病気だった自宅のパソコンは一応息子の手で治してもらいました
一時的かもしれないという注意書き付きです(笑)
ということで普通に書きます
前に人生相談 「加藤先生の一言」という日記を書いた
毎回は書き留められないがまだなんとなく続いてるし溜まっている
あの時小出しにしようと言って出してなかったんですこし持ってきました
例によって全く間違いなく書きとどめてるとは言い難いのでその辺は大目に見ていただきたい
社会的正常性と心理的正常性は違います 24.12.16
同じ環境になっても人は同じに感じるものではありません
人生のトラブルを解決するには、視点を増やすこと 25.12.19 木
物の豊かさでは、喪失感は補えません 25.12.26 木
神経症はパーソナリティーに矛盾を含んでいます 26.1.9
嫉妬は受け身の攻撃性です 26.1.20 月
自分に正直になる努力は人生最高の努力になる(?)フロイト 26.2.3 月
親を尊敬しているという人は親を恐れています
心の不健康な人は不健康なことが心地よいのです
ロマンチストは現実を見ない 26.2.6
暴力をふるってないのにふるったというウソをつかれた。なぜそういうウソをついたのか、そこからがスタートです 26.2.10
最後の言葉は心当たりがあります
元妻が口を利かなくなって一年以上たったある日、どうにもこらえきれなくなって
僕は切れる準備をしました
何度もここで書いていますが娘に
「今日とうさんはかあさんになんで口を利いてくれないか と聞く もしそれでも返事しなかったら怒るかもしれないけど怖がらなくてもいいよ」
僕の呼びかけを無視してる母親に
「かあさん、しゃっべってよ」という娘の言葉も聞き流していた家内の肩を持って こっちを見ろ と力を入れた
僕も興奮していたので優しく向けさせたわけじゃなかった
痛かったのかもしれない
それを「首を絞められた」と息子にメールした
息子はよくわかってるので母親のメールを無視したのだが
そういう事があったのを後で聞かされた
酷い嘘をつかれたと思っていたが妻の立場から見たらそう思うこともあり得ないではなかったかもしれない
今でも悪いことをしたとまでは思えないが そういう事自体をしてはいけないことは学んだ
そこからホントに別れの準備が始まったのだろう と思う
僕の人生でいちばん長く厳しい冬の季節だった 一年半続いた冬
一時的かもしれないという注意書き付きです(笑)
ということで普通に書きます
前に人生相談 「加藤先生の一言」という日記を書いた
毎回は書き留められないがまだなんとなく続いてるし溜まっている
あの時小出しにしようと言って出してなかったんですこし持ってきました
例によって全く間違いなく書きとどめてるとは言い難いのでその辺は大目に見ていただきたい
社会的正常性と心理的正常性は違います 24.12.16
同じ環境になっても人は同じに感じるものではありません
人生のトラブルを解決するには、視点を増やすこと 25.12.19 木
物の豊かさでは、喪失感は補えません 25.12.26 木
神経症はパーソナリティーに矛盾を含んでいます 26.1.9
嫉妬は受け身の攻撃性です 26.1.20 月
自分に正直になる努力は人生最高の努力になる(?)フロイト 26.2.3 月
親を尊敬しているという人は親を恐れています
心の不健康な人は不健康なことが心地よいのです
ロマンチストは現実を見ない 26.2.6
暴力をふるってないのにふるったというウソをつかれた。なぜそういうウソをついたのか、そこからがスタートです 26.2.10
最後の言葉は心当たりがあります
元妻が口を利かなくなって一年以上たったある日、どうにもこらえきれなくなって
僕は切れる準備をしました
何度もここで書いていますが娘に
「今日とうさんはかあさんになんで口を利いてくれないか と聞く もしそれでも返事しなかったら怒るかもしれないけど怖がらなくてもいいよ」
僕の呼びかけを無視してる母親に
「かあさん、しゃっべってよ」という娘の言葉も聞き流していた家内の肩を持って こっちを見ろ と力を入れた
僕も興奮していたので優しく向けさせたわけじゃなかった
痛かったのかもしれない
それを「首を絞められた」と息子にメールした
息子はよくわかってるので母親のメールを無視したのだが
そういう事があったのを後で聞かされた
酷い嘘をつかれたと思っていたが妻の立場から見たらそう思うこともあり得ないではなかったかもしれない
今でも悪いことをしたとまでは思えないが そういう事自体をしてはいけないことは学んだ
そこからホントに別れの準備が始まったのだろう と思う
僕の人生でいちばん長く厳しい冬の季節だった 一年半続いた冬
加藤先生の一言は勉強になりますし、反省させられます。
列挙していただいた言葉の中にも勉強になる言葉がいっぱいあります。
「同じ環境になっても人は同じに感じるものではありません」
「人生のトラブルを解決するには、視点を増やすこと 25.12.19 木」
「嫉妬は受け身の攻撃性です 26.1.20 月」
「ロマンチストは現実を見ない 26.2.6」
これらの名言は私に当てはまりますので、とても勉強になりました。(苦笑)
>暴力をふるってないのにふるったというウソをつかれた。なぜそういうウソをついたのか、そこからがスタートです 26.2.10
かっつんと元奥様のことは、私にも起こることだと思います。
>酷い嘘をつかれたと思っていたが妻の立場から見たらそう思うこともあり得ないではなかったかもしれない
今の幸せなかっつんだから、別の視点も生まれたんでしょうね。
偉そうなことを書いてすいません。
気付くことができました
私は一人っ子に、前のめりで重たい母親では
ないかと・・・
今は、あれこれ言わず、受け身で行こうと
しています
私の性格で、静かに見守ることは、大変な忍耐を伴うのですが、頑張っています
自分一人では気がつかなかったと思います
それにしても、頑固な元妻さんだったのですね
コメントしてたけど・・(笑) いい言葉がたくさんあるよね
最近
駅でもキャッチコピーとかいろいろ
いい言葉があると頭の中で反芻して 覚えようとするんだけど 忘れちゃうから(笑)スマホのメモに打ち込んでる時がある ブログにも書けるしね
~同じ環境になっても人は同じに感じるものではありません~
この言葉
わかるなぁって思います。
マイナスに思う人もいれば
それを力に変えて前に歩く人もいて
なんでも自分の気持ち次第だなぁってことかなぁ。
かっつん
いい人に出会えてよかったね。しみじみ。。思うわ。
受け取る人によって、印象がかなり違ってくるし、
自分の都合のいいように記憶を変えちゃうので、
そうすると、厄介ですね。
加藤先生の一言・・・改めて考えさせられることあります。
心の不健康な人は不健康なことが心地よいのです
この間「嫌われる勇気」を読みましたが、アドラー的考えと重なりました。
理由があって不健康になるのではなく、不健康になりたいから、理由付けをする・・・
哲学だなぁ。
僕も聞いててそうだなぁとよく思ったんですが、こうやって文字にしてみるとまた違う感じがします
はたしてどんな相談の中でこういう言葉が選ばれたのか それは全く覚えてないのですがやはりいい言葉には魂が宿ってるって請いとでしょう
自分でも見てみて、これは本当かな?と思えるのは
「親を尊敬しているという人は親を恐れています」という言葉です
これに関してはちょっと疑問があります
そういう人を何人か見たり聞いたりしているからでしょう
その人が親を恐れているとは思えなかったりするものですから
心の奥底の意味なんでしょうか
僕自身は親を尊敬はしてないけど尊重はしてる っていつも言ってましたし
今もそう思っています
親の欠点はたっくさんありましたからね(笑)
同じように僕にも引き継がれていると思います
みなさん我が子のことのように真剣にコメントされてたのが印象的でした
僕の相棒も心配と安心を同じように体験したようです
一人っ子の母親はたくさん居られます
みんな自分の命以上の愛情をもって接して、喜怒哀楽のほとんどを捧げていると言っても過言ではありません
それは致し方ない環境です
その中でどう接したらいいのかの模範解答は無いですからね
これからも無理のないように愛してあげてください
言葉の大切さを改めて感じます
そうなんです 頑固なんです
すごかったです
でも僕じゃなかったらうまくやれたかもしれません
真面目で一途でした
幸せになって欲しいと思っています
そういえば時々印象に残る言葉をブログに書いてるね
自分とマッチするところがあるとハッとする
スマホにメモするっていいことだよね
僕もやってるよ
人はそれぞれ違うけど、似たところもある
そういう難しさがあるよね
だからまた面白い
共感できる部分とむしろ反発したくなる部分
前者が多ければ友達になりそれ以上の関係になり得るってことか
出会いね(笑)そうだね
相手にもそう思われるようにならなくちゃです
これって正に僕から見たら冤罪です
それで、彼女の家族も僕をそのように見てたようです
でもその行動に納得できなかったらしくて
だんだんと僕のことを理解してくれるようになったみたいです
今はもう自分の中で解決しています
心の持ちようでホントに180度未来を変える可能性がありますね
心の不健康な人それ自体が心地良い なんてなかなか気づかないですが
言われてみるとなるほどと思います
玉ちゃんはあれ以来ブログタイトル通りの生活をエンジョイされてるみたいですごくいい
その調子でしわせになってください
奥が深いんだよね~~^^
でも、忘れちゃうんだけどね(笑)
でも、加藤先生のお言葉は忘れても それについて考えたことはなんとなく自分のものになっているような気がします。
かっつんやブロ友さんたちの言葉も考えるチャンスをもらいました。
そして少しずつ進む道が変わっていったような気がします。
ブログやっててよかったなあ~~
加藤先生の言葉というのはそれが指針になるわけじゃなくて
自分のやってきたことを振り返るとそういう言葉になる
そういう存在なのではないでしょうか
勿論、中には指針になるものもあります
それが少ないほど自分の歩んできた道の正しさを確認することになる
僕はそう思ってます
それでも言葉にするとなるほどと思うことの連続です
ありがたいことです
ブログからの恩恵は僕も身に沁みています
これからもよろしくお願いします