
私は普段スタジアムで、大声を出し拍手をしたり
旗や腕を振ったりして応援している。
身体の問題もあって飛び跳ねてはいない。
でも、時折、ふと気がつくと飛び跳ねている時がある。
飛び跳ねようと思ってやっているわけではなく、
試合の流れの中でごくごく自然に飛び跳ねている時がある。
山東でのいろいろなことを思い返した時、
もしかして本当に必要なのはこういうことなんじゃないのかと
思い始めている。
声を出そう、手を叩こう、飛び跳ねよう・・・本当はそうじゃなくて、
「選手に力を与える!絶対に勝たせる!」という純粋な気持ちが
自然にこれらの動きを生み出すようでなければいけないんじゃないか?
いつも襷の中で応援している人達は別なのかもしれないけれど、
私も含めて、ゴール裏にいる多くのサポーターは、
まずコールリーダーに合わせることによって声を出し、手を叩き、
飛び跳ねてるんじゃないのか?
もちろん「勝たせる」って気持ちは誰もが強く持ってやってるよ。
そんなことは当たり前だ。
私だってそうだ。
でも、本当に一人一人の気持ちから自然に声が出ているんだろうか?
手拍子しているんだろうか?
コールリーダーに応援させられてるとかうわべだけで応援してるとか、
そんなうすっぺらなことを言ってるんじゃない!!
お世辞にもすばらしいとは言えないような山東の連中の応援で、
あれだけの「凄み」を感じたことを思いおこすと、
どうしても思わずにはいられない。
私も、太鼓が合ってないとかコールが合ってないとか、
そんな表面的なことに気をとられてコールできなくなる時がある。
こんなことじゃ山東のあの「怖さ」を生み出すにほど遠いだろう。
もちろん、全員が自分の気持ちだけで応援なんかしたらバラバラだよ。
でも、本当に気持ちが一つになって、
そこから自然に応援が始まれば間違いなく揃うよ!
そしてそれがメインスタンドにもバックスタンドにも伝播していけば、
その時こそあの「怖さ」、「凄さ」を生み出すことができるんだろう。
これってものすごく大変なことだろう。
でも、いつかなんとかして実現してみたい。
いや、実現しなくちゃダメだ!
そのためにまず何をやればいいのか?
自分が変わること?
そんなことは当たり前だよ!
とにかくまたしばし考えてみる。
(一応、終わり)