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小笠原渡航記 1992年2月  その4

2022-01-17 12:08:14 | 写真 海

     平成4年 (1992)  2月20日  -2- 

  扇浦を後にして島の中央部へ(当時は道が悪くこれ以上南下するのは諦めました)
 標高319m小笠原の最高峰中央山です。
 野鳥のさえずる声が賑やかでした。
 『メグロ!?』父島で?・・・たぶんメジロ。

  戦時中使用していた電場探信儀の台座がありました。30年前は砲台の跡だとばかり思ってました。


 ↑ google Earth ストリートビュー 

 当時はただの山頂だったような。見晴らしは非常に良かった。だが、あとはあまり憶えてません。
 この展望台はその後建てられたものと思います。


  道なりに車を走らせると次は 夜明け山。 ここから脇道へ入ると『首無し金次郎』の像。
 写真が見つからないのでパスした可能性が大。

 ※ネットで視ると現在の道路はかなり整備されています。
  しかし30年前は快適な道路ではなく、定員いっぱい・まだ550CCの軽四・でやっと走った様な記憶があります。
  山道ドライブ?。だったような・・・。
 

  街に戻って来て三日月山へ

 標高204mの山頂からは二見湾が一望できました。
 

 ↑ google Earth ストリートビュー  現在は四阿が建てられているようです。

  記憶がはっきりしないのですがこのあとウェザーステーションへ移動したと思います。
 遠くで鯨が跳ねているのを視た高台がそこだったと思います。
 トランシーバーを抱えた男。ホエールウォッチングの船と連絡を取って誘導しているようだ。

 
 ↑ google Earth ストリートビュー この展望台も当時はありませんでした。



  数時間のドライブを終えて昼食
 宿から徒歩5分の食堂。
 パンフレットで視た島寿司を注文。
 ネタが醤油漬けにされていた。所謂『ヅケ』。
 冷蔵庫が普及したのはそう遠くない昔だろう。保存のための手立てだったのかと想像する。
 そしてワサビではなく洋辛子。亜熱帯の離島故にワサビも手に入りにくかったことも想像できる。
 戦後は粉ワサビが普及したかと思いますが洋辛子になれてしまったのでしょう。

 ※1972年(昭和47年) 東京電力が小笠原父島内燃力発電所の操業を開始。
  それ以前の電力事情は乏しいものだったのでしょう。

 この食堂で『ウミガメの缶詰』のことを訊いた。
 「あれは旨いと言うより珍しいと思って食べるものです」との回答。
 『ようするに美味くは無いのだ』と納得。
 土産に購入も考えていたが価格が高いこともあって止めました。
 当時サバの水煮缶詰が¥100未満でしたが亀缶は¥500位したと記憶してます。
 現在は¥1500くらいするらしいです。やはり不味いと不評です。

 この後、海岸通りに出てホエールウォッチング協会(現在とは位置が異なる)へと。
 予約。しかし明日の海象状況でどうなるかは不明。

  前日と変わり映えしない宿の夕食。

 

 つ づ く

 

  後のために  ダイビング編目次 へLINKを貼ることにいたします。

 



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