想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

北風に消えた。

2022-02-27 12:45:00 | 日記
風が ビュービュー吹いている

凄い音だな と思いながら寝てた

冷たい風か暖かい風かは 判らない

昔 元旦那が この里山で

家族3人やり直したいと

やって来た時代があった

じいにはババアがいて半同棲状態だったけど 彼を迎入れた

私たちが再び上手く行けば

この家を出て行くだろうと思ってただろう

一か月くらいかけて土木会社に就職し

1日目で ダメだ! って言いながら帰って来た

寒風吹く中 重い石を いちにち

バケツリレーしてたと言う

彼曰く 重機を使えば早いし楽なのに 人手を使う

でも 入った初日から彼が口を出す問題じゃない

不満があっても 頑張るしかないんじゃないか?

他の先輩社員の人だって 黙ってやってるんだから…

嫌な予感はしていたが 3日後

彼は辞めた

突然 重機の免許を取りに行くと

言って 家を出て それから

2度と戻らなかった

今考えたら 免許なら信州でも取れる 関東に戻る必要はなかった

初めから 戻る気はなかったのだ

じいはたいそう立腹して

後々 私がいい加減愛想を尽かして

もうやり直す気もない 諦めた

と言った時に 彼に直接説教した

君は沢山の人を失望させた と

じいも お金を貸していたので

全額一括返済させた

もちろん彼にお金はないので

おかーさんが払った

私は自分の貯蓄の八割を結婚生活で

失い これが0になる前に終止符を

打たねばと思い 再婚を断念し

姓を元に戻した

冷たい風が吹くたび思うのは

こんな寒冷地で 頑張って働く人も

いるって事

コンビニは 暑さ知らず 寒さ知らずの職場だが

屋外で働いているお客さんが来ると

よく頑張るなあ と思うのよ

そして時折 あの人は

頑張ってくれなかったなぁ と

未だに 信州は寒すぎる と言う

私だって 広島にいた時は

暑い夏 寒い冬は辛かったよ

エアコンなんかなかったし

盆地で尚の事きつかった

仕事は土方

朝の体操の時間から 空気がもわっとして 汗をかいて いちにち耐えなければならなかった

でも耐えられたのは 若いから

そして 好きな人と一緒だったから

一途に 頑張る事ができた

精神力も 強かったし

辛くても頑張れるというのは

対価があるからだと思う

彼が頑張れなかったのは

私たちに 自分が頑張るだけの価値を見出せなかったせいだ

私の決断は正しかったと思う

彼は未だに 母親の援助なしに生活できないでいる

1日3万とか大きな仕事してるとか言いつつ 矛盾している

まあ 私も 職は転々としてる人生だから 偉そうな事は言えないけど

私は 何故か 2年周期で

職場を変えている

母の病死 自分の結婚 出産 離婚

自分の病気…

イベントが重なって仕方ない事情もあったが

続いたのは カメラだけ

10年以上は続いたし 楽しかった

辞めたくなかったな

コロナで観光客は激減し 廃業

思えば 娘を育てられたのは

カメラがあったおかげだ

じいの家にいさせてもらったおかげ

運が良かった

今日も 昔の日記を読んだのだが

じいの病気が発覚して三年

ババアの足は遠ざかり

私はカメラの仕事をしながら介護

妹は自由に生きていて

衝突する日々

じいには 子供なんかいなきゃ良かったと

何故か言われ

それでも逞しく生きていた

懐かしい

じいが病気になって もう14年が

経ったらしい

外は風がビュービュー吹いているけど

今日の私は 落ち着いている

色々なことあったけど

安らかな 日曜日の午後

失ったものを思い返すと 相変わらず苦しいけど

それでも

少しは マシになったと思える

日曜日の午後



最近 頭も回らず

語彙力も低下して 日記の文面も

スカスカになってしまった

春も近い事だし 少し 日記の風潮を変えてみようかな と思う

お付き合い頂ければ 嬉しいです。




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