Facebookからお友達になりたい人がいるというメールが頻繁に来る。
Google+には登録したが、Facebookに登録した記憶は無い。
気がつかない間に登録してしまったのだろうか。
偶に知った名が有ったりする。
彼は僕のメールアドレスを知っており、用が有れば、無くても、メールを呉れれば好いのにと思う。
昔の同僚の名で誘いがあり「承認」をクリックした。
まだ生きているかどうか時々確認したいのかも知れない。
そんな時はブログを見れば良いのだが、このところ新しい記事を投稿していない。
ある人の通夜の席で、遠方の甥が「ブログを開いて叔父の健康を推していた」と言っていた。
それを真似てか、妹は僕のブログを見て電話を掛けてきたりする。
Facebookなら「いいね」をクリックしているかどうかだけで安否が知れるのがメリットなのだろう。
世界全体では、「いいね」が1日で27億回クリックされているらしい。
それにしてもFacebookを利用している人の過半数は30代と40代で、65歳以上の人は数%しかいないらしい。
Facebookには僕のメールアドレスが載っていたが、必要な登録項目が欠けているらしく、あれこれ聞いてきた。
抵抗を感じたのは写真を登録すること。
もう何年も自分の顔は撮ってない。
ひげを剃る時に鏡を見て、いつもこれが自分の顔かと思う。
自分で自分だと思えない顔を、これが僕ですと言って人に自己紹介することに抵抗がある。
老醜だけの顔を見せたくないと言うことかも知れない。
昔から多少、相貌失認の傾向があると思っていて、昔の知己や近所の人にあって分からないことが少なくない。
道を歩いていて向こうから、もし鏡の中のこの顔の人が来たら、自分だと思うだろうかと考えることもある。
何のことかと思う人が多いかも知れない。分身視(ドッペルゲンガー)とはどんなものだろうかと思うからでもある。
かつて面と向かって良く話をした人や、一緒に何かをした人なら、久しぶりに会って顔が変わっていても、直に昔の顔として親しく認知できるだろう。
もしかして静止した顔でなく、表情に動きがあったら人物の同定も違うだろうか。
どこをクリックしたのか、友達の友達という名前と写真が沢山出てきた。
知っている名前が幾つかあり、どこかで一緒だった人かなという感じがする名前もあった。
友達のそのまた友達という風にリンクしていくと6回ぐらいで世界を一周して自分に戻ってくる、とか聞いたことがある。
益者三友と言うことがあるらしい。友直、友諒、友多聞。
ネットでそんな風に友達を広げるなら、直と諒は期待できないが、多くを聞くことは出来るようになるのかも知れない。
今までのようにマスメディアから聞くだけだったのと、どのような違いが生じると予想されるだろうか。
次の選挙からはネットでの囀りが認められるようになり、世の中の変化の大きさを知ることになるだろうか。
Google+には登録したが、Facebookに登録した記憶は無い。
気がつかない間に登録してしまったのだろうか。
偶に知った名が有ったりする。
彼は僕のメールアドレスを知っており、用が有れば、無くても、メールを呉れれば好いのにと思う。
昔の同僚の名で誘いがあり「承認」をクリックした。
まだ生きているかどうか時々確認したいのかも知れない。
そんな時はブログを見れば良いのだが、このところ新しい記事を投稿していない。
ある人の通夜の席で、遠方の甥が「ブログを開いて叔父の健康を推していた」と言っていた。
それを真似てか、妹は僕のブログを見て電話を掛けてきたりする。
Facebookなら「いいね」をクリックしているかどうかだけで安否が知れるのがメリットなのだろう。
世界全体では、「いいね」が1日で27億回クリックされているらしい。
それにしてもFacebookを利用している人の過半数は30代と40代で、65歳以上の人は数%しかいないらしい。
Facebookには僕のメールアドレスが載っていたが、必要な登録項目が欠けているらしく、あれこれ聞いてきた。
抵抗を感じたのは写真を登録すること。
もう何年も自分の顔は撮ってない。
ひげを剃る時に鏡を見て、いつもこれが自分の顔かと思う。
自分で自分だと思えない顔を、これが僕ですと言って人に自己紹介することに抵抗がある。
老醜だけの顔を見せたくないと言うことかも知れない。
昔から多少、相貌失認の傾向があると思っていて、昔の知己や近所の人にあって分からないことが少なくない。
道を歩いていて向こうから、もし鏡の中のこの顔の人が来たら、自分だと思うだろうかと考えることもある。
何のことかと思う人が多いかも知れない。分身視(ドッペルゲンガー)とはどんなものだろうかと思うからでもある。
かつて面と向かって良く話をした人や、一緒に何かをした人なら、久しぶりに会って顔が変わっていても、直に昔の顔として親しく認知できるだろう。
もしかして静止した顔でなく、表情に動きがあったら人物の同定も違うだろうか。
どこをクリックしたのか、友達の友達という名前と写真が沢山出てきた。
知っている名前が幾つかあり、どこかで一緒だった人かなという感じがする名前もあった。
友達のそのまた友達という風にリンクしていくと6回ぐらいで世界を一周して自分に戻ってくる、とか聞いたことがある。
益者三友と言うことがあるらしい。友直、友諒、友多聞。
ネットでそんな風に友達を広げるなら、直と諒は期待できないが、多くを聞くことは出来るようになるのかも知れない。
今までのようにマスメディアから聞くだけだったのと、どのような違いが生じると予想されるだろうか。
次の選挙からはネットでの囀りが認められるようになり、世の中の変化の大きさを知ることになるだろうか。