日々Change。今日の怒りも、恐れも、悲しみも、明日は夢と希望と喜びに。

少々高くても、日本の商品を買いましょう。力を合わせて日本の復興のために。

台湾に感謝!日本の芸能人、俳優、アーティスト、スポーツ選手にお願い。

2011-04-11 17:18:27 | 世の中(災害)支援アイデア
台湾から100億円を超える援助金が集まった。感謝とともに驚きである。米国の10分の1の人口の国が98億の米国以上の援助金を贈ってくれる。どちらもありがたく金額の多さが問題ではないと言いたいところだが、これはあまりにも多い。ある人は台湾の経済から言うと日本円で1000億円近い金額と言う。それも9割が民間からだという。
政府は主だった国の主要紙に感謝の広告を載せた。どうしてどんな小額であろうと、援助をもらった国すべてにに小さな広告でも良い、感謝の意を表さないのだろう。

そして台湾に対しては普段耳にする親日国家という事実を新ためて思う。日本人としてどう感謝出来るのか考えてしまう。
この親日性は日本の文化(テレビ、映画、音楽、書籍)、技術(商品技術の高さによるリスペクト、信頼性)、そのような物から受ける国民性。そういう複合した物から評価されてきた物ではないだろうか。そこには決して日本の政治は入っていない。
今しっかりその感謝を伝えるべきではないのか。国家だけでなく民間レベルのでも。
被災地に対して僕らの出来る事を伝えたいと有名人文化人が、毎度チャリティーコンサート、チャリティー試合を催す。
スポーツ選手、芸能人、アーティストの皆さんにお願いしたい。

これも被災地に対する救援ではないだろうか。日本国民にかわってお礼をしてほしい。
●台湾で人気の日本のアーティストによる台湾での無料コンサート。
●日本のスポーツチームの台湾での無料開催試合。
●日本の芸能人、俳優による無料イベント

政治家の決まりきった感謝の言葉より、台湾の人たちに喜んでもらえる事間違いないと思う。
どうだろう。

自販機をなくせ、石原都知事と同じだった。

2011-04-11 10:20:07 | 桃旗、こんな社会へ言いたい!
石原都知事を支持でも不支持でもないのですが、
自販機不要論は同じなんですね。
自販機の事はブログで3月14日にも書いた。
ちょっと、考えが同じだと親近感が出てきますね。
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/2011/news1/20110410-OYT1T00573.htm

僕は5年以上も前から大阪の街を美しくしたい、
世の中不要な物が多すぎると、
その第一候補に自販機をあげていた。
やっと目を向けてくれる人がでてうれしい。
新たに調べてみると、意外と反対している人いるんですね。
もっとも、自販機不要論は未成年者の喫煙からきているようですね。
私の場合は缶飲料の過剰販売なんですが。
もちろん、タバコの販売機も不要です。
日本中で原発1機分にも電力消費は有るんじゃないですか。
政治家は何をしてるんや。

住宅地から自販機をなくせ!

まぁいいか

2011-04-09 09:34:50 | 日記
朝から雨です。
人の多い月曜日の雨は通勤で困るのでイヤなものですが、
土曜日の雨は人もゆったりしているので気になりません。
雨もたまには必要なんだから、気持ち余裕がありますね。

いつもの駅で降りて少し歩くと、
テニスボール大の動物の縫いぐるみが
落ちて雨にぬれていました。

通勤の急ぎ足は既に2、3m過ぎています。
カバンか携帯のストラップに使われていたのでしょうか
長く使われていた事を感じさせます。
学校が終わったら探しにくるんだろうか、
大切にしていたものならきっとくるよね。
あんな雨にぬれる歩道よりも
横の軒下に置いてあげれば良かったな。
汚くなったら近所の人に捨てられてしまうよね。

振り向いたときには既に4、50m離れていた。
まぁいいか。
道を曲がって会社に着くまで気になってしまった。

考えてみると、僕の生きてきたことそのままだね。
誰よりも瞬時に見ただけでその状況を
そんな細かい事までと感じ取れるのに思考回路が遅い、
頭に残った映像を何度も繰り返して、
じゃあ、こうしようと行動が決定したときには
時は既にかなり経ってしまっている。
結局、まぁいいかになってしまう。

今日もどんな一日になってしまうやら。

マスコミは真実を伝えていると思いますか?

2011-04-08 13:37:55 | 韓国に言いたい。中国にも、日本にも。
僕はソウルオリンピック前に韓国によく仕事で出かけていました。そのころ50代以上の人は昔の日本統治のせいで日本語が話せるのです。

そんな時(昭和62年9月)、昭和天皇が倒れました。テレビでは連日低い血圧の数値が発表され、沈痛な表情でキャスターがその日の容態を伝えていました。
画面は皇居前広場で砂利の上に土下座し祈る老人たちの姿を。
また用意された記帳所に列をなして快癒祈願の記帳をする人々を、一日中何度も流し続けていました。

戦争を知らない世代の私でも何か不安を感じながら韓国に向かう。仕事先に着いていつもの韓国人の様子が違う。愛想笑いも無くしばらく私を見据えて、真っ先に口から出たのは、
あなたも天皇を土下座して拝むのか?
やはり、韓国でもこのニュースが大きく取り上げられているようだ。
韓国人にとっては未だに天皇を崇拝する日本人をあらためて思い起こせる事だったのだ。仕事で信頼を寄せつつある私もしかり。
信じてもらえるか分からなかったが、
「私は天皇のことは崇拝も尊敬もしていない。有名人が病に倒れている位の気持ちしかない。
日本のマスコミの伝えている事は真実であっても真実ではない。
天皇の回復を願ってわざわざ記帳にいく人はほんの一握りだ。まして、皇居で土下座して拝んでいる人はそのまたほんの一握りのお年寄り達だ。
僕のように無関心の人が遥かに沢山いてもマスコミは取り上げますか、ニュースにしますか。1億2千万人の数十人か数百人でも土下座をしている人がニュースになるんです。そして、その画面だけが世界に何度も流されるんです。
土下座している人がいるのは真実であっても、それは日本人としての真実ではないです。僕のような無関心な人間がほとんどなんです。」
海外で何度もこのシーンを流されれば多くの人が、かっての戦争犯罪者のトップである天皇を崇拝する日本人の不気味さをよみがえさせるだろう。

とりあえず分かってもらえたものの、考えさせられてしまった。真実だからと当たり前のように海外に流すマスコミ。受け手の外国のマスコミにしろ考えの浅いのは同じようだ。
真実だって切り売りすれば真実でなくなる。

(当時、天皇の病状は正確に知らされず、膵臓がんは末期的状態で治療も出来ず、数ヶ月先に回復されたようにマスコミから消え、翌年63年9月再び倒れる。常人では考えられない量の輸血がされ、AB型の血液がなくなったと噂されていた。明けて1月7日逝去。1月9日平成となる)

これで良いの?日本人。希望も夢も克己心

2011-04-05 13:40:32 | 桃旗、こんな社会へ言いたい!
小学生の頃、朝○克己(あさ○かつみ)君という同級生がいた。
自然な笑顔とクセのない良い性格の背の低い可愛い男子だった。
親しい友人ではなかったが出席簿が1番で「朝」がつく名字になぜか羨ましく思っていた。
いつも1番に名前を呼ばれていたから覚えたのか
「克己(かつみ)」という女性のような響きの名前が印象的だったのか
いまだに覚えている。

震災直後の韓国紙に
「日本人特有の忍耐力と克己心、冷静さで危機に耐え、
困難になるほど助け合い、他人を思いやる国民性を発揮している。
日本列島は揺らいだが日本人の心は揺らいでいない。」とある。

「かつみしん?」。いい年をしてこの言葉を知らなかった。

「こっきしん」自分を抑える心。自制心。

そう言えばこんな心で僕たちは育てられたんだ。
彼の父もそんな思いを込めて名付けたんだろう。

韓国紙のこの2行の中に
「忍耐、克己、冷静、耐える、助け合う、思いやる」
これだけの精神修行の言葉が散らばっている。

こうして羅列してみると、なんと重苦しい、息の詰まるような言葉の洪水だろう。
考えてみると自分もこんな言葉を無意識に子どもに言い続けていたのだろう。
子どもからみれば息が詰まりそうで反発したくなる気持ちがわかる。

自身も子どもの頃こんな言葉を言い続けられ、反発し、
少しづつ迎合しながら身につけ、大人になり、
今度は自分が言葉の中に散らばらせて
同じ事を子ども達に言い続けていたのかも知れない。

韓国人ならば足りない救援物資を誰よりも先に、
少しでも多く手に入れようと声を出し、行動を起こし、住民同士が争ったり、
役場に押しかけ
「救援物資がなぜ来ないのか」「政府は対策を出せ」と感情をあらわに抗議するだろう。

どちらが良いとも悪いとも言えない気がする。

ただ、あまりにも日本人は内向きすぎないだろうか。
子どもの頃、言い続けられて、良い子になっても、
希望とか夢を抱ける子になるだろうか。

自粛、自粛と黄門様の印籠みたいに、かざせばいいってもんじゃないよ。

2011-04-02 10:49:09 | 震災に思う
上野公園の花のカーニバルが中止され、例年にぎわっている時期にこのありさまだとテレビが映している。さらに「この時期公園内での宴会などは自粛して下さい」という看板と宴会をしている若者たちのグループを映し、レポーターがこの看板を読んでないのですか、と問いかけている。「そんなの見えないで~す」と少しお酒の入った若者が楽しげに盛り上がっている。
なぜ、何でもかんでも自粛しないといけないのでしょう。もちろん灯油、ガソリン、水など、少しでも節約し、使う事を自粛する必要はあると思う。
でも、心まで自粛する必要はないでしょう。むしろ明るく活力を出して東北の分も日本を支えなければいけないでしょう、それこそが東北に対してみんなが出来る支援じゃないですか。
仕事も田畑も家も家族も無くして、頑張れ、頑張れと言われても、何を頑張るんでしょう。むしろ「お前こそ頑張れ」と東北人に言われそうに思います。
この若者たちが発電機を使って電機を煌煌と輝かして、ラジカセをがなり立てて資源の無駄遣いをしていますか。テレビライトでやっと浮かび上がる暗闇の中で、若者なりに季節を楽しんでいるだけでしょう。
むしろ貴重な資源を使ってこんな取材をする暇があるなら、もっと公共性を持っているテレビ局は社会に対してやる事、出来る事があるでしょう。