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立売堀、顛末の記。自信はあっても、地震はなくなれ。

2011-12-12 19:14:46 | 日記
前日のブログ。
島田商店の後、6時からすぐ移動して、鍋忘年会が出来るように
近くのお店「ととろ」を企画したのだが、予約が多くて、7時しかとれなかった。
1時間も間があれば梅田でも心斎橋でも良かったのだが、
どうも、食いしんぼの直感で、このお店捨てがたく、
皆さんに7時まで時間をつぶしてもらうことにした。

せっかくだから、この辺りの知ってることを喋って、
時間つぶしをすることにした。

まずこの立売堀(いたちぼり)。
この辺りに伊達藩(だてはん)の屋敷があり、堀を伊達堀(だてぼり)と呼んでいた。
大阪人は大阪以外の地方人をちょっと小馬鹿にしてしまうところがあり、
まともに読まずに伊達を漢字の別の読みで(いだち)と茶化して呼んでいた。
その伊達堀(いだちぼり)がのちに立て売りの米会所とその地がなって、
立売堀となったが、読みはそのまま残り、立売堀(いたちぼり)となった。


立売堀川跡の碑(西区立売堀_花王大阪事業場)

実はこのお話、20代の頃、会社の同僚の歴史に詳しいコピーライターに
教えてもらったのだけど、それ以来40年ずっとこのまま、
知ったかぶりで、話しておりました。

実はこの話をした昨日、帰ってウィキペディアで調べると
少し違っていましたね。hahaha、今まで聞いた方々ごめんなさい。

藩屋敷ではなく、冬の陣夏の陣の伊達が陣地を作った堀だったのですね。
米会所はもっと北の堂島(そう言えば堂島だ)で、
この辺りは材木の立て売りだったんですね。

まあ、読み方の由来は違っていないので許して。
それから、島田商店の少し東に阿波座南公園がある。
この一角に「大阪商業講習所跡の碑」がある。
後の大阪市立大学。私の尊敬する五代友厚がおっ立てた塾みたいなもので。


大阪商業講習所跡の碑(阿波座南公園)

でも「大阪の恩人」と言われる五代友厚のこと
以外と皆さん知らないので、大阪大好き人間の私はがっかりするのです。
詳細はウィキペディア見てちょうだい。
うろ覚えで書いたら、また、とんでもないこと言いそう。

だいいち、この「うろ覚え」が、「うるおぼえ」と思って
打っても変換しないのでおかしいなと調べたら、「うろ覚え」でした。

アーもう、自信なくなった。