神話は沢山の話を複雑に絡ませてあって、あたかも事実のように思い込ませるように作られている。
その仕組みを解く糸口は実際には何時でも幾つも既に見えていて、解いてみると最も信じ込ませたかったものは何だったかが分かる。
信じる側は、それが神話だと知っていて、それでも幾許かの真実が含まれているという期待を捨てられない。
この端的な例が古事記。
現存する最古の写本とされている南北朝時代のものからして、その前に古事記としての体をなした原本が有ったか疑わしく、偽書の噂は絶えなかったようである。
アマテラスとスサノオが姉妹だというのは真っ赤なウソだと指摘する本が有った。
スサノオという神は昔から各地で民間信仰されてきたが、アマテラスという女神は無かった。有ったのはアマテルという男の太陽神で、その巫女(オオヒルメ)が神に昇格した、と。
西条 勉 2011 「古事記」神話の謎を解く:かくされた裏面 中公新書
はじめにオオクニヌシの話:
オオクニヌシが出雲のミホの岬で、蛾のぬいぐるみを着て豆殻のような船にのって波頭を伝わってくる神を見て、名前を聞いたが答えない。
供の者たちに聞いたが、誰も知らない。
カカシに聞くと、スクナヒコナだと分かった、と。
風土記や万葉集によれば、オオクニヌシ(オオナムチ)とスクナヒコナはいつも一緒に出てくる。
オオクニヌシがスクナヒコナを知らなかった筈はない。
古事記は民間伝承の神話を否定し、イザナギとイザナミという民間伝承に無かった神話を仕立てたのだ、とも。
アマテラスは、性格が男になったり女になったりするだけでなく、八百万の神々の間の首長としての役割行動も一貫していないことを指摘する本は多い。
天の岩屋戸から出てくるとアマテラスは強いリーダーに変身し、スサノオを追放する。
天の岩屋に隠れるまでのアマテラスは、高天原の八百万を統率した代々の首長たちを話として一人(一柱)に纏めただけではないだろうか。
本当の首長として例えばタカミムスヒたちが有ったことを何故か軽視しているが、岩屋以前には多数あった部族の統合が緩かったということかも知れない。
ニニギに「天下り」という遠征を命じたのは日本書紀にあるようにタカミムスヒであって、アマテラスは絡んでいないのが本筋だったかも知れない。
古事記では天岩屋戸で貢献したウズメやタジカラをニニギの供として連れて行かせ、サルタヒコに挨拶させたりしているが、日本書紀には必ずしもそのような話は無い。
本居宣長によってかなりの部分が改作されているのではないかとも言われる。
国学者たちが古事記を史実であるかのように評価していただけだったものを、明治政府が伊勢神宮とアマテラスに格式を与えたことにより、虚構が堅固になった。
今日では、アマテラスは卑弥呼だという説があったりし、何やら埋蔵金探しに似てきている。
その仕組みを解く糸口は実際には何時でも幾つも既に見えていて、解いてみると最も信じ込ませたかったものは何だったかが分かる。
信じる側は、それが神話だと知っていて、それでも幾許かの真実が含まれているという期待を捨てられない。
この端的な例が古事記。
現存する最古の写本とされている南北朝時代のものからして、その前に古事記としての体をなした原本が有ったか疑わしく、偽書の噂は絶えなかったようである。
アマテラスとスサノオが姉妹だというのは真っ赤なウソだと指摘する本が有った。
スサノオという神は昔から各地で民間信仰されてきたが、アマテラスという女神は無かった。有ったのはアマテルという男の太陽神で、その巫女(オオヒルメ)が神に昇格した、と。
西条 勉 2011 「古事記」神話の謎を解く:かくされた裏面 中公新書
はじめにオオクニヌシの話:
オオクニヌシが出雲のミホの岬で、蛾のぬいぐるみを着て豆殻のような船にのって波頭を伝わってくる神を見て、名前を聞いたが答えない。
供の者たちに聞いたが、誰も知らない。
カカシに聞くと、スクナヒコナだと分かった、と。
風土記や万葉集によれば、オオクニヌシ(オオナムチ)とスクナヒコナはいつも一緒に出てくる。
オオクニヌシがスクナヒコナを知らなかった筈はない。
古事記は民間伝承の神話を否定し、イザナギとイザナミという民間伝承に無かった神話を仕立てたのだ、とも。
アマテラスは、性格が男になったり女になったりするだけでなく、八百万の神々の間の首長としての役割行動も一貫していないことを指摘する本は多い。
天の岩屋戸から出てくるとアマテラスは強いリーダーに変身し、スサノオを追放する。
天の岩屋に隠れるまでのアマテラスは、高天原の八百万を統率した代々の首長たちを話として一人(一柱)に纏めただけではないだろうか。
本当の首長として例えばタカミムスヒたちが有ったことを何故か軽視しているが、岩屋以前には多数あった部族の統合が緩かったということかも知れない。
ニニギに「天下り」という遠征を命じたのは日本書紀にあるようにタカミムスヒであって、アマテラスは絡んでいないのが本筋だったかも知れない。
古事記では天岩屋戸で貢献したウズメやタジカラをニニギの供として連れて行かせ、サルタヒコに挨拶させたりしているが、日本書紀には必ずしもそのような話は無い。
本居宣長によってかなりの部分が改作されているのではないかとも言われる。
国学者たちが古事記を史実であるかのように評価していただけだったものを、明治政府が伊勢神宮とアマテラスに格式を与えたことにより、虚構が堅固になった。
今日では、アマテラスは卑弥呼だという説があったりし、何やら埋蔵金探しに似てきている。
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