木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

その2

2014-12-21 23:47:42 | 友達
20日は高校のクラス会だった
おかしなことに2年7組のクラス会
3年のクラス会は今まで一度あっただけなのに2年のクラス会は毎年のように開かれてる
離婚するあたりからご無沙汰していたけど、久しぶりに出席しようと思ったのは
昨年中学の同窓会の幹事をして、毎年頑張ってる幹事に敬意を表する気持ちと毎日の生活に自信ではなくてあきらめのようなものを感じ始めたからかもしれない
出身校はそこそこの進学校だった
この会に来る連中はそれぞれ世間的に自信の持てる地位にいるとか、恥ずかしくない毎日を送っている塊なのだ
まぁこれはどこのクラス会でも似たようなものなのだろう
もうみんなが一応人生の一区切りをつける年頃だ
定年という言葉が会の多くを占める
先生を含めて14人、女性数人
一人病気を告白する人がいた
現在も働いてる人もいたが3人は主婦
みんな余裕のある生活をしておられる

僕の前に座ったA君は広島大学に進んで助教授までなったが、その先に進めなくて9年前から歯科開業医をしてるとのこと
左に座ったB君は、学校時代落ちこぼれて(本人談)450人中たった数人の就職組になったのだが、一念発起して二年後に教育大学へ入り小学校の教師になった
この春定年になって今は同じ学校で楽な仕事をしている
C君は一部上場の会社のナンバー3(これも本人談)だから定年はないけど、社長の判断で来年の地位はどうなるかわからないという
D君はSKEの公式スポンサーの会社の社長を9月までしていたようで、ホームグランドの入場券ならいつでも手に入るぞ と
E君は私学の工業高校の就職担当 定年は乗り越えあと数年は頑張るようだ
308人中300人の就職が決まってるそうだ
F君はこの春定年になって・・彼も大きい会社だったと思うが忘れた
パソコン関係の仕事ばかりしてたので、ウェブデザイナーを目指して勉強中だとか
失業保険をもらってる最中
G君は名古屋地下鉄の仕事を春に退職 その後書道の先生というか審査員というか何とか理事長を務めながら忙しい日々を送ってる しかも来年の春には市会議員を目指して立候補予定
H君は精神科の開業医 言わずもがなの現役
そして、しがない木工所を経営する σ(^^;)バツイチ
そんな話を母親にしたら、肩身が狭かったんじゃないか? というが、僕は自分が決めた木工所の跡取りってことを一度も後悔したことがない
確かに経済的には恵まれない部分もあったけど、これに勝る「生き易さ」を手にすることが出来てたはず それはお金に替えられない
そして自分ができるところまでやれる仕事が今もあることはちょっとした自慢だ

今まで自分の学校を「中途半端な進学校」という言い方をしてきたが、こうやってみるとそう卑下することもないように思えてくる。級友のおかげだな(笑)

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4 コメント

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アリスさん (かっつん)
2014-12-24 00:21:23
今回は二次会まで参加しましたが、楽しい話はそこまで続きました
これ以上話すと病気から死に至るところまでの話になるんじゃないでしょうか
そうなったら楽しい話じゃありません
ここらあたりが潮時なんでしょうね
僕は昔から飲み会が得意ではありません
クラス会は元々その延長上なのでいくらか苦手なところがあります
今回も最初が木曽路で10000円次がスナック貸し切りで7000円
ちょっと高すぎます(笑)
10000円までで収めてほしい
そういう気持ちがどこかにあって自分自身に少しがっかりしてしまいます
それでもまぁたまにはいいかな?
来年はお休みしましょうかね(笑)
ただ幹事をしてる中学の部は来年早々少人数でありそうです
・・・参加します(笑)

返信する
何だか良いお話でしたね。 (アリス)
2014-12-23 23:36:19
引退してから毎日が日曜日状態ですが、最近は自分の
人生を振り返る事が多くなってきました。

人はこの世に生れて時代の流れの中で使われる人間
だったり、人を使う人間だったり、独立独歩で行く人
だったりと色々な事が有ります。

しかし、上り坂があると下り坂に差し掛かり、その後
穏やかな平地を歩んで行くんだろうと思います。

難しい事は解りませんが、どんな人生を歩んでも
自分にとって何か光るものが1つあれば良い気が
します。

地位があったり、お金があったり、あるいは延長線上
で再起する人もあるんだろうと思います。

私は単純な生き方しかしてきませんでしたので、職業
についての栄光を追っかける性格ではありませんので
躊躇することなく引退を選択しました。

どうも怠け者なのか?職業を趣味に出来ないところが
あって、自由きままに時間を使う事に抵抗がありません。

いつだったか、同級生を集めて泊まりがけで飲み明か
した事があります。

仰るように、同窓会に出席する人はそれなりに元気
の良い方が参加します。欠席の方はいろいろな面で
ご苦労の多い方が居るように思いました。

そこで、それ以降は開催する事を止めました。
せいぜいが2時間程度で話題が無くなります。(笑)

その後の場に疲れが出てくるんですよ。長い間の
空白の中で生き方が違ってくると、なかなか話題
の提供が出来ない。年齢と共に身体の話になり
誰かが手術をしたとか、治療中だとか、死んだとか
の話題に成っていきますが、楽しくないんですよ。

やはり生活環境の違いを乗り越えて話題を作るのは
難しいですね。

自然体で生きていくことが一番、肩が凝らずに良いか
も知れせんね?

何だか変なコメントで続きそうにもありません。
どうも失礼しました。

返信する
masaやん (かっつん)
2014-12-23 00:52:13
長い間音信不通で久しぶりに会うと最初は思い出せなくてもだんだん当時の顔を思い出しますよね
概してクラス会や同窓会は、今調子の悪い人はなかなか出席しようという気になれないものです
元々そういう会のことをあまり好きじゃない人もいますが

今回も僕を除いては順風満帆の輩だけのような気もしましたが、詳しく話をしてると俺もバツイチだとカミングアウトしてくれた者もいました
誰にも好不調はありますね
ただどうなることが成功者なのか、それは微妙なところです
今回出席した中でも、精神科のI君のところへ行って診てもらったのが複数人いました
気楽に夜も眠れる自分の環境に改めて感謝です(笑)
返信する
私の初めて出席した同窓会の思い出 (masamikeitas)
2014-12-22 17:52:03
かっつん、こんばんわ。

私が55歳になった時に中学3年の同窓会が初めて開かれました。
まぁ、懐かしさもあり行ってきました。
頭のよい連中は、中学から名古屋の私立中学へ行ったのですが、どういう訳か参加していました。
成功者は医者とかパイロットとか一部上場の会社員とか地元市役所に勤務していて、この同窓会を利用して市会議員に立候補する輩などでした。
私の憧れの女性も来ていましたが、近づきませんでした。高校時代に既に振られていましたので。(苦笑)
同窓会を終えて二次会に行くと、どういう訳か私に喧嘩をふっかけてきた奴がいたのには驚きました。
私の何が面白くなかったのか、未だにわかりません。
二次会を途中で退席する時、「よく来てくれた」と握手を求められた男性が、5年後に亡くなったことを知った時には驚きました。
私の同窓会の思い出話を書きました。
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