『レオナルド・ダ・ヴィンチ肖像画』
最も忠実な弟子であった フランチェスコ・メルジ画 1515〜18
2019年11月から2020年1月までの3ヶ月間
パリのルーブル美術館で
『レオナルド・ダ・ヴィンチ特別展』が行われた
ダ・ヴィンチの没500年という区切りの良い年に
最後の3年をフランスで過ごし1519年にフランスで没した『ダ・ヴィンチ』の
特別回顧展をルーブルが企画したわけです
今回はマルチ・プレーヤーの大天才『レオナルド・ダ・ヴィンチ』
の軌跡を辿ってみよう
もともと彼は
1452年に中部イタリアはトスカーナの「ヴィンチ村」で生まれた
幼少時代に母親と離れ離れになった
という事以外は
あまり詳しくはわかっていないらしい
1460年代には
著名な彫刻家にして画家であった「アンドレア・デル・ヴェロッキオ」の
アトリエで修行を始めた様だ
『イエスと聖トマス 又は 聖トマスの疑い』ヴェロッキオ 1467〜1483
フィレンツェ オルサンミケーレ教会美術館所蔵
特別展の最初の部屋の中央に
このヴェロッキオのブロンズの大作が置かれていた
復活したイエスを本当にイエスだと信じないトマスに
イエスが自分の胸の槍の傷跡を触らせてトマスに信じさせた
という逸話
主を失って絶望の淵にある弟子の苦悩
信じられない「復活」への疑い
真実に触れた驚愕と喜び
などの
暗い面と光の交錯を実に見事に表している
このヴロンズ像の背後を取り囲むようにして
二人の衣の襞を
部分ごとに試作したエテュードのデッサンが
ベロッキオ自身の物とレオナルドの物と10点ほど展示されていた
『スキピオ像』ヴェロッキオ 1464〜1468 ルーヴル所蔵
まだ共和国であったローマの将軍で
カルタゴのハンニバル率いる大軍を撃破した若き英雄の
この大理石のレリーフの表情を
ダ・ヴィンチは熱心に学んだ
そのダ・ヴィンチの決定的な転換点になったのが次の作品であった
オリジナルはフィレンツェにあり貸してもらえなかったので
研究用赤外線写真での展示
『イエスの洗礼』ヴェロッキオ 1468〜78 ピエトレ・ドゥーエ光学資料館提供
洗礼者ヨハネから洗礼を受けるイエスの傍に
天使を二人書き込んであるが
そのうちの一人の天使を
親方ヴェロッキオは若き弟子レオナルドに任せた
部分
どちらが「ダ・ヴィンチ」の手になると思いますか
そう
左の天使です
このダヴィウンチが仕上げた天使を見た親方は
「こんな天使を書く画家がいる以上私は画家は辞める」
と絵筆を折り
以後ヴェロッキオは彫刻家として生きて行く決心をした
という逸話が残っている
その後彼は急速に頭角を現して行くことになる
そして
当時の絵画に新境地を開いた作品が
これ
『受胎告知』ダ・ヴィンチ 1470〜74 赤外線写真提供 ピエトレ・ドゥーエ光学資料館
砂漠と礫漠と灼熱の太陽とが支配する
パレスティナで生まれたキリスト教にとって
『天国』の概念は
緑に囲まれ花が咲き誇り果実が実り
鳥のさえずりと蜜をもたらすミツバチの羽音
そして「貴重な」水のせせらぐ音
であり
それらは壁に囲まれた閉鎖空間の「秘密の楽園」として表現されてきた
絵画で『jardin Clos 閉ざされた庭園』と呼ばれる
大天使ガブリエルによるマリアへの髪の子を宿した告知は
ジャルダン・クロで描かれてきた
ところがこの作品は
壁がなく外の世界にそのまま通じており
受胎告知も「密室の出来事」ではなく白日のもとにななされている
読書中いきなり現れた大天使に固まって
右手は読んでいた書物のページを抑えつつ
しかし左手ではすでに
将来の「神の御子の母」として皆を祝福するポーズを取っている
そのマリアの
驚きと確信と毅然とした表情は
それまでのどの「受胎告知」とも違っている
オリジナル フィレンツエ「ウフィッチ美術館」所蔵
この作品の広範な影響の端的な例が一点展示されていた
『受胎告知』ロレンツォ・ディ・クレディ 1480〜85 ルーヴル所蔵
ついでなので
今回の特別展には関係ないが
影響の例をもう一点
『受胎告知』 ティツィアーノ 1535〜40 ヴェネティア サン・ロッコ教会所蔵
あのヴェネティアの
「ヴェロネーゼ」「ティントレット」と並んで
神と称された三大画家ティツィアーノすらここまで影響を受けている
そして
決定的な役割を果たしたのが次の作品
『東方三博士の来訪』ダ・ヴィンチ 1480〜82 未完
赤外線写真 ピエトレ・ドゥーエ光学資料館提供
この作品は結局未完に終わったが
初めて「レオナルド・ダ・ヴィンチ」自身が指名されて受注した作品
この作品で
多くの登場人物のそれぞれの内面を語る意識溢れる表情の表現
マス(群衆)としての構図の配分
背後の戦いの中の馬群の動き
後方の建築物の建築的詳細の完璧さや遠近感
その他実に多くの要素が革新的に表れており
後世の絵画の技法や画家たちに大きな影響を与えた
しかし
彼はいわゆる「画家」ではない
論理学者 修辞学者
医学者 解剖学者 薬学者 植物学者
料理評論家
天文学者
工学者 土木技術の専門家 建築家 特に築城家
武器兵器開発者
・
外交官
・
本人は「理想的国家インフラの建設と国土開発の専門家」だと思っていた
マルチプレーヤーのオールラウンダーの大天才だったのです
知能指数は
推定で280から400と言われてきた
この間にレオナルドは
フィレンツェ・トスカーナ大公の要請で
フィレンツェ大公特使としてミラノ公国へ派遣され数年間滞在し
その間にミラノの戦争を体験して
軍隊の「群衆」の表現や軍馬の躍動感と筋肉の現れなどを
つぶさに観察した
『ピドゥナの戦い』ピエーロ・デル・ポライウオーロ 1470〜75
パリ ジャックマール・アンドレ美術館
『ルシウス・アエミリウス・Pクゥルスの凱旋』ポライウオーロ 1470〜75
そして敢えて言えば
絵画は数多の彼の才能を活かした活動の中の「おまけ」の一つ
絵画は数多の彼の才能を活かした活動の中の「おまけ」の一つ
と言っても過言ではない
『聖ヒエロニムスの改悛』ダ・ヴィンチ 未完 1480〜82 バチカン所蔵
注文主不明のこの未完の作品は
聖ヒエロニムスが主イエスと同じようにパレスティナの砂漠で
数々の誘惑に打ち勝つ40日間の修行をしている際の
心身両面での痛み苦しみと苦悩や軋轢や逡巡などが
筋肉の一筋一筋に至るまでを使って現されており
かつ
レオナルドの永遠の希求であった「限りない自由」の視覚的表現
など見事である
人間の内面観察
そして
肉体観察
彼は人間観察に熱中し
デッサン 人間の横顔の研究 1478〜80 ウインザー城所蔵
英国女王エリザベス2世陛下特別貸与
デッサン 聖母子と聖ヨハネ 人と動物のプロフィールの研究
1478〜80 ウインザー城所蔵 英国女王特別貸与
教会の許可を得て
死刑囚の亡骸を解剖する
ペン画 人間の体の各部位の比例半分研究 1489〜90
トリノ 旧王室図書館所蔵
ペン画 頭蓋骨と口腔と歯の研究 1489 ウインザー城所蔵
ペン画 解剖覚書 腕 1510〜11 ウインザー城所蔵
熱中のあまり
教会の許可を得ずに教会墓地を掘り返して訴えられ
逮捕投獄されかかったことすらあったが
彼の功績により
近代的「解剖学」が確立し
その解剖学を美術の分野に取り入れる画期的な業績を残した
一生涯ただ絵画を描き続けていたわけではなく
しかも途方もない完璧主義者だったので
気に入らなくて途中で筆を置いた事も多く
フィレンツェ大公の特使としてミラノ公国へ派遣され
そのミラノの特使としてヴェネツイア共和国に派遣され
一箇所に止まれなかったためにも
絵が完成しない事が多かった
若い男性の頭部肖像画の流れ
『ネロ帝の肖像のセステルス銀貨をもyす若者』ハンス・メムリンク
1471〜74 アントワープ コニンクリィーク美術館所蔵
『青年の肖像 傭兵』アントネッロ・デ・メッシーナ 1475 ルーヴル所蔵
『譜面を持つ青年の肖像 音楽家』ダ・ヴィンチ 1483〜90
ミラノ アンブロジアーナ絵画館所蔵
同じような男性の肖像で
それぞれに
モデルの意思や人格が伝わってくる傑作ではあるが
メムリンクというイタリアから言えば辺境フランドルの画家と
ルネッサンスの本拠地イタリアでの
10年強の時間差の中で
表現された結果が飛躍的に深まっていくことがわかる
加えて
内面の精神性の表現に加えて
骨格や筋肉の肉付きとその動きによる表情が相乗効果をもたらす
昇華が見られる
その他
この世の森羅万象全てに興味を示し
克明に観察し研究した
現代の天体望遠鏡でないと解明できないはずの
地球の各惑星の大きさと太陽との距離などを正確にメモに残している
植物にも同じ姿勢で臨み
原題の植物図鑑に遜色ない図録を残した
ベツレヘムの星・野生のアネモネ・トウダイグサ 1505〜10
ウインザー城所蔵 王室コレクション
ダヴィンチの絵に描かれる草木は
幻想的に見えるが架空のものではなく
全て自然界に存在している実物が忠実に再現されている
この項は明日に続きます
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