阪神大震災のときに数週間経った後「がんばろう」という言葉を止めようと言う話になったと思うんだけど。ちがうかな。「がんばろう、がんばろう」と言われてももうこれ以上何をがんばるんだよ。たいした被災者でもなかった私でさえうんざりしたものだ。
会社が街が被災して頑張れと言われれば、世間も捨てた物じゃない「よし」、と気持ちも奮い立たせられるかも知れない。それは家を無くしても一緒にともに出来る家族が同僚が居るから。「がんばろう」と会社を街を再興できる。
家族をなくした人にとってはどうだろう、身内がまだ行方不明のままの方はまだどこかでと、受け入れる事もできず実感もないまま過ぎてきたとおもう。これからそう言う人達が受け入れざるをえず、どんな気持ちで社会と向き合うのか、「がんばれ」は言いたくない気がするけれど。
1万人以上の方がそんな気持ちに陥るのである。大家族だった方がひとりぼっちになった人も居るだろう。子どもだけが、若い人だけが、ご夫婦のどちらかだけが一人生き残った方が居るだろう。私にはその心情を我が身のように想像できない。ただ、どれだけ深い悲しみかは想像できる。
そんななか、テレビの中も、街角も「がんばれ」「あなたはひとりじゃない」「応援しています」。
それが本当に自分にかえってこなければ孤独感しか無いだろう。そう言っている人は会社は社会は片隅に居る一人の人を責任もって救えるのか。ますます自分一人は蚊帳の外と感じるのではないか。
一方がすれば他方も、何時もいつも同じことの繰り返し。みんな一緒のことしか出来ないのか。独自の考えが持てなくて、同じ事してれば間違いないんだと。タレントはボランティアに参加したと満足し。企業はどうせ消費が落ち込んでるからイメージ広告のチャンスと安い広告費に満足し。ただ言葉だけが放たれる。
どんどん、家族を失った人達が見えなくなって行く。
会社が街が被災して頑張れと言われれば、世間も捨てた物じゃない「よし」、と気持ちも奮い立たせられるかも知れない。それは家を無くしても一緒にともに出来る家族が同僚が居るから。「がんばろう」と会社を街を再興できる。
家族をなくした人にとってはどうだろう、身内がまだ行方不明のままの方はまだどこかでと、受け入れる事もできず実感もないまま過ぎてきたとおもう。これからそう言う人達が受け入れざるをえず、どんな気持ちで社会と向き合うのか、「がんばれ」は言いたくない気がするけれど。
1万人以上の方がそんな気持ちに陥るのである。大家族だった方がひとりぼっちになった人も居るだろう。子どもだけが、若い人だけが、ご夫婦のどちらかだけが一人生き残った方が居るだろう。私にはその心情を我が身のように想像できない。ただ、どれだけ深い悲しみかは想像できる。
そんななか、テレビの中も、街角も「がんばれ」「あなたはひとりじゃない」「応援しています」。
それが本当に自分にかえってこなければ孤独感しか無いだろう。そう言っている人は会社は社会は片隅に居る一人の人を責任もって救えるのか。ますます自分一人は蚊帳の外と感じるのではないか。
一方がすれば他方も、何時もいつも同じことの繰り返し。みんな一緒のことしか出来ないのか。独自の考えが持てなくて、同じ事してれば間違いないんだと。タレントはボランティアに参加したと満足し。企業はどうせ消費が落ち込んでるからイメージ広告のチャンスと安い広告費に満足し。ただ言葉だけが放たれる。
どんどん、家族を失った人達が見えなくなって行く。