昨日は、友達の家に。
大学時代の親友と8年ぶりの再会だった。彼女の結婚式以来。
結婚してすぐに東京の会社を退社し、旦那さんの転勤について大阪へ。
そして昨年、また東京に転勤になった。
年賀状の写真でしかみていなかった娘さんも4月で小学生になるということで、
友達と旦那さん(彼も同じ専攻の同級生)、そして娘さんと私の4人で、
友達のおうちでお昼ご飯をごちそうになった。
駅で待ち合わせだったけど、相手がすっごく変わっていたらどうしようかと内心ドキドキしていた。
けど、ぱっと見て全然変わってない彼女がいて、安心した。
彼女も、同じことを心配していたらしい(笑)。
8年くらいじゃ、外見はそんなに大して変わんないんだろう。
けど、その間に私たちの生活は激変した。
私は教員になったし、彼女はお母さんになった。
東京都庁が大きな窓からどーんと見える大都会の高層マンションに、ホテル並みのお部屋!!
あまりの生活レベルの高さに驚いた。しかも彼女は専業主婦。
大阪の超お嬢様女子高校の出身であった彼女だから、
このくらいの生活レベルが当たり前なんだろうなーと納得した。
大学時代、最初のオリエンテーション合宿で彼女のあまりのお嬢様っぷりが面白くてすぐに仲良くなった。
正真正銘のお嬢様というのは、全くもって嫌みがないのだ。
超お嬢様なのに社会経験のためにバイトをし、
講義では必ず前の方に席に座って熱心にノートをとっていた。
優秀で真面目で、
当時、大学生の憧れの会社として有名だったところに総合職として華々しく入社した。
そして約8年間働いた後、旦那さんとの結婚が決まって、あっさりと退社した。
そんな華やかな彼女とは対照的な私だけど、違うことがお互いに魅力なんだと思う。
そして彼女は苦労を知らないお嬢様のままだと思っていた。
私が肉類がダメなのでいろいろ考えてくれたらしく、おでんを前日から作ってくれていた。
面白かったのは、テレビで見て一回つくってみたかったという、「巾着うどん」。
「はなまるで梅沢富美男が一押ししてたのーー!」と言ってた。
よく味が沁みて、とても美味しかった。
彼女は主婦になってから、「生活のスタイリング術」とか「料理」とか(和食・フランス料理・中華まで!)、
いろいろなことを学びにいっていたらしく、
生活全体がものすごく磨き上げられている感じがした。
旦那さんはやっぱり同級生だったから知り合いなんだけど、
ちょっぴり髪の毛が薄くなってたのと、学生時代から6キロほど太ったという。
でも、優しそうなところや真面目なところは全然変わっていなかった。
娘さんははじけるように明るい子で、完全にお友達状態(?)になった。
友達が娘さんに私のことを「友達で絵の先生だよ。」と紹介したものだから、
「お絵描き教えて!!プリキュアかきたいの!!」
ということで、一緒にプリキュアのキャラクターを描いた。
小さい子どもが久しぶりだったので(いつもはでっかい子どもばっかり周囲にいるので)、
ほんとに可愛くて仕方なかった。
集中力があるのは、きっとお母さん似だった。子どもって、いいものだなー。
その後、旦那さんが気をつかって娘さんをおもちゃ屋さんに連れ出した。
私と友達がゆっくり話せる時間を作ってくれたのだった。
彼女が丁寧にお茶を淹れてくれて、アルバムを見ながらいろいろ話した。
娘さんを出産した数日後、自然に閉まるはずの子宮が突然開き、
出血が止まらなくなって体内の血液の2分の1を失って死の淵をさまよったという話をそこで初めて聞いた。
しかもそれは原因不明だったそうだ。
力が入らなくて輸血同意書にもサインができず、旦那さんがサインしたこと、
その後、B型肝炎やエイズの血液検査もしたという。
そんなこともあって親戚も家族も、働かなくていい、と言ってくれていること。
元気でいてくれたらそれでいいと。
でも、自分が使う分くらいはほんとは稼ぎたいんだけどね、と。
東京の幼稚園に子どもを預けるようになって、
幼稚園の先生の対応の仕方や周囲のお母さんの『がさつさ』には驚いたらしい。
関西の幼稚園ではカリキュラムがあっていろんなことが学べたのに、
こちらの幼稚園では「自由な保育」の名の下に、子どもがほっとかれている、と。
また、お母さんたちも忙しいからだと思うけど、自分の子どものことで精一杯だと。
大阪ではいろんな人が子どもに声をかけてくれたし、気遣ってくれたし、それが当たり前だったと。
実は彼女は、民間企業での元「教育のプロ」でもあった。
誰もが名前を知っている教育関係の会社で、
子どもたちの教材の開発やワークなどの編集に携わっていたのだ。
彼女の、会社時代の顔を垣間みた瞬間だった。
思わず、
「もう仕事に復帰しないの?」と聞いてしまった。
彼女は優秀だから、すごくもったいないという気持ちがあった。
「何にも考えてないんだよね。生活そのものを、大事にしたいの。」
と、ぽつりと答えた。
その後、なんとお抹茶を点ててくれた。これも習ったという。
なんだか、考えるところがたくさんあった。
日々、丁寧に暮らすことに重きを置いてる彼女と、時間に追われている私。
随分違うなあ。
どちらが正しいというわけでもないと思うけど、
違う時間の流れ方があるんだ、と明確に意識して、
なんとなく自分の世界観が広がったように思った。
同じ時間なのに、こんなにも違うように生きられるんだなあ。
春には、彼女と娘さんが、うちに遊びに来る。
違う世界に生きていた私たちにも、接点が増えていく。
また、何か違う世界が生まれるかもしれない。
大学時代の親友と8年ぶりの再会だった。彼女の結婚式以来。
結婚してすぐに東京の会社を退社し、旦那さんの転勤について大阪へ。
そして昨年、また東京に転勤になった。
年賀状の写真でしかみていなかった娘さんも4月で小学生になるということで、
友達と旦那さん(彼も同じ専攻の同級生)、そして娘さんと私の4人で、
友達のおうちでお昼ご飯をごちそうになった。
駅で待ち合わせだったけど、相手がすっごく変わっていたらどうしようかと内心ドキドキしていた。
けど、ぱっと見て全然変わってない彼女がいて、安心した。
彼女も、同じことを心配していたらしい(笑)。
8年くらいじゃ、外見はそんなに大して変わんないんだろう。
けど、その間に私たちの生活は激変した。
私は教員になったし、彼女はお母さんになった。
東京都庁が大きな窓からどーんと見える大都会の高層マンションに、ホテル並みのお部屋!!
あまりの生活レベルの高さに驚いた。しかも彼女は専業主婦。
大阪の超お嬢様女子高校の出身であった彼女だから、
このくらいの生活レベルが当たり前なんだろうなーと納得した。
大学時代、最初のオリエンテーション合宿で彼女のあまりのお嬢様っぷりが面白くてすぐに仲良くなった。
正真正銘のお嬢様というのは、全くもって嫌みがないのだ。
超お嬢様なのに社会経験のためにバイトをし、
講義では必ず前の方に席に座って熱心にノートをとっていた。
優秀で真面目で、
当時、大学生の憧れの会社として有名だったところに総合職として華々しく入社した。
そして約8年間働いた後、旦那さんとの結婚が決まって、あっさりと退社した。
そんな華やかな彼女とは対照的な私だけど、違うことがお互いに魅力なんだと思う。
そして彼女は苦労を知らないお嬢様のままだと思っていた。
私が肉類がダメなのでいろいろ考えてくれたらしく、おでんを前日から作ってくれていた。
面白かったのは、テレビで見て一回つくってみたかったという、「巾着うどん」。
「はなまるで梅沢富美男が一押ししてたのーー!」と言ってた。
よく味が沁みて、とても美味しかった。
彼女は主婦になってから、「生活のスタイリング術」とか「料理」とか(和食・フランス料理・中華まで!)、
いろいろなことを学びにいっていたらしく、
生活全体がものすごく磨き上げられている感じがした。
旦那さんはやっぱり同級生だったから知り合いなんだけど、
ちょっぴり髪の毛が薄くなってたのと、学生時代から6キロほど太ったという。
でも、優しそうなところや真面目なところは全然変わっていなかった。
娘さんははじけるように明るい子で、完全にお友達状態(?)になった。
友達が娘さんに私のことを「友達で絵の先生だよ。」と紹介したものだから、
「お絵描き教えて!!プリキュアかきたいの!!」
ということで、一緒にプリキュアのキャラクターを描いた。
小さい子どもが久しぶりだったので(いつもはでっかい子どもばっかり周囲にいるので)、
ほんとに可愛くて仕方なかった。
集中力があるのは、きっとお母さん似だった。子どもって、いいものだなー。
その後、旦那さんが気をつかって娘さんをおもちゃ屋さんに連れ出した。
私と友達がゆっくり話せる時間を作ってくれたのだった。
彼女が丁寧にお茶を淹れてくれて、アルバムを見ながらいろいろ話した。
娘さんを出産した数日後、自然に閉まるはずの子宮が突然開き、
出血が止まらなくなって体内の血液の2分の1を失って死の淵をさまよったという話をそこで初めて聞いた。
しかもそれは原因不明だったそうだ。
力が入らなくて輸血同意書にもサインができず、旦那さんがサインしたこと、
その後、B型肝炎やエイズの血液検査もしたという。
そんなこともあって親戚も家族も、働かなくていい、と言ってくれていること。
元気でいてくれたらそれでいいと。
でも、自分が使う分くらいはほんとは稼ぎたいんだけどね、と。
東京の幼稚園に子どもを預けるようになって、
幼稚園の先生の対応の仕方や周囲のお母さんの『がさつさ』には驚いたらしい。
関西の幼稚園ではカリキュラムがあっていろんなことが学べたのに、
こちらの幼稚園では「自由な保育」の名の下に、子どもがほっとかれている、と。
また、お母さんたちも忙しいからだと思うけど、自分の子どものことで精一杯だと。
大阪ではいろんな人が子どもに声をかけてくれたし、気遣ってくれたし、それが当たり前だったと。
実は彼女は、民間企業での元「教育のプロ」でもあった。
誰もが名前を知っている教育関係の会社で、
子どもたちの教材の開発やワークなどの編集に携わっていたのだ。
彼女の、会社時代の顔を垣間みた瞬間だった。
思わず、
「もう仕事に復帰しないの?」と聞いてしまった。
彼女は優秀だから、すごくもったいないという気持ちがあった。
「何にも考えてないんだよね。生活そのものを、大事にしたいの。」
と、ぽつりと答えた。
その後、なんとお抹茶を点ててくれた。これも習ったという。
なんだか、考えるところがたくさんあった。
日々、丁寧に暮らすことに重きを置いてる彼女と、時間に追われている私。
随分違うなあ。
どちらが正しいというわけでもないと思うけど、
違う時間の流れ方があるんだ、と明確に意識して、
なんとなく自分の世界観が広がったように思った。
同じ時間なのに、こんなにも違うように生きられるんだなあ。
春には、彼女と娘さんが、うちに遊びに来る。
違う世界に生きていた私たちにも、接点が増えていく。
また、何か違う世界が生まれるかもしれない。