十月七日
フロントに赴いた。『ナン・マトル』ツアーを申し込んだ。
「当日では無理かもしれませんが?・・・?」と言い電話をかけた。
・・・・・・
「大丈夫だそうです。でもランチは持って行ってください」。宜しければこちらで用意いたしますが」
頼むことにした。
「マスクとフィンは持って行ってください。途中でシュノーケリングをしますから」
「今日はマンタ何枚かなーぁ」オーナーが笑っている。
その気にさえなれば午前中にワンダイブは可能なのだが・・・。
飛行機に乗って減圧症が出ないとも限らないのでパス。
迎えの車が来た。ドライバーは白人の男。十分ほどで港に着いた。
ボートは二十フィートほどのランナバウト。
スタッフはオペレーターとガイド兼通訳の老人。
当然乗り合いだと思っていたが乗客は我々二人だけだった。
『値段を確かめなかったが・・・・・・大丈夫かな・・・?』
ボートはリーフの中をひた走る。
小一時間するとスピードが落ちた。
前方にアンカーリングをしているボート。シュノーケリング中のようだ。
我々のボートはそのボートに繋がれた。
「ナン・マトールには満潮時間しか行けないので潮待ちをする」と老人が語る。
「シュノーケリングをしろ」と奨められた。
ニコノスを持って水中へ。
潮だまりなのか平水状態である。水中も流れは無い。透明度は我慢できる範疇にあった。
珊瑚はよく発達していた。特別に珍しい魚がいるわけではないが楽しめそうだ。
バディは身体が冷えたのか早々と艇上で陽光を浴びている。
スキンダイビングで水中撮影。
決して楽ではないが素潜り歴三十余年である。素人とは多少の違いがある。
それでもニコノスに残っていたフィルムを全部消化するまでは一時間ほどを要した。
ボートの上でオペレーターと老人が呆れたような顔をして私を視ていた。
※今回の画像はすべて素潜り・NIKONOS-Vでの撮影です。
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細長い小島(長さ百メートル。幅十メートルほど)。バラックが一つ。
母子らしき姿があった。だが永住しているとは思えない。潮の退いたリーフで何かを探っているような男の姿。漁師小屋なのか?。
その小島の端の方に接岸。
ランチタイム。
ホテルが用意してくれたものはハンバーガーとフライドポテト。ポットにはアイスティ。ちょっと量が少ない。
老人はよく喋った。片言の日本語で意味不明のところが多少あったが、どうにか意思の疎通はとれた。
「にほんはいい。えらいひと。みんなのこと かんがえる。ぽーんぺい だめ。じぶんが もうけることしか かんがえない」
『日本も同じだぜ』
老人は太平洋戦争の時には日本軍の世話をしていたそうだ。それを目を細めて懐かしそうに語った。
つ づ く
※掲載順位がランダムなのでダイビング記事の目次を作りました。
年代順となってます。
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