わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから抜けられない爺が日々の出来事や想いを書いてます
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うちのトカゲは往生できますか

2022-08-16 19:00:07 | 仏さまのこと
今日でお盆は終わり。今週の日曜日の夜、テレビで「お盆も今日まで」と言ってたけど、「今日までなのはお盆じゃなくお盆休みだろ。お盆は16日まで。お盆と夏休みは同義語じゃないよ。」と思ってた。と言っても我が家のお盆は7月だったのでもう終わっちゃったけど、せっかくなので、ちょっとその類のことを書いてみる。

ぼあちゃんが亡くなってから、「あの子は冥途に行ってから浄土に往生するまでどうなるんだろう」ということがすごく気になった。

儂、一応仏さまの勉強をしているので、亡くなってから49日間が「中陰」で、その間、7日毎にお裁きがあり、それによって次に行く所が決まるんだな程度のことは知ってた。でも、それほど詳しい事は知らなかったし、少しでもあの子のことをブログに書き続けたいという思いもあったので、まず中陰のことを少し勉強してみた。
それでわかったのが、冥途の旅路のことや十王のことやそれぞれのお裁きのこと。十王のことは十王経っていうお経を読みたかったんだけど、素人が簡単に読めるようなものはなかったので、ネットでメモメモ。
そして、勉強してたら出て来たのが「六道」のこと。六道のことも知ってはいたけど、これまた概要程度。そこで今度は六道のことをちゃんと知りたいと思い、まずネットで検索したら、「往生要集」に詳しく書いてあるというので読んでみた。
確かに詳しく書いてあってかなりびっくり。特に地獄については、その種類とかあり様とか何をするとどの地獄におちてどうなるこうなるとか、、、まあ「ホ・ン・ト・カ・ヨ」位に事細かに書いてあったw。その割に地獄以外の世界のことはショボーンっていう感じで、なんで?と思ったけどw。
また、「往生要集」には、浄土に往生するためにはどうすればよいのかといったこともたくさん書かれていた。この本、今のタイトルに直せば、「これを読めば往生できる!ー地獄の解説も満載ー」といった感じで、言ってみれば往生のためのマニュアル。そのマニュアル部分は儂にはかなり難しくて、正直半分位しか理解できなかった。でも簡単に言ってしまえば、「いろいろな修行の方法があるけど、浄土に往生するために一番良いのは念仏を唱えること」と言ってるんだと思う。ただこのマニュアルでは、念仏は南無阿弥陀仏であり、往生する浄土は極楽浄土となっているところが、儂的にはちょっと引っ掛かった。そう思うのは儂だけではないようで、一応本の中でもその疑問にも答えているんだけど、結局、「昔の偉い人がみんなそう言ってるから信じればよろし」みたいな回答になっていて、なんだかな~って感じw。
いや、別に阿弥陀様が嫌いだとか極楽浄土はイヤだとか、決してそういう訳じゃない。浄土系の教えにも惹かれることはたくさんある。「選択本願念仏集」や「歎異抄」には教えられることがたくさん書いてある。それでも、仏さまは他にもいるし他の浄土もある(釈迦如来の霊山浄土、薬師如来の浄瑠璃浄土、観世音菩薩の補陀落浄土、弥勒菩薩の兜率天浄土等々)のにな~というのが儂の素朴な疑問。確かに今は、念仏と言えば南無阿弥陀仏、浄土と言えば阿弥陀様の極楽浄土っていうのが一般的になってる。そして「昔からそうなんだからそう思え」と言われればそうするしかないんだろうけど、やっぱりちょっと納得いかんw。(コマカイコトガキニナルノガワルイクセ


そんなこんなといろいろ勉強してるうちに、ぼあちゃんはいったいどこのお浄土に往生したのだろうかという疑問が湧いてきた。
で、ちょっともやもやな気分のままで書いたのが、これらの日記。
中陰はここまでだけど、まだ十王は登場するのでこれも貼っておく。

さらに、これらの日記を書いてるうちに、そもそもあの子は本当に往生できてるのだろうかという疑問が湧いてきてた。

人が亡くなる、つまり今生が終わると、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天のいずれかに生まれ変わる(輪廻)。その生で善を積めば上の世界に生まれ、悪を成せば下の世界に生まれ変わるんだろう。さらに、たくさん修行して解脱できれば輪廻から抜けられるんだろうけど、そんなこと、どう考えても普通の人には無理ゲー。そこでお浄土に往生すれば、それでも抜け出すことができると理解してる。(そもそもなぜ輪廻から抜け出さなきゃいけないのかは、これまた難しい話になるので今回は省略w。)

あの子は、少なくとも我が家にいた3年間はとってもいい子で、悪いことは全然してないw。多分その前の2年間(?)もそうだったはず。控えめで、なんでも他の子に譲ってたと思う。一般的には、ケージの中で他の子を踏みつけにしてご飯も他の子を押しのけて真っ先に食べるような子から売れるので、あの歳まで売れ残ってたのがその証拠w。だから、少なくともさらに下の世界に堕ちることはないと断言できる(親バカ)。ちなみにコオロギを食べてたけど、それも悪行だと言うなら、今頃地獄は罪人であふれかえり、人出不足ならぬ超々鬼手不足だろうw。
ここまではほぼ間違いないと思ってるんだけど、往生となるとまた別の話。いろいろ調べてたら、「動物は順次往生(今生が終わってただちに往生すること)できず、一旦人間界に生まれてから、そこで修行して往生する(順後往生?)。」ということも言われているみたいだった。確かに、畜生道に生まれてたわけだから修行などできるわけがない。あの子がお念仏を唱えてる姿は見たことがないわw。
でも、我が家にいた3年間は、毎朝儂が唱えていたお経やお念仏(南無阿弥陀仏はもちろんだけどそれ以外もw)を聴いていた。それも、不思議とその間は動かないことも多かったし、亡くなってからは儂も毎日欠かさずご供養してた。仏教には「回向」という考え方があるので、これでなんとかならないかなあと思ってた。
と、もやもやしながらもいろいろ調べて勉強してるうちに、こんな記事に辿り着いた。
「なるほどね~、“専門家”の間でもいろいろな考え方があるんだね~」と思うと同時に、やっぱりあの子は大丈夫だなと思った。この記事が書かれた時点では結論が出てなかったみたいだけど、今はどうなんだろう? 例え結論が出てたとしても、「〇〇に書かれているから」とか「そういう解釈だから」ということなんだろうなw。
それと、ちょっと話はずれるんだけど、ここに書いてあるように、お坊様といわれる人に「仏教教義上、人間とペットがあの世で再会できるなどということはありません。」 と言われたら、そりゃあショックだろうし悲しいし残念だろうなと思った。教義ではそうなのかもしれないけど、少なくともお坊様と呼ばれる人には、やっぱり人の心や気持ちに寄り添うことを何よりも優先してほしいなと思った。罰当たり(仏教では罰は当たらないと言われてる?)なことを言ってごめんなさい。
ここまで書いてきたこと以外にも、「一切衆生悉有仏性」ということが気になり、これもちょっと勉強してみた。もう際限がなくなってくるので、これについて書くのはやめておくけど、やっぱりいくつかの解釈があるんだなあということはわかった。(イイカゲンニシテ-w
これは穿った見方かもしれないけど、結局はその人が動物が好きか嫌いかみたいなことが、いろいろな解釈にも影響しちゃうんじゃないのかなとか、さらに「ワンちゃんやネコちゃんは往生できるけど爬虫類はできない」なんていう話まで出てきたりして、なんて思っちゃったw。

「私にとってはここが極楽よ~」

ぼあちゃんが亡くなったお蔭で、と言うのもヘンだけど、いろいろなことを勉強させてもらった。ぼあちゃん、ありがとう。
ネットを検索していろいろなサイトも見たし、何冊かの本も読んだ。
まず、サイトの中で特に興味深かったのはこれらかな。

 そして、読んだ本は以下の通り。


この中で、「如何に中陰法要を勤めるか」という本は特に勉強になった。著者の那須信孝と言う方は浄土真宗のお坊様で、どちらかというとお坊様のために書かれた本なのかなと思ったけど、儂のような素人にもとてもわかりやすく書かれていた。
輪廻のこと、中陰のこと、往生のこと、さらにチベットの「死者の書」についても書かれている。もちろん人について書かれた本だけど、ぼあちゃんの往生とかについてもそれなりに役にたったし、何より自分自身がいろいろと考える機会になり、とても勉強になった。
ほとんど全編を書き出したい位だけど、とても無理だし著作権法にも触れるのでw、最後にこれだけ書いておこうと思う。

この生はどうしてみようもないという、この生はつまらぬ、この生はどうでもよいところ、未来一つは安養浄土へ往生すればよいというのが阿弥陀の本願であるかの如く、そんなことが『大無量寿経』の教えであるかの如く、それが親鸞の教えであるが如く考えられてきている。~中略~ それで人間が真剣にならぬ、人間が現在がわからぬので未来を観念する。ほんとの未来は現在の中の内容である。~中略~ 現在の中に内在するところに未来が成就する。現在を無視したただの未来などというものはない。現在するので有難い。現在の事実に関係のない未来のみ長い間聞いている、如何にも有難いもののように聞いている。しかし事実は有難いものではない。事実に触れぬので、有難いで済ましている。夢物語である。」(曽我量深講義集)
これは著者の言葉でなく、曽我量深というお坊様の言われたことなのかな。儂は真宗の信徒でもないし今の真宗の教えがどうのこうということではなく、「ほんとの未来は現在の中の内容である。現在を無視したただの未来などというものはない。」というところに共鳴した。

「今生と後生とは別々の二つではないのであって、今生が終わって死んでから後生があるという後生は迷いの後生です。」
これは著者が書いていること。只管感心。

コメント (8)
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