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伊豆大島渡航記 セーリング 平成三年十一月(1991) その3

2022-01-29 12:01:30 | Weblog

                       前方をタグボートが走っている。曳航されているのは浚渫船?距離があるのでよくわからない。

 それを回避するとSがトローリングの用意を始めた。

 ※通常ヒコーキと呼ばれる仕掛けと潜行版。これに疑似餌を着けて曳航する。
  ヒコーキは海上を跳ねるように曳かれる。潜行版は水中に潜って曳かれる。

 うまく運べば今夜は刺身で宴会だ。 
 ※ビデオからキャプチャーした画ではトローリングの様子はよくわかりません。
 
 三人が交代で舵を取っていた。近辺でセーリングをしているときよりもだいぶ楽である。
 GPSを使ってナビゲーションに徹することにした。
 三十分おきに艇の位置をメモリーする。

 9:30 小湊沖


 10:00 天津沖



 沖は想像以上に凪ていた。クルーの舵取りもだいぶ慣れたようだ ジェノアをフル開放。
 艇速が伸びた。艇は安定した航行を続けていた。
 ディンギーの経験豊富なSはもとよりT海もKの舵取りでも不安は無かった。

 10:30 スターボードサイドに鴨川の海岸線が見えて来た。気温が上昇。風が弱くなってきた。


 本日の航行予定の半分を消化した。今のところ不安材料はない。風がさらに弱くなってきた。

 10:45 メインセールのリーフを解除 フルメイン・フルジェノアで帆走。順調。
 12:30 千倉の町並みが見えて来た。あと三十分もすれば入港できるだろう。
 先日、Y田と車で確認したKDDタワーが視えた。千倉湊はそこから僅かのはずだがまだ視認できない。

 13;00 !。定置網が行く手を阻んでいた。漁船もかなりの数が出ていた。


 ヘルムスを交代。エンジン始動。他のクルーはワッチ。
 かなり沖出しをして迂回。


 定置網をスターボードに、洗岩をポートサイドに視て赤灯台を目指す。
 洗岩の周囲にはかなりの数の暗岩が潜んでいそうだ。

 13:30 入港。
 一番奥の西側の岸壁に係留。T海とSが昼食の用意。
 私とKは街中?に蕎麦の水切り用ざるを捜しに繰り出した。

 14:30 遅い昼食 蕎麦 空腹なので何を喰ってもうまい。

 15:00 明日よりGPS使用不可、海図に航跡を記す。
 Kの知人が館山からやって来た。その車を借りて公衆電話へ。
 まず会長のY田とメンバーのN岡へ。
 次にパイオニアへ。GPSの詳しい情報を訊くためだった。話し中。
 掛けなおすこと数回、漸く繋がった。
 明日からは人工衛星の電波が欠射、全く使用できないとのこと。・・・・・・!?。

 GPSよりメモリーしておいたポイントを呼び出し海図に記入。
 面倒ではあったが楽しい作業だ。今日の航跡を眺めていると満足感に浸れた。

 腕時計に眼をやると四時をだいぶ廻っていた。無線機のスィッチを入れるとY田の声がとびだした。
 目と鼻の先まで来ているらしい。

 16:45 Y田到着。Sが主となり夕食の用意。


 17:30 宴会 ビーフシチュー他 刺身は無し。 一ヵ月後だったら船上のメリークリスマスだ。

 全員がよく飲む。ビールの空き缶があっと言う間に山積みとなった。


 車のY田と酒を飲まない私はどうにも手持無沙汰だ。


 ※後方支援のみで行けなかった会長のY田。お礼の意味をこめてもう一枚掲載。
  モザイクがかかっているのであまり意味が無いかもしれないが。
 
 話題は当然明日からのこととなる。
 「天気予報では小春日和の上天気で風も穏やからしい」とY田。
 『良い日を選択したなぁ』


 ※キャビンは身長178cmの私でも立って歩ける。

 次はGPSの欠射問題である。
 私の考察。
 ニ十二日から四日間は日本時間のことである。
 衛星が米軍の管理のもとにあることからアメリカ時間で考えるべきであろう。
 つまりアメリカで三日間。日本で足かけ三日と解釈すべきであろう。
 時差が十時間。明日の午前中はまず問題は無さそうと想像する。
 月月火水木金金の日本軍と異なり戦時中にクリスマス休暇を取る国だから深夜の零時から働くはずは無い。
 結論 明日の夕刻までは大丈夫。
 適当な理屈を掲げての考察ではあったがほぼ予想通りでした。

 Y田が帰ると早々と消灯。
 五分もしないうちに鼾。T海だ。本当に幸せな奴だ。
 私はなかなか眠れ無かった。昨夜もあまり眠っていないので少々心配ではあった。

 キャビンをそっと抜け出して防波堤へ。煙草に火を点けた。
 空を見上げた。満月が輝いていた。が、どうも雲行きが訝しい。風が冷たい。
 キャビンに戻りシュラフに潜りこんだ。暫くして雨音が聞こえて来た。風も出てきたようだ。

  A バウ 船首 舳先をヘッドとも云うがトイレの意味の方が強いかと
   大航海時代帆船にはトイレは船内にはありませんでした。
   当時は船内から海に機械的に排出する技術は無かったので海に直接用を足していたわけです。
   その際に船を汚すことなく他のクルーに迷惑を掛けない場所として、船の舳先(ヘッド)で用を足していました。

   
 コロンブスのサンタマリア号を復元したマリガランテ号(搭乗いたしました)
 矢印の位置がヘッド。
 本来の船名はマリガランテ(娼婦)であったがコロンブスにより改名された。

 B スターン(船尾)近くの漁師が後進のことを「ゴスタン」と言っていたが ゴー スターン と言うことですね。
   その漁師が解っていたとは思えませんが
 
 C キャビン 船室

 D ドグハウス 犬小屋の入口くらいに狭いからなのでしょう。

 P ポート 左舷 係留する時は左舷を接岸した。

 S スターボード 右舷 本来は原始的な梶の意味。船尾には着けられず右舷側に突き出ていた。それゆえに右舷側は接岸できなかった。

   船の各部の名称・習慣は航空機などにも受け継がれている。旅客機の搭乗口は例外もあるがまず左側である。
   ついでにミジップ = ミッドシップ 船央のこと。 自動車のエンジンが前輪と後輪の間にあるとミドシップエンジンと言う

 

つ づ く

  後のために  ダイビング編目次 へLINKを貼ることにいたします。

 



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