「好きだと言う代わりに シャッターを押した」
一億人の妹 大場久美子 のCMでした。
昭和54年(1979) ¥40,000 ¥58,500(F1.8 50mm+ケース付き)
OMシリーズの普及機として登場
故に機能は非常に割り切った設計です。
絞り優先 AE B(バルブ)だけは付いてます。 M-1からのマウント基部のシャッター環もありません。
ピントを合わせてシャッターを切るだけです。
一眼レフは欲しいが面倒なことは嫌だと言う方にはうってつけです。+ 大場久美子ファン用でしょうか。
巻き戻しクランクと同軸に電源スイッチ。バッテリチェック、セルフタイマーを兼ねてます。
このカメラは電池を入れないとシャッターが切れません。空写しもできません。
ファインダーを覗くと中央にスプリットイメージ。その周りにマイクロプリズム。
スクリーン左側に、速度1~1000+シンクロマークが表示されてます。
電源ONにすると該当する速度の左側に赤ランプが点灯します。
これを利用すればシャッター環が無くても問題は無さそうです。
このスィッチは切り忘れても90秒後には自動的にOFFになります。
また、OFFのままシャッターを切っても赤ランプが点灯しないだけで適正露光で写せます。
40年以上前の設計思想に頭が下がります。
シャッター釦と同軸にレバーのような物が....動きません。
経年変化で固着しているのか?
取り扱い説明書を検索。海外サイトで発見。しかし英文です。
With a light touch on the activator switch.
energy will begin flowing again.
and the light which had gone out after 90seconds will turn on again.
<アクティベータスイッチに触れると>アクティベータスイッチに軽く触れると、エネルギーが再び流れ始め、90秒後に消灯していた光が再び点灯します。
印刷物をスキャンしたものが掲載されていただけですので翻訳サイトに直接タイプ。
その結果が上記です。
早い話がクランク部のスイッチの操作をしなくても自動OFFになっていた電源が触れるだけでONになると言うことですね。
気にする必要は無いようです。しかしこの形状は疑問です。力尽くで動かした方がいるかもしれません。
通常のカメラのシャッター環位置にはフィルム感度設定。ダイヤルのように見えますが動きません。
感度設定は環の外側を持ち上げて行います。やや扱いにくいです。
巻き上げレバーに隠れて見にくいですがモード設定用のレバーがあります。 B ・ AUTO ・ MANUAL ADAPUTERと切り替えができます。
巻き上げレバーはラチェット無し。普及機ですからまあこんなところでしょう。
クランクを引き上げると裏蓋が開きます。特に際立った物は見当たりません。
この機は普及機ですのでモータードライブは装着できません。
しかしワインダーは取付可能です。その接点等があります。
モータードライブとワインダーの違いは?
価格差だと思って差し支えありません。どちらもモーターを内蔵してます。
高速・低速 / 巻き戻しも電動・手動 /こんなところでしょう。
① 巻き戻しレバー この位置にあるのは非常に珍しい。
② OM-2から採用されたフィルムからの反射光を測定するダイレクト測光の象徴。
③ バッテリチェック時点灯。セルフタイマー時は点滅
④ 高速時はシャッター幕が全開しないのでフィルム面の測光が不能。故にシャッター幕に黒白ドットを印刷してフィルムの平均反射率とした。
⑤⑥ 絞り優先と先に記しましたがオプションでマニュアルアダプターが取り付けられる。シャッター速度を決められるようになるらしい。
この個体は20年ほど前 私のB.B.S.が盛況だったころ 常連さんから頂きました。
いまどうなさっているのでしょうか?。
電池を装填いたしましたら問題なく使用できます。フィルムを詰めてみようかな。
※OLYMPUSがカメラ部門から撤退 このNEWSを聴いたときは驚きを隠せませんでした。
最初に写真を撮ったのが「Pen D」 最初に購入したのが「Pen-FT」その後購入することはありませんでしたが注目はしておりました。
35mm一眼レフ部門に乗り出した時はかなり期待したことを憶えてます。
昭和46年「FTL」がプラクチカマウントでした。OLYMPUSの他社とは異なる独創性が感じられませんでした.....?。
翌47年、早くも「M-1」が登場 。翌年の3月、日本橋高島屋での「日本カメラショー」で触りまくってきました。
「M-1」はライカからクレームが入り短期間で「OM-1」と名称を変えました。
「O」はOLYMPUSの「O」だと誰もが想像できると思います。では「M」は?。
Pen、を設計した「米谷美久」氏の「M」らしいです。コメタニ・ヨネタニではなく「マイタニヨシヒサ」氏です。
米谷氏が最初に設計した35mm一眼レフ故に「M-1」だったのです。
カメラの設計者の名前なんて普通知りませんよね。私も知っているのは米谷氏だけです。
当時の写真雑誌に掲載された記事の記憶が50年も残ってました。
OlYMPUSのサイトに 米谷美久が語る開発秘話 セミオリンパスI~ペン、ペンFシリーズ ありました。