日々Change。今日の怒りも、恐れも、悲しみも、明日は夢と希望と喜びに。

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桃旗、ただ今妻の実家に帰省中。その3、194号線仁淀川。

2011-12-30 23:49:55 | その他
2011.12.30

大三島からしまなみ海道大橋に入った。
フェリーで今治まで行き、走るよりも大三島に遠回りしても
かなり早くなる筈だ。

四国に架かる3路線の橋の中で、このしまなみ海道が一番美しい。
フェリーを降りてから高速に入る大三島ICは島の一番反対のところにある。
しまなみ海道の大三島はちょうど真ん中あたりなので、
ドライブもたっぷり楽しめる。

大三島橋(大三島ー伯方島)~伯方・大島大橋(伯方島ー大島)
~来島海峡大橋(大島ー四国・今治)
少しガスったような、幻想的な橋の上の景色が走り去って行く。
気持ちいい。思いっきりアクセルを踏み込んでいる。
145km。この車で出した最高速度。
これで車がスポーツタイプだったら最高なんだが。
なんせ、風切り音が安っぽいバンのような感じだ。



ハンドルにデジカメを載せて適当にシャターを切る。
新婚旅行でサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを通って、
3っの大橋を渡って、またSFまで1周回ってきたことがあった。
嬉しくて、興奮して真っ赤な橋を眺めながらゆっくり走ったな。

今治に入ってしばらく行くと196号線に入った
この道の前方に石鎚山の連峰が見える。
穏やかな普通の山の後ろに、薄紫がかった荒々しい岩の山が
異様な質感で迫り来る。





富山から見える立山連峰のようだ、感動的。

残念ながら、信号待ちで取った画像を確認するが
この迫力は写らない。何度もシャターを切るがとれない。

194号に入って山越えだ。後、約60km。
寒風山トンネルに入る。約5.5km。
日本の無料で走れるトンネルとしては最長の長さである。
名前を聞いただけで寒い。
ほとんど直線のトンネル、130km駆け抜けた。それでも長い。
(後で義父に聞くとスピードの取締を頻繁にしているらしい。)

この山道に入ってから、寒風山あたりから距離にして30km。
何処まで走っても車に出会わない。すれ違った車は2台だ。
このカーブのきつい山道を平均時速100kmで走りまくった。
まるで、ラリーだ。
吾北地区を過ぎたあたりからやっと車を見るようになった。
お店が現れ、仁淀川に架かる橋がきれいなイルミネーションで
飾られている。大きな建物(後でシルバーセンターと知る)も
側面をきれいなイルミネーションで飾られていた。

真っ暗なだけにホントにきれいだ。
川幅が広いので、LEDもかなりいるだろう。
貧乏な自治体なのに日本の不思議だ。

この辺りで少し休憩したので、実家には7時頃に着いた。
ボンカレーのような懐かしいカレーが出てきた。
美味しかった。義父、義母、義弟、妻、みんな元気そうだ。

        ■

2011.12.31

皿鉢料理が大晦日の夕方に届いた。
生ものなのでお正月前だが皆で頂いた。

鉢は一の鉢、二の鉢、三の鉢とあるのだ。
それぞれ、中味がみんな違うということだ。
海老、カニ、お寿司、普通のおせち料理に入っているもの盛りだくさんだ。

更に、鰹のたたきの鉢。
マグロのさしみの鉢。義父さん、はり込んでくれた。

写真はいつものように食べてしまって、
あっ、写真!ということで、それぞれ2皿を集めてもらって、
なんとか撮影。やれやれ。






産まれて数カ月だけの故郷。大崎上島。こんな偶然が。

2011-12-30 21:13:27 | その他
僕の故郷、大崎上島は潮待ち風待ちの島と言われる。
昔の船は、司馬遼太郎の菜の花の沖などを読むとよくわかるが
帆が一つなので、風の向きや潮の向きで走らないのだ。
だから港でその潮や風を待たなければならない。


実際、風待ちの偶然ですごい話がある。

7年ぐらい前。
僕のお金持ちの友人がヨットを買い換えた。
そのヨットが九州にあって飛行機で取りに行き、
瀬戸内を航海して大阪までクルージングするという。
6日ほど日にちがかかるのだけれど、僕は仕事で休めず行けなかった。
このことはいまだに残念でならない。

僕の娘が行きたいと言い、彼の4人の子供たちに交じって行くことになった。
関空で片道の飛行機代を渡したが、後で娘がVIPルームで何とかかんとか。
まさかファーストクラスに乗せたんでは?内はそんなお金ありません。
知らんぷり。それはいいんだけど。
ヨットはキッチンもトイレもついていて6人ぐらい寝れる船だ。
乗るだけなら10人以上乗れるぐらいのヨットで
夜はどこかの沖合に停泊して眠るのだ。

九州出航3日目ぐらいに(行く前日ぐらいから気になっていたが)台風がドンピシャで
瀬戸内海に向かってくることがわかった。
僕は大阪で心配だったが位置がはっきりわからないのし、どうにもならない。

ヨットは転覆しても復元するように底にキールというのが付いているので、
水深の深い港でないと入れない。
彼は港で非難すべく、海上保安庁や警察に問い合わせていたようだ。
やっと見つかった水深の深い港に避難してから、僕に電話をしてきた。

彼の話からどうも僕の故郷の島じゃないかと思いだし、
彼に島の人に聞いてもらうと、本当にそうだった。
なんという偶然だろう。たくさんある瀬戸の島で僕の故郷に入るなんて。

それも少し意味が違うが、風待ちの島に台風のかぜよけに。

予定ではその島の側を通ることもなかったんだから。
台風が招いた偶然。
島にいる叔父さんに電話をしたら、足が悪くて訪ねて行けないと。
友人も偶然を喜んでくれて、次の日娘を唯一島で知っている
父の弟の家に連れて行ってくれた。

今回亡くなった叔父さんだ。娘はほとんどあったこともなく、喜びもなかったが。

船大工のおじさんはもう船を作っておらず、
昔、僕たち甥に1台ずつ作った小舟を友人にヨットで引いて、
もって帰りなさいと言ったらしい。

友人は問い合わせてきたが、もらって帰っても繋いでおく所もなく
使うこともないので断った。
そうなんです。この船大工の叔父さん、
当時、大阪の兄の子供4人に(5人兄弟だけどその時は4人)
1台づつ一人乗りの小さな船を作ってくれたんです。
夏休み、田舎に帰った時乗った記憶があります。
少しの波でバランスを取るのが難しく、
みんなあまり乗らなかったと思う。
今でいうカヌーぐらいの大きさ。和船のシーカヌーと言えるかな。

子供2人を僕は田舎に連れて帰ったことがなかった。
だから、神さんが娘を連れて行ったのかもしれない。
この偶然の話。僕はとっても気に入っている。

桃旗、ただ今妻の実家に帰省中。その2、大崎上島。

2011-12-30 20:51:41 | その他
2011.12.30

いよいよ、32年振りの故郷だ。と言っても、
物心ついて1年以上も住んでいればもっと感慨深いだろうが。



漁師の船に乗せてもらって島に渡っていた時、
おじいちゃんが昔は海賊が出てよく襲われたと言っていた。
そのために船でおかゆを炊いておき、
近づいたらそのおかゆを海賊にかけるんだという。
お湯と違って体にまとわりつくから、おかゆの威力は強いんだ。
という話を聞いたのを思い出した。
小学生前の話だ。よく覚えていたもんだ、印象に残ったんだろう。

船べりに座り、手を海につけて波を切っていると、
サメに手を食われるよ、と脅かされたことも思い出す。
怖がりの僕はあわてて手を引っ込めたが、
実際にそのあと、すごい偶然だと思うが小さなサメがいたことがあった。
あれからいつも、サメがいるんじゃないかと思うようになり、
底の見えない深い海が怖くてしょうがない。


四国に渡るには3つの橋のルートがある。
明石大橋、なると大橋の淡路島ルート。
昔の宇高連絡船に近い瀬戸大橋ルート。
そして、広島、愛媛の瀬戸内海の小島をつないだ
しまなみ海道ルート。

私の故郷は一つ西にずれてしまって、ルートに入らなかった。
海賊の島とおじいちゃんに聞いた、お隣の大三島がルートに入った。
この辺りは無人島が多く、大きくなったら自分の島を持ちたいな。
なんて思っていたものだ。乗せてもらった船で無人島が見えると、
あの島には小さな砂浜があるから、あれがいい。
あの岩の端に家を建てて、浜まで階段をつけてなんて空想したものだ。
実際あの頃、俳優の森重久弥が瀬戸内海の無人島を買っていると聞き
あこがれたものだ。



港が見えたが面影もない。しかし、気持ちは感慨で一杯だ。
島に着いたが全く分からない、フェリー乗り場のおばさんに
お年寄りなんで知ってるかと叔父さんの名前を言った。
やっぱり想像通り知っていた。
わりと大きな島だが、名前を言えばわかると思った。



らしきあたりまで車で行ったが、わからない。
できるだけ古いお家の数人に聞いて何とかたどり着いた。

何度呼んでもおばさんは出てこず、テレビの音が聞こえるので
遠慮なく家の中に入るとおばさんはこたつの中にいた。
「お茶も出せないよ」というおばさん。
日本中にこんな一人暮らしのお年寄りがいっぱいいるのだろう。
お正月まで子供さんは帰ってこないようだ。



実はこの叔父さんの家の前まで、入江、海だったんだよね。
32年前に来た時、ちょうど埋め立てられつつあったけど、
まだ、昔のままの姿だった。
叔父さんは数少ない船大工で、ちょうど最後の船だと言って
ほぼ完成間近の船を作っているところだった。

それが今では入江の中に、広い道が走り、きれいな家が建っている。
わずかに面影がある、家の前の水路。
そう、僕は小さい頃ここに落ちたんだ。
そういえば僕は良く船から落ちたりしていたな。
今でも海にブクブクと沈んで行っている自分をおぼえている。



叔父さんのお参りをして、叔母さんと話をして、
夏休みに帰っていつも泳いでいたなつかしい外浜海岸に行って見た。
昔は沖合に飛び込み台があったな。
この海は藻が生えていてその中に入ると藻が体にあたって気持ち悪かった。





叔父さんの家の前の入江では、今では天然記念物の兜ガニがたくさんいたな。
気持ち悪いカニだった。



四国に渡るのに島の南、木江港に向かった。
ここはみかんの島、僕の小さい頃はたくさん送ってくれて
毎日のように1日20個ぐらい食べた記憶がある。
お蔭で今でも、指で触っただけでおいしいミカンがわかる。
スーパーでばら売りだとおいしいミカンだけを10個ぐらい選べるので便利だ。
中々バラ売りがないのがねぇ。

  





海賊を撃退したという弓張岩や
途中、クマさんこと篠原勝之さんの鉄のオブジェがあった。
ふれあい郷土館は船の形をした建物だ。




木江港に着くと四国の今治に渡るフェリーは18:45の出航だ。
あまりにも遅いし、今治まで1時間以上かかる。
そこから実家まで山道を3時間ほどかかる。
15:20出航の大三島、宮浦港行のフェリーがある
高くつくが大三島からしまなみ海道大橋に入って行こう。

そういえば朝から何も食べていない。
釣りをしているオジサンに開いてるかわからないけど1件だけある
食堂を教えてもらった。

 

 木造4階建て、めずらしいよね。

帰ってくるとオジサン、入れ食いで連れていた。
売るほど晩のおかずが連れてしまった。
そういえば32年前、叔父さんに釣った魚をすぐさばいてもらって
食べたけどおいしかったよな。



故郷、さようなら。さあ、ぶっとばして妻の実家へ。

桃旗、ただ今妻の実家に帰省中。その1、広島・安芸津港。

2011-12-30 20:39:10 | その他
30日朝より、妻のいる高知に車で帰省することにした。

そして、少し前に亡くなられ、お通夜にもお葬式にも出られなかった、僕の故郷の叔父さんのお参りと叔母さんへのお悔やみに、瀬戸内海の島に寄ってから四国に渡ることにした。

07:13 出発
ナビによると安芸津港に11:37着と出ている。
長く乗らなくなった車で長時間運転、腰は大丈夫か。
1時間ごとにストレッチをしながら、よし、休憩を入れて11:30までに着くぞ。
中国道 池田IC in
~山陽道 白鳥PA 吉備SA 小谷SA 高屋IC out
到着なんと11:10 安芸津港。
実は桃旗非常にスピード狂なのです。各休憩15分程とったにもかかわらず
ナビの予想到着時間はどんどん短くなっていくのです。(キャーほとんど120km、嫁さんに内緒)


着いたよ、長かった。
           

こちらJR安芸津駅、記憶にはないなぁ。



酒蔵のようなチケット売り場。        


そう、こんな小さな漁港だった。


フェリーが 12:00発なので小さな港をぶらぶらする。
帆立ての貝殻をいくつも重ねたものがたくさん置いてある。
牡蠣かなと思うものの、同じ貝殻に?沖から帰ってきた小さな漁船の猟師に聞いてみた。
帆立ての貝殻に牡蠣の卵を植え付けて何とかかんとか。
「あんたらが思うよりも牡蠣は手間がかかるんじゃけん」を何度も。
余程、楽そうに言われて来たのか。私はこれからは大変何だと思いながら有り難くいただきますよ。


この帆立の貝殻に牡蠣の卵を植え付けるとか 

 
フェリーのない頃こんな小さな漁船に乗せてもらって島に渡った。


32年前、結婚してすぐ奥さんが僕の生まれた島が見たいと言うのできた。
その時は車を僅か4台しか乗せられないフェリーがかわいらしく珍しがった。
そのもっと前の小学校低学年の記憶では確か、フェリーもなく、小さな漁船に乗せてもらって島に渡っていた記憶がある。

永い年月がたったのだ。



昔の4台しか乗らないフェリーに比べれば大きい。安芸津港バイバイ。

僕が生まれてすぐ0才の時に両親が大阪に出たので、
今渡る、この島での生活の記憶はない。ここでの僕の記憶は田舎に帰省した夏休みの思い出の記憶だ。

僕はほとんど大阪生まれと同じだからな。