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伊豆大島渡航記 セーリング 平成三年十一月(1991)その8

2022-02-03 12:01:33 | Weblog

              ニ十三日(土)3

 ※荒天時の映像がありません。

 15:00
 野島崎沖を過ぎたばかりであった。千倉港まではまだ距離があった。
 「ぽーさん。代わって。疲れちゃった」
 Sが一時間余りの格闘についに音をあげた。
 ティラーを握った。少々緊張した。
 サーフィング。波は次々に襲い掛かってくる。ミスは絶対に許されない。
 ワイルドジャイブをおこせば艇は翻弄する。
 クルーへのブームパンチ。ちょっと考えたくない。

 艇速はおよそ10ノット。波高がさらに増した。
 振り返ると小山のような波がすぐ後ろに迫っている。
 性根を決めた。波頭が艇を飲み込むように立ち上がった。
 スターンが持ち上げられた。セールは充分に風を孕んでいる。
 急激な加速。奈落に向かって滑り落ちて行く。体感速度は20ノットを大きく越えていた。
 「Oh!!!」悲鳴とも歓声ともつかない声が誰からか漏れた。

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 14:00
 格闘すること約一時間。KDDタワーが微かに視えて来た。
 あと少しだ。しかし千倉港はまだ視認できない。
 風が緩んできた。波高も二メートルを割った。艇速が落ちて来た。


 
 千倉港がはっきり見えるころには海は嘘のように穏やかになってきた。
 風も同様に落ちた。ティラーをT海に預けて一息ついた。

 ツーポイントリーフでは艇速が落ち過ぎていた。
 が、みんな疲れていた。ジェノアのみを広げた。
 ビデオを廻す余裕が出て来た。記念撮影。

 港、南側の暗礁地帯を大きく迂回した。漁船が漁をしていた。
 不安を抱えながらエンジン始動。セルモーターが廻る。
 『かかった!』しかしすぐに停止。
 帆走入港の危険と煩わしさを思い浮かべた。
 再度スターター釦を押す。駄目だった。
 三度目の正直。漸くかかった。
 アクセルを少々上げた。白煙は・。最初の数分だけだった。何事も無かったかのようにエンジンは回転していた。
 「ジェノア、ファーリング。メイン、ダウン。バウを千倉港に向けた。


 夕陽に空が紅く染まっていた。

 千倉入港。スピンを干している艇がこちらに向かって叫んでいる。
 空きバースを無断借用した艇だ。我が艇を視て所有者と思い声を掛けて来たのだった。
 「T海も、この三日間でダイブ成長したな」と、Sと話しながらもやい綱をビットに結んだ。
 「クリート」そう言いながら端をT海に渡した。
 『!?』ロープをリードに通して悩んでいた。『オイ!』
 すでに四時を過ぎていた。公衆電話に急ぐ。Y田に千倉泊を告げた。
 艇に戻ると解装はすでに終えていた。
 本日も昼食は抜きだった。流石に空腹である。夕食の相談。材料が小々淋しい。
 買出しに出かけることにした。T海が一緒に来た。港の近くには商店の類が少ない。
 一昨日行ったコンビニまでは疲労した身体にはかなりの距離であった。

 夕食は肉団子丼・雲吞スープ他。喰い終わると次はアルコールだ。
 私はミネラルウォーター。しかしこれでは酔えない。
 話はいきおい荒天帆走のこととなる。少なからず興奮してみんな饒舌となる。
 Sがヘルムスを担っていた時間を三時間と言ったがそれはサンフラワー号に出会った時間から否定された。
 「でも、二時間はティラーを握っていたはず」と主張したが後にビデオをで確認すると僅か一時間ほどであった。
 
 三人が後片付けをしている間、煙草を咥えに外に出た。
 入港時に声を掛けられた艇の前迄歩いた。
 35フィートと言ったところか、スターンにレーダードームまで着けている。かなり本格的だ。
 艇名を読む。『お**ん』・・・・・・?。
 どこかで聴いた?あるいは読んだ?。
 記憶を探る。
 1987年 第一回メルボルン~大阪カップに出場した艇と同じ艇名だ。
 しかし、勝浦に『摩利支天』や『海太郎』があるくらいだから確かなこととは言えない。

 20:00
 『お**ん』のキャビンライトが点灯。Sと話し、表敬訪問をすることにした。
 T海も一緒に行くこととなった。Kはヘッドに用があるので後から顔を出すこととなった。
 岸壁から声を掛けた。我々は歓迎された。『たぶん』
 艇に入るとオーナー、オーナー夫人。二人の娘さん(小学生)とクルーの男性が一人がいた。
 適当に席を設けられ、ビールを勧められた。

 私は例によって辞退したが二人は飲んだばかりであったが断るはずがない。
 『お**ん』はやはり5,500マイルを走りぬいた艇だった。
 私がそれを知っていたことにオーナーは笑みを浮かべた。
 ※『お**ん』 ヤマハC35CR オーナーHF氏(44歳)神田生まれ、焼き鳥屋さん。夫人はK子さん。娘さんは美帆ちゃんに藍ちゃん。
 レース結果は総合ニ十五位。クラス九位。

 話はまず本日の帆走から始まった。(詳細は省く)
 オーナーは昨日の雨は知らなかった。油壷付近には雨雲は無かったようだ。
 メルボルン~大阪カップの話を拝聴。艇を辞した。
 消灯までにはまだ時間があった。Sと岸壁で暫く雑談。
 「ここまでくれば後わずかですね」
 「いやいや、まだ安心はできない。故事に百里の道を行く者は九十を半ばとす」とある。
 
 

   つ づ く

   後のために  ダイビング編目次 へLINKを貼ることにいたします。

 


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