木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

宝くじ的人生感

2014-04-14 23:14:10 | 生活
グリーンジャンボの当選番号を確認しないままここにきて、やっと確認
普段の僕がいる
当たるわけないけど、買わなきゃもっと当たらない
もし当たると、一等なら億単位のお金を手にすることになる

先日、みぃと話してるときに
「お金持ち資産家の家に生まれた子ってのは、生まれながらにして一等賞に当たってるってことだね」
そんな話をした
人によってはそれに何回も当たってるくらいの人もいるわけだ
でも大きく違うのはそのことに気付いてない というか瞬間的にそんな喜びを感じることなくその環境にいるってこと

これはあくまで経済的な一面だけでのお話である
人間生活にはそれよりももっとその人に及ぼす影響を秘めたものがある
それは周りの人間。
一番は親。二番三番はなくて五番目くらいになってやっと友達ってのが現れるのではないだろうか。
まだ自分というものが何かもわからない時から親の影響はもろに受けることになる
親のやることが世間の常識だと思い込んで大きくなってゆく
いや、常識という言葉も知らないまま、それが体に、頭の中に沁みこんでゆく
だから、親が立派なら子はそこそこ立派になる場合が多い(笑)
いろいろと語弊はあるでしょうが

親との絡み方によって作られてきたその人の質。
なかなか方向転換はできないものの、成長する過程で、友達にあるいは配偶者によってまた違う方向を目指す可能性はある

さて自分は、宝くじ的に見たら、周辺の大人たちには恵まれてたのだろうか?
何も持たないでこの世に来て、正しい愛の中で時を過ごせてこれたのか
そして、その自分に預けられた子供たちには何かを与えられたのだろうか

僕自身は経済的なことは別にして、人的には恵まれてたんじゃないかなぁと思う半面、子供たちに対しては
両親が離婚というハンディを負わせてしまった後ろめたさがある。
特に小さかった娘に対してより大きなものがある

ただ・・・人として後ろ指を指されないような人にはなってくれてると信じてはいるけれど

あんまり幸せじゃなかったかなぁ・・・
これからうんと幸せになっていってほしい


でも、思う
みんな人間として生まれることができたってこと 実はそれこそが宝くじの一等賞に当たるよりも大変なことなんじゃないかなって
無限の可能性がある
齢60を数えた僕でさえそう思う
大事にしよ


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする