想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

時に法話を。

2012-07-14 16:50:53 | 日記

昨日は、下手な漫画で、
海に行くのがいいよ、なんて云ってしまいました。
でも、移動手段も、時間も、お金もなくて、
「海なんて行けないよ! 山だって行けないし!」
という方もいらっしゃるだろう。
かつてのわたくしもそうでしたよ。
母を亡くしたり、
流産したり、
離婚したり、
鬱病になってアル中になって、
踏んだり蹴ったり、いつまでも哀しみをひきずるタイプの私は、
常に絶望していました。

そんな時にですね、
瀬戸内寂聴さんの法話に魅せられましてね。
ずっと聴いて、癒された時期がありました。

話のなかで、
若い娘さんを亡くされて哀しみが癒えないという方に、
寂聴さんが話された言葉が心に残りました。
自分より若い、ましてや自分の子供を失う哀しみほど、
深いものはない。
当たり前のことなんだから泣いたらいい。
一年も二年も泣いてごらんなさい。
ある日ふと、その哀しみが少し薄らいでいることに気づくはずです。
人間はうまくできているんですよ。
そんな話でした。
人として産まれれば、
当たり前のように哀しみがあり、
幸せばかりじゃないってこと。
でも人はそれを乗り越えられる力を持っているってこと。
寂聴さんが当たり前のようにあの世のことを話されると、
今は苦しくて寂しくても、
いずれ死はやってきて、
会いたかった母にも会えるんだ。
出会えなかった子供にもきっと会える。
今はとにかく辛抱の時。
全てを手放して天に帰る日に、
自分は精一杯やったと云えるよう、
言い訳になるような行動は慎もう。
そう想いました。
今はyou tube などでも法話が聞けます。
夜眠る前に、少し聞いてみるといいかも知れません。
彼女はとにかく明るいです。
その明るさとかわいらしさに、
私は随分と癒されましたよ。



鬱病のわたくしが笑えた、
寂聴さんの法話。


…実は、京都法話集を三万もだして買った。
もう一度聴いてみようかな。


コメント
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