東日本大震災があったのは3月11日。その悲惨な映像を各局テレビで見せられ続けて、何か我が家でも無言の内にこの震災から日本は立ち直れるのか、地震、津波、原発事故、これでもかと。重苦しい思いが胸の中で渦巻く。
そんな中、3月22日。会社に妻から義父が交通事故を起こしたと連絡が入る。さらに病院から手術の承諾許可の電話が3人の医師からあったという。3つ以上の重要な手術があるようだ。
震災とは関係ないけれど、さらに、これでもかである。
妻の仕事はキャンセルが出来ない仕事だ。明日からしか向かうことは出来ない。取りあえず、妻は明日からの仕事には代わりの人を手配する。夕方、帰ると手術が一応成功したと連絡があったと知る、よかった。
朝一番から、車で妻が高知に向かった。高知から仁淀川沿いに山深く入ったところが実家だ。
その妻から詳しいことが知らされてきた。
義父は心臓が悪く、手術をしている身でありながら義母を介護している。前日飲み忘れた薬を朝飲んで車で出かけたようだ。その薬にはかなり強い眠気作用を持つようで、途中で居眠り運転になり(というより爆睡水状態らしい)、最初にガードレールにぶつかった後100m近くあちこちにぶつかって止まったようだ。車は大破し、ガソリンが漏れたため、何台かのパトカーと救急車、消防車まで出たという。さらに、ドクターヘリを要請しないと助からないと判断され、ドクターヘリで高知医療センターに運ばれたとか。後に知らされたがここに運ばれなかったら、義父は助からなかったという。
この高知医療センターのドクターヘリは、テレビでも良く紹介されている日本でも一番有名なドクターヘリだそうだ。東日本大震災でもこの高知医療センターのドクターヘリは大活躍したという。
つまり震災の後、高知に帰っていてくれたおかげで義父は助かったといえる。
先日、102才の震災被災者が自殺されたとブログに書いた。義父は85才、こんな老人を日本最高のスタッフがドクターヘリで救ってくれた。迅速な処理が医療でいかに大切か、義父はあれだけの重症でたくさんの手術をしたにもかかわらず、妻の行った次の日には車いすで元気に動いていたという。85才で奇跡的に助けられた命、この生への執着を持つ義父、頼もしい限りである。
そんな中、3月22日。会社に妻から義父が交通事故を起こしたと連絡が入る。さらに病院から手術の承諾許可の電話が3人の医師からあったという。3つ以上の重要な手術があるようだ。
震災とは関係ないけれど、さらに、これでもかである。
妻の仕事はキャンセルが出来ない仕事だ。明日からしか向かうことは出来ない。取りあえず、妻は明日からの仕事には代わりの人を手配する。夕方、帰ると手術が一応成功したと連絡があったと知る、よかった。
朝一番から、車で妻が高知に向かった。高知から仁淀川沿いに山深く入ったところが実家だ。
その妻から詳しいことが知らされてきた。
義父は心臓が悪く、手術をしている身でありながら義母を介護している。前日飲み忘れた薬を朝飲んで車で出かけたようだ。その薬にはかなり強い眠気作用を持つようで、途中で居眠り運転になり(というより爆睡水状態らしい)、最初にガードレールにぶつかった後100m近くあちこちにぶつかって止まったようだ。車は大破し、ガソリンが漏れたため、何台かのパトカーと救急車、消防車まで出たという。さらに、ドクターヘリを要請しないと助からないと判断され、ドクターヘリで高知医療センターに運ばれたとか。後に知らされたがここに運ばれなかったら、義父は助からなかったという。
この高知医療センターのドクターヘリは、テレビでも良く紹介されている日本でも一番有名なドクターヘリだそうだ。東日本大震災でもこの高知医療センターのドクターヘリは大活躍したという。
つまり震災の後、高知に帰っていてくれたおかげで義父は助かったといえる。
先日、102才の震災被災者が自殺されたとブログに書いた。義父は85才、こんな老人を日本最高のスタッフがドクターヘリで救ってくれた。迅速な処理が医療でいかに大切か、義父はあれだけの重症でたくさんの手術をしたにもかかわらず、妻の行った次の日には車いすで元気に動いていたという。85才で奇跡的に助けられた命、この生への執着を持つ義父、頼もしい限りである。