記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

読むテンポ、書くテンポ。

2013年07月13日 09時14分09秒 | Weblog
歳を取ってふと気が付いたのは歩くのが遅くなったこと、食べるのが遅くなったこと、早口の人の話が聴き取りにくくなったこと、・・・。
感覚機能も運動機能も、何もかも今更ながら遅くなった、と。

暑さ厳しく、家に閉じ籠もりがちになると本を読んで過ごす時間が多くなり、一番気になるのは読むテンポが遅くなったこと。
飛ばし読み、速読が出来なくなった。ここは飛ばしていいと分かっても、適当に飛ばすと筋が分からなくなる。
読み違えたのかと前に戻る頻度が多くなり、いっそ一字一句読む方が速いと思い知る。

宮部みゆきのものが好きで、図書館から「名もなき毒」を借りてきたが、あんまり汚れていたので触るのが躊躇われていたところ、テレビで同名の番組が始まり、比べるつもりで読み始めた。
テレビは自転車による轢き逃げで始まるが、本は散歩中の突然死から始まる。
脚本が原作を改編したのかと訝りながら最後まで読み通したが、轢き逃げからドラマを展開した理由は何だったのか、ついに分からなかった。
所々に秀文が有って、最近にない読み物だったが、テレビとの違いが気になった。

宮部みゆきは時代小説が良くて幾つか読んだが、サスペンスの舞台はあまり感心することが少なく、読みかけて本棚に挿したままのものが幾つかある。
その中から「誰か」を手にしたら、帯に“「名もなき毒」へと続く深く静かな感動・・・”とある。

辟易させられるものがなく、読みやすかった。
文章に慣れたのかも知れない。
機微の記述は興味深かったが、特に秀逸な文章というのは「名もなき毒」の方が多かったように思うのは、読むテンポが多少速くなって読み逃がしたのかも知れない。
しかし、こんな文章があった。

「彼女もわかっていたのだ。言われるまでもなく、心では知っていた。それでも、誰かの口からそう言ってほしかったのだ。
「わたしたちはみんなそうじゃないのか?自分で知っているだけでは足りない。だから人は一人では生きていけない。どうしようもないほどに、自分以外の誰かが必要なのだ。」

著者は、われわれの想像できない速さで小説を書いていると思われるが、この文章は相当長い時間をかけて練り上げ、そしてここに置かれたのではないだろうか。

われわれは一日で通して読んでしまうが、著者が全編を書くには何日もかかり、筆が進む時もあれば、遅くなる時もあるだろう。
そうした中で著者は、どれだけの時間をかけて、どのように関わって、この文章を送り出したのだろうか。
もしかしたら、この文章のために、この小説全部が有るのだろうか。




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