ステンドの友達が心配してメールをくれた。
最近全然facebookに入ってないみたいだけど大丈夫?と。
年度末だけあって、毎日家でも遅くまで仕事ばかりになっている。
鑑賞文を読んだり、入力したり。
結局、眠る直前までそんなことばかりしている。
でも、嫌なわけじゃない。生徒の感想や考えは面白いなと思う時はたくさんある。
facebookから離れてしまったのは忙しいからというよりも、
実名が出ているところでつぶやけることがあまりないように思えてきたからだ。
卒業生も増えてきてしまったし・・・。なんとなく気恥ずかしい。
友達には『年度末で忙しくなってしまって。』と答えたけど、ちょっと申し訳ない。
何かを偽っているようで。いつもこうなる。
昨日と今日は市の学力状況調査。
学力状況調査、実施するのはいいけど、後の採点やら入力作業がとっても煩雑で、
それでなくても学期末の評価評定の時期には痛い。
昨日は出張であまりお手伝いできなかったから、今日はがっつりと。
みなさんの連携もあって15時頃には学状の仕事は全て終わり、自分の仕事に戻れた。
そこからひたすら3年生に返却する陶芸作品を梱包する作業。19時頃までやって、やっと70個。
今日は作業ばっかりの日。
でも生徒の作品を梱包しながら、制作の時に生徒と会話したことやそのときの様子まで思い出して懐かしくなる。
作品には、その全ての時間が小さく折り畳まれてしまわれているから、触ったらぶわっと思い出す。
3年間は、とっても速い。そして、密度が濃い。
評価評定のためにだけ頑張ってたんじゃなくて、
自分を表現したり、誰かに思いや工夫を伝えたりしたいと思った、
と、感想に書いてくれていた生徒がたくさんいたことが嬉しかった。
『図工の時は才能が大事だから努力しても仕方ないと思ってたけど、
伝えたい思いをこめて一生懸命工夫すれば、私でも美術はできるんだと思って自信を持った。』と書いていた子もいた。
3年間かけてお互いを知って、生徒も私がその課題を通して伝えたかったことをきちんと読みとってくれていた。
いろいろ下手な私の、思いはしっかり通じていた。ありがたかった。
うまく言えないけど義務教育の場合はこの信頼関係こそが、何より人を育てるのだとも思う。
京都で出会った方から送られてきた雑誌『カスチョール』(ロシア語で「たき火」という意味)の内容がとても充実していて、夜、ほんの少ししか時間は取れないけれど、コーヒーを飲みつつ読んでいる。
内容の充実度合いに感激。バックナンバーも購入してみようかな。
絵本や児童文学が好きであっても今までは地盤がなかったので、
この雑誌に紹介されてるものを読みつつ、好きな世界を広げていきたいなと思う。
この10年ほど仕事や趣味を通じて、自分の地盤となるものを懸命に探していたような気がする。
でもやっぱり、子どものときに好きだったものが一番しっくりくるみたい。
絵本、児童文学、絵画。
かっこいいもの、おしゃれなもの、流行しているもの、などは、なんだか自分には遠くて、
ほんわかとしている、温かみがあるもの。
『カスチョール』が『たき火』という意味であることを聞いたとき、なんとなく合いそうだなと思った。
素朴であたたかなイメージ。
内容も、そのイメージ通りだった。
寄るところができて、よくわからないけど、心の芯が安定してきたような。
仲間を見つけたような。
全国にこの雑誌の購読者は1100人ほどいるという。
1100人は、同じような人がいるってことだ。ほんとに嬉しい。
人間って、そんなに微妙な生き物なのか。
それとも、それほど実は孤独だったのか。わかり合える仲間を探していたのか。
なんだか自分で驚いている。
今年、おみくじが大吉だったのは、これだったのかなと思う。
30数年間の心の奥深くの、自分で意識すらできなかった孤独を知ったということ。
そして、自分を偽らなくても受け入れてもらえる、小さなコミュニティーをようやく見つけたということ。
最近全然facebookに入ってないみたいだけど大丈夫?と。
年度末だけあって、毎日家でも遅くまで仕事ばかりになっている。
鑑賞文を読んだり、入力したり。
結局、眠る直前までそんなことばかりしている。
でも、嫌なわけじゃない。生徒の感想や考えは面白いなと思う時はたくさんある。
facebookから離れてしまったのは忙しいからというよりも、
実名が出ているところでつぶやけることがあまりないように思えてきたからだ。
卒業生も増えてきてしまったし・・・。なんとなく気恥ずかしい。
友達には『年度末で忙しくなってしまって。』と答えたけど、ちょっと申し訳ない。
何かを偽っているようで。いつもこうなる。
昨日と今日は市の学力状況調査。
学力状況調査、実施するのはいいけど、後の採点やら入力作業がとっても煩雑で、
それでなくても学期末の評価評定の時期には痛い。
昨日は出張であまりお手伝いできなかったから、今日はがっつりと。
みなさんの連携もあって15時頃には学状の仕事は全て終わり、自分の仕事に戻れた。
そこからひたすら3年生に返却する陶芸作品を梱包する作業。19時頃までやって、やっと70個。
今日は作業ばっかりの日。
でも生徒の作品を梱包しながら、制作の時に生徒と会話したことやそのときの様子まで思い出して懐かしくなる。
作品には、その全ての時間が小さく折り畳まれてしまわれているから、触ったらぶわっと思い出す。
3年間は、とっても速い。そして、密度が濃い。
評価評定のためにだけ頑張ってたんじゃなくて、
自分を表現したり、誰かに思いや工夫を伝えたりしたいと思った、
と、感想に書いてくれていた生徒がたくさんいたことが嬉しかった。
『図工の時は才能が大事だから努力しても仕方ないと思ってたけど、
伝えたい思いをこめて一生懸命工夫すれば、私でも美術はできるんだと思って自信を持った。』と書いていた子もいた。
3年間かけてお互いを知って、生徒も私がその課題を通して伝えたかったことをきちんと読みとってくれていた。
いろいろ下手な私の、思いはしっかり通じていた。ありがたかった。
うまく言えないけど義務教育の場合はこの信頼関係こそが、何より人を育てるのだとも思う。
京都で出会った方から送られてきた雑誌『カスチョール』(ロシア語で「たき火」という意味)の内容がとても充実していて、夜、ほんの少ししか時間は取れないけれど、コーヒーを飲みつつ読んでいる。
内容の充実度合いに感激。バックナンバーも購入してみようかな。
絵本や児童文学が好きであっても今までは地盤がなかったので、
この雑誌に紹介されてるものを読みつつ、好きな世界を広げていきたいなと思う。
この10年ほど仕事や趣味を通じて、自分の地盤となるものを懸命に探していたような気がする。
でもやっぱり、子どものときに好きだったものが一番しっくりくるみたい。
絵本、児童文学、絵画。
かっこいいもの、おしゃれなもの、流行しているもの、などは、なんだか自分には遠くて、
ほんわかとしている、温かみがあるもの。
『カスチョール』が『たき火』という意味であることを聞いたとき、なんとなく合いそうだなと思った。
素朴であたたかなイメージ。
内容も、そのイメージ通りだった。
寄るところができて、よくわからないけど、心の芯が安定してきたような。
仲間を見つけたような。
全国にこの雑誌の購読者は1100人ほどいるという。
1100人は、同じような人がいるってことだ。ほんとに嬉しい。
人間って、そんなに微妙な生き物なのか。
それとも、それほど実は孤独だったのか。わかり合える仲間を探していたのか。
なんだか自分で驚いている。
今年、おみくじが大吉だったのは、これだったのかなと思う。
30数年間の心の奥深くの、自分で意識すらできなかった孤独を知ったということ。
そして、自分を偽らなくても受け入れてもらえる、小さなコミュニティーをようやく見つけたということ。