ナン・マトール
ケプロイの瀧からボートで移動することしばし、目の前に椰子の小島が見えて来た。目的地のNan Madolに到着。
水面には藻類がたなびいている。ボートは時々船外機を持ち上げて慎重に進んだ。
※当時はPOHNPEIに行くまでナン・マトールの存在は知りませんでした。
世界遺産(2016年登録)でもまだありませんでしたし、興味の対象は水中がメインでガイドブックも地上の部分は読み飛ばしてました。
いま思うと「もったいないことをした」ですね。
※第一次世界大戦の際に日本は無血で占領した。大戦終決後の1920年に国際連盟によって、日本の委任統治(C式委任統治)が認められた。
日本の占領政策はこれまでの支配と異なり、同化政策をとったが島民に日本国籍は与えられなかった(婚姻は別)。
その後日本からの移民も多くあり日本が多くのインフラを整備した。
太平洋戦争終了により、アメリカの占領が始まり、1947年に国連の信託統治領としてアメリカの統治が始まった。
年寄りは日本語が話せる方がかなりの割合でおられまして、チャーターしたボートの艇長は白人でしたが通訳兼ガイドはそんな老人でした。
Nan Madol とアルファベットをあてられてからナンマドールと多くの雑誌に記されているが現地人はナン・マトルと発音している。
もともと現地ではナンマトルとかナンマトールと濁らなかったそうです。
これはNan Madol を知らぬ者が単純にローマ字読みをしたために起きた所為であろう。
Pizzaがピザの国では仕方が無いか。
城の堀のような細い水路を進んで行く。水路の両脇は石積みの防波堤の様でした。
何処からパドリングしてきたのか二隻のシーカヤック。白人の男。
玄武岩の石組。誰が何のために造ったかは不明であるが不思議な佇まいを見せている。
※石材はほぼ六角柱です。『なぜこんな形に加工したのか?』と思いましたが
人工的に加工した物ではなくマグマが冷えて固まったときに造られた形状だそうです。
いま思うと『防水対策をしっかりして広角から準望遠も持って行けば良かったな』とちょっと悔やんでます。
※ありがちだが、ムー大陸の一部と言う説もある。
水中に巨大な石柱が二本建ってます。
つ づ く
※掲載順位がランダムなのでダイビング記事の目次を作りました。
年代順となってます。
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