昭和53年 日本作詩大賞審査員室で当時の作詩家協会会長 藤浦洸氏が言い放った言葉だそうです
今日はmariちゃんの音楽上のご主人 さとう宗幸氏のコンサートにお邪魔してきました
三重県のいなべ市というところです
人権フェスティバルという催しのイヴェントとしてのコンサート
一番前に陣取って一部始終見せてもらいました
そして一番印象に残ったお話が今日の出だしの言葉です
その年、世はまさにピンクレディ全盛期
ほとんどすべての音楽賞を総なめにしてきたビッグタレントとその周辺
さとうさんのお話です
さとうさん自身もかの「青葉城恋唄」でいくつかの賞を受賞されてきました
もう時効だからと裏話をしてくださいました
どの音楽祭でも事前に耳打ちがあったそうです
「さとうさん、今回はどうも銀賞ということに・・・なるかもしれません」
断定は決してされないそうですが凡その予想はつくと
そういう経験を一年の間に数々されたそうです
なんといっても時は音楽祭も目白押し、20いくつもの受賞機会があったということ
そして迎えた 日本作詩大賞受賞のその日
「さとうさん、どうも今回は・・・(だめらしい)」の耳打ち
一応候補曲として歌の披露はあった
当然当時の一番の人気作家であり
あのピンクレディーの作詞を一手に引き受けてる 阿久悠氏がその栄冠をつかむことは世の中のほとんどの人が予想もし信じていた
その審査は予想通りの展開を呈していた
しかし車椅子から手が上がった
作詩家協会会長であり審査委員長(?)の藤浦洸氏が言った
「皆さんは日本人の心を忘れてしまったのですか?」
彼がどの曲を言ったというのではない
そしてそれは大きな説得力を持ち
歴史に残る大どんでん返しがここに成立した
その結果
昭和53年 第11回 日本作詩大賞は
青葉城恋唄
広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬 踊る光に 揺れていた君の瞳
季節(とき)はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人は もういない
七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
夜空 輝く星に 願いをこめた君の囁き
ときはめぐり また夏が来て
あの日と同じ 七夕飾り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない
青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
樹かげ こぼれるともしびに ぬれていた君の頬
ときはめぐり また夏が来て
あの日と同じ 通りの角
吹く風やさしき 杜の都
あの人は もういない
ときはめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人は もういない
この記事は関係者の方の目に触れる可能性があるからお叱りを受けるかもしれないけど歌詞を載せさせてもらいます
この 瀬音ゆかしき とか 葉ずれさやけき とか日本の言葉の美しさ、限りないほどの表現力を感じさせる その作品に大賞が与えられたのでした
さとうさんは一回歌って脱力系。。
今回はない と耳打ちされてたこともあって 完全にリラックスムードのところへ
「第11回日本作詩大賞の受賞作は・・「あおばじょう・・」・・・・
ぶっ飛んだそうです
でもそのあとにまたいいお話をしてくださいました
この回に受賞できなかった阿久悠氏ですがそれは実力がないとかセンスがないとかでは勿論なかった
世間の需要に応えて ピンクレディーのカタカナ言葉に支配されてる詩を書かれただけ
実は「青葉城恋歌」の一番最初のプレスの時の歌詞カードには
1番の歌詞には
時はめぐり また夏が来て
になっていた
「時というものは巡るものじゃない 行ってしまうからね
この「とき」は 「季節」と書いて とき と読ませればいい」
そう進言されてその後の歌詞カードには
季節はめぐり また夏が来て
という言葉が使われるようになったということのようです
そしてそれを進言したのが その阿久悠さんだったという
でかいよね
巨星だ
そんな話を伺って なんかじわ~~っと目頭が熱くなってしまった
僕たちは日本人の心を忘れてしまってはいないだろうか
今 沈み切ってる日本の国も日本人ももう一度原点に返って巻き返さないととんでもないことになりそうな気がする
もっとできるはずなんだよね 絶対に
日本人って結構優秀なはずなんだよね
がんばろー
mariちゃん付きで 青葉城恋唄
今日はmariちゃんの音楽上のご主人 さとう宗幸氏のコンサートにお邪魔してきました
三重県のいなべ市というところです
人権フェスティバルという催しのイヴェントとしてのコンサート
一番前に陣取って一部始終見せてもらいました
そして一番印象に残ったお話が今日の出だしの言葉です
その年、世はまさにピンクレディ全盛期
ほとんどすべての音楽賞を総なめにしてきたビッグタレントとその周辺
さとうさんのお話です
さとうさん自身もかの「青葉城恋唄」でいくつかの賞を受賞されてきました
もう時効だからと裏話をしてくださいました
どの音楽祭でも事前に耳打ちがあったそうです
「さとうさん、今回はどうも銀賞ということに・・・なるかもしれません」
断定は決してされないそうですが凡その予想はつくと
そういう経験を一年の間に数々されたそうです
なんといっても時は音楽祭も目白押し、20いくつもの受賞機会があったということ
そして迎えた 日本作詩大賞受賞のその日
「さとうさん、どうも今回は・・・(だめらしい)」の耳打ち
一応候補曲として歌の披露はあった
当然当時の一番の人気作家であり
あのピンクレディーの作詞を一手に引き受けてる 阿久悠氏がその栄冠をつかむことは世の中のほとんどの人が予想もし信じていた
その審査は予想通りの展開を呈していた
しかし車椅子から手が上がった
作詩家協会会長であり審査委員長(?)の藤浦洸氏が言った
「皆さんは日本人の心を忘れてしまったのですか?」
彼がどの曲を言ったというのではない
そしてそれは大きな説得力を持ち
歴史に残る大どんでん返しがここに成立した
その結果
昭和53年 第11回 日本作詩大賞は
青葉城恋唄
広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬 踊る光に 揺れていた君の瞳
季節(とき)はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人は もういない
七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
夜空 輝く星に 願いをこめた君の囁き
ときはめぐり また夏が来て
あの日と同じ 七夕飾り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない
青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
樹かげ こぼれるともしびに ぬれていた君の頬
ときはめぐり また夏が来て
あの日と同じ 通りの角
吹く風やさしき 杜の都
あの人は もういない
ときはめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都
あの人は もういない
この記事は関係者の方の目に触れる可能性があるからお叱りを受けるかもしれないけど歌詞を載せさせてもらいます
この 瀬音ゆかしき とか 葉ずれさやけき とか日本の言葉の美しさ、限りないほどの表現力を感じさせる その作品に大賞が与えられたのでした
さとうさんは一回歌って脱力系。。
今回はない と耳打ちされてたこともあって 完全にリラックスムードのところへ
「第11回日本作詩大賞の受賞作は・・「あおばじょう・・」・・・・
ぶっ飛んだそうです
でもそのあとにまたいいお話をしてくださいました
この回に受賞できなかった阿久悠氏ですがそれは実力がないとかセンスがないとかでは勿論なかった
世間の需要に応えて ピンクレディーのカタカナ言葉に支配されてる詩を書かれただけ
実は「青葉城恋歌」の一番最初のプレスの時の歌詞カードには
1番の歌詞には
時はめぐり また夏が来て
になっていた
「時というものは巡るものじゃない 行ってしまうからね
この「とき」は 「季節」と書いて とき と読ませればいい」
そう進言されてその後の歌詞カードには
季節はめぐり また夏が来て
という言葉が使われるようになったということのようです
そしてそれを進言したのが その阿久悠さんだったという
でかいよね
巨星だ
そんな話を伺って なんかじわ~~っと目頭が熱くなってしまった
僕たちは日本人の心を忘れてしまってはいないだろうか
今 沈み切ってる日本の国も日本人ももう一度原点に返って巻き返さないととんでもないことになりそうな気がする
もっとできるはずなんだよね 絶対に
日本人って結構優秀なはずなんだよね
がんばろー
mariちゃん付きで 青葉城恋唄