めてないので、急いで考える。
計画してる時が一番楽しいのに、とってももったいなかった。
たった2日間、しかも1日目は昼間はほぼ島なので、そんなに京都を回れない。
行きたいところは嵐山方面、上賀茂あたり。
しかも嵐山は夜に行ってみたい。しかし泊まるところは大津だからなあ・・・・。

あとは、二条城近くの小さなギャラリー、モーネンスコンピス。
最近は京都を訪れる度に行くけど、いつも展示作品が素敵だ。
ちょっと前まで、
好きなガラス作家さんである八木麻子さんの作品展をやっていたのだけど、
もう終わってしまった。とっても残念・・・。
ただ、ちょうどゴールデンウイークの時期にも『箱市+袋市』というのを行うというので、
ぜひ顔を出してみたい。

旅から帰ってきたら、香港映画祭でジェット・リーが出てる映画と、
ジェット以外の香港の功夫俳優さんがたくさん出てるギャグ功夫映画をみるのだ!!
もうなんて満足度の高い休日の予定・・・(私としては・・)。
・・・・比較的安いし・・・(笑)。


実際の旅はもちろん、読書も映画をみることも小さな旅のようなものだ。
対象と向かい合って、そこからの刺激でいろいろ考えたり発見がある。
旅のあとはいつも何か自分の中で、小さいけれど変化が起こる。
小さな旅を重ねることは、常に変化していくことだと思う。

ゴールデンウイーク明けの自分に、どんな変化が起こっているだろう。
それもちょっと楽しみだ。