「私にも 写せます」 ♪ マガジン ポン フジカ シングル エイト ................。
映画フィルムの標準巾は35mmです。(倍の70mmもあります)
それ以下を一般的には小型映画と申します。
黎明期には28・20・17.5・16・9.5・8mm 等々と数十種類のフィルムが試行錯誤されました。
※パーフォレーションは一般的には駒の両端・あるいは片端に空いてますがパテ9.5mmは駒と駒の境目、真ん中に空けられてました。
16mm幅のフィルムが一般用に登場いたしましたがレギュラーになるには手軽さ、ランニングコストなどが足枷になっておりました。
その後ダブル8(レギュラー8とも言う)システムが登場。幅16mm,長さ7.6mの両側パーフォレーションフィルム。片側を撮影後,スプールを上下入れ換えて反対側を撮影。
現像終了後,中央で縦真っ二つに切断,両者のフィルムをつないで1本の8mm映画とする。
ダブル8 実際に使用したことがあります。Canon Moter Zoom8 EEE 昭和37年(1962)¥41,500
EEEとは electric・eye・easy(電子の眼・簡単) の意味らしいです。医師を父親に持つ同級生にお貸りしました。
ピントは手動ですがそれ以外はカメラ任せです。
16mm幅ダブル8は音声用テープで言えばオープンリールです。
Super8 Single8はカセットテープです。扱いが楽なのは一目両全でしょう。
ダブル8方式の厄介なのが半分露光して、取り出し。上下を入れ替えて再セットです。
この時トラブルが起きやすいのですネ。
私も一度失敗いたしました。リールを落としてしまったのです。
地面に落ちたリールは転がってフィルムの一部がむき出しになり感光...諦めました。
マガジン式は装填も簡単。使い切れば気軽に日中交換できました。
初めから8mm幅のフィルムを二軸式のマガジンに詰めたフィルムを開発。
新しい8mmシステムを国際商品に育てるために新システムの規格を広く国内外のカメラメーカーやフィルムメーカーと共通のものとしていく必要があった。
キヤノン,ヤシカ,小西六写真工業の3社に協力を求めた。
コダック,アグファ,ベル&ハウエルの3社にも呼びかけを行なった。
これに対して,コダックは,目下その計画はなく,関心はない。との回答。
Fujiは国内カメラメーカー13社およびアグファ社と,共同開発の基本契約を締結した。
名称を「ラピッド-8」とすることに内定。東京オリンピックを目標に生産を開始した。
カメラの生産も,フィルムの量産化に入ろうとした矢先、kodakが新方式「スーパー8」を発表した。
“スーパー8”は,マガジンの形式は全く異なっていた。その上,1コマの面積は,従来の8mmフィルムや“ラピッド-8”のほぼ50%増しだった。
“ラピッド-8”はダブル8ユーザーの便宜のために,既存の映写機でも映写できる従来のダブル8と同じサイズ4.37mm×3.28mmとしていた。
しかし“スーパー8”は5.36mm×4.01mmと大型化を図っていたのである。
泣く子と地頭には勝てぬ。
Fujiは発売直前の“ラピッド-8”をあきらめkodakと同サイズのSingle-8を開発することとなった。
スーパー-8が出なければ CMは 「マガジンポン」 ♪フジカラピッド エイト...と、なっていたのかも。
左:Single-8 フィルムマガジン 右:Super-8 マガジン
フィルムの厚さが異なりました。Fujiはエスターベース(薄くて丈夫)で 編集時にSupaer-8フィルムと繋ぐと映写時に不具合がでました。
※後にダブル幅の100フィート(往復200フィート)リール巻きスーパー8が、コダック社から「DS8」フィルムとして業務用に発売された。
日本ではそれ用のCanonがZoom DS-8が発売された。
本格的スプロケットフィルム送り機構・シャッター開角可変機構・サーボEEなどが採用された。
高機能と耐久性に優れたもので広く報道関係や学術・工業分野への進出を狙った本格的8mmシネカメラであった。
実際に視たことは稀でした。当時御宿に来たNHKはアリフレックスで千葉テレビがこれを持ってきた。
・・・・プアマンズ アリフレックスかな?。
昭和40年(1965) Fujica Single 8 が発売された。
Fujica 最初の Single8モデルは P1 ¥15,400
フジノン 1:1.8/11.5mm 単焦点 オートのみ
昭和47年(1972)Single8 P400 発売 ¥39,800
レンズはフジノン 1:1.9/9.5~36mm 4倍(実際は3.78倍)ズーム
オート/AEロック可。手動によるフィルム巻戻しでオーバーラップ可能
Zoom環:広角側から望遠に移動させると25mmでストップ。手振れ防止の為かと。さらに望遠にするにはハンドルバーの中軸を引く必要がある。
望遠側から広角にするには不要。
下の丸窓はフィルムの在否確認用。上の盲蓋は...たぶん巻き戻しクランクが取り付けられるのではないかと?。
開閉レバーのすぐ後ろにスライドスィッチ・REWINDの文字。これを後方にスライドさせながらクランクを操作するのかと。
Single-8は二軸式なので巻き戻しが用意。したがって多重露光が容易。フェードインとフェードアウトを重ねれば場面転換などもスムースに。
もしかしたら高級機種ならば逆転撮影も可かと。
Super-8は一軸式なので殆どできない。
上部に電動Zoomシーソースイッチ。右効きの場合グリップをm右手で握る。トリガーは右人差し指。
左手をカメラ上部に添えて左て人差し指と中指で操作する。
銘板斜め上〇は雌ネジが刻まれている。マイク取付用?。
銘板下に同時録音用の端子。
その下の丸窓はフィルムカウンター。但し駒数ではなくメートルとフィート併記の長さ表示。
レンズ先端は回転ヘリコイド。5mの位置にクリック。
トリガーの上にスライドスィッチ。RとLの切替になっているがよくわからない。
トリガーにも雌ネジが刻まれている。ケーブルレリーズ用でしょうね。
FUJICAの銘板の下にスライドスィッチ。EE LOCK マニュアル撮影可?
しかし、絞り環は見当たらない。シャッター開角度も調整できないようだし???。
ファインダー部は回転式の視度調整機構。
ファインダーを覗くと下部に絞り表示( F1.9~f16 )と針。
!。EEロックはファインダーで絞りを確認してロック。明るくなる(暗くなる)シーンなどに有効。
ここまでするなら手動絞りも付けて欲しかったですね。
グリップの中に単三電池4本。僅かな期待を込めて電池を入れたが反応は無し。
50年ほど前の機械ですからネ。それともフィルムを装填しなければ動かないのか?
未露光のフィルムは流石に持ってない。..........でも捜してみるといたします。どこかに一本くらい残っているかも?
このカメラは私が購入した物ではなく頂き物です。これで撮影したことはありません。
私のカメラはまたの機会に、と言うことで次はまたスチールカメラです。
撮影後、現像に出すとこんな感じで帰ってきました。30年以上前の箱がよく残っていたものです。
ランニングコストですがマガジン一本あたり3分で現像代を含めると¥3,000くらいだったと。 ¥1,000/min
当時の田舎町での日当では足りなかった......ですね。
※ 映写機を含めた周辺機器がけっこうあります。そのうち載せます。
「私にも写せます」 CM動画
扇千景氏は その後 国会議員となりました。
管内の一日警察署長として訪れたことがありました。
たぶん主催は交通安全協会で、そのオエライさんから依頼されてビデオ撮影をしたことがありました。
任命式からスタート・パレード・昼食(一緒に飯を喰いましたのでこれは撮影しなかったかもしれない)・その後講演会...。
ビデオカメラはまだ当時珍しかったポータブルビデオ&カメラ。
NV-5000(携帯型VHSデッキ「ポータブルマックロード」第1号モデル。
ポータブルと言っても ずっしり重く大きい。
※カメラの画像を捜しましたが見つかりませんでした。
カメラは全くのマニュアル機。ピント・ズーム・露出はもとよりホワイトバランスまでも手動。
晴天の戸外では何とかなるが屋内ではモニター無しでは無理。14インチ(当時では小型)のブラウン管TVを持ち込んだ。
三脚(BILORAの大型)と合わせると総重量は............?!。
いまはスマホ(私は持ってませんが)で動画............。