記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

存在の軽さ

2010年07月19日 10時37分58秒 | Weblog
より易しいポピュラー・サイエンスの本を求めて、次々に途中で投げ出してきました。
今度はウィルチェックWilczekと言う人の「物質のすべては光The Lightness of Being(早川書房 )」を読みはじめました。

ジャケットに「ポピュラー・サイエンス・フアン待望の1冊」という宣伝文があって引いてしまうのですが、目次に「エーテルは不滅だ」という章が有り、つい買ってしまいました。

原著者は「存在の耐えられない軽さ」という小説が好きで、その題名の一部分を貰って「存在の軽さ」という題を付けたと弁明しています。
「耐えられない」という語を除いた理由は「質量とエーテルと力の統一と」という副題を付けたことで明らかにしていると思われます。

邦訳では売上の為と思いますが、原著者の意向を無視し「物質のすべては光」を邦題とし、副題を「現代物理学が明かす、力と質量の起源」としております。
本文の訳も随分工夫しているらしいのですが、残念ながら文脈が通らず、意味不明になっているところが少なくありません。
一概に誰が悪い、何がいけないと言えないのですが、原著では何と書いてあったのか、疑いはじめると、つい飛ばし読みをしてしまいます。
そんな有様ですが、原著者はアッと思わせることを述べており、ナルホド、ナルホドと読み続けています。

アインシュタインの方程式として誰でも知っている
 E = m c2 
はごまかしがある、と。
この式は1905年に発表して元の論文には出てこない。出てくるのは
   m = E / c2 
だ、と。
同じことのようですが、前の式は静止している孤立した物体にしかあてはまらない、と。
「ごまかし」は適当でないとしても、正確でない式でした。
指摘されてみれば、今まで何故気が付かなかったのだろうと思われます。

もうひとつ。
引力は物質の間で作用するのではなく、エネルギーの間で作用するのだ、と。
そう言われて太陽の近くを通る光が曲がった話に合点がいきました。
今までは重力場が歪むからだという図解で何となく分かった気でいただけでした。

Wilczekとは馴染みのない綴りの名前ですが、今までの重力についての理解を分かり易く矯正してくれる創造性に富んだ物理学者のようです。

*     *     *

ようやく一応読み通して、・・・。
邦題の「物質のすべては光」は、やはり内容を理解しない編集者の強引な曲解で付けられたと思われます。
本文の何処にも、そういうことを匂わせる文章はありませんでした。
営利の為でないとしたら「はじめに光ありき」みたいなことを信奉する人が関係者にいたというようなこともないとは言えないかも知れませんが、いずれにしろ人々の誤解を誘う題名でした。

ファインマンによるポピュラーな本のひとつに
「光と物質のふしぎな理論―私の量子電磁力学」(岩波書店 2007)があります。
大変啓発的でした。
編集者は、その評判だけ知っていて、あやかりたかったのかも知れません。

ウィルチェックを読んでいて時々ファインマンを想わせるところがありました。
ファインマンを尊敬し、その量子電磁力学に倣って量子色荷力学を展開したウィルチェックは、一般向けの本を書くにも真似をするところが有ったようです。
ファインマンは手振り豊かに説明するのが常で、それを倣って手振りしながらキーボードを叩いているが、その感じが読者に伝わらないのが残念だ、と言っています。

そんな風にしていて平易な言葉を思い付き、読者との間で当然ニュアンスが共有されると期待し説明を簡略にしてしまったのではないか、と疑われたところもあります。

しかし、当方は歳の所為もあって見落としたり忘れたりすることが一層多くなっていることを否定できません。
こういう本は、後で読み返す為にマーカ―で線を引きながら読むことにしています。
成るべく線を少なくしようと考えるので、二度目にはボールペンで線を加えたりすることになる有様です。
そんな訳で、どうもオカシイと思っても強ち著者や訳者の所為にはできません。

例えば「重力の弱さ」という議論があり、どうでも好いことですが、「弱い」という感覚的な言葉の意味がよく呑み込めなかったりします。
原題にある「軽さ」にどんなニュアンスがあるか、著者は最初に説明しており、分かった心算でしたが、読み直してみると半分も理解していなかったと気付きました。
偶々近所の図書館に著者が言及しているクンデラの「存在の耐えられない軽さ」があり、借りてきて少しページを捲って、そう思いました。
時空の本質を捉え直そうとして色々な考え方を展開し、新しい発明の可能性を説明してみせたが、しかしもっとはっきりした肝心なアイデアはまだ見つかっていない、と言うのが締め括りでした。
著者の気持ちとしては、その探索の道程をクンデラの小説のテーマと比較しながら著述したと言いたかったと思われます。

*     メ モ      *

「質量の起源」ということがこの本を書き通す(=読み通す)ためのひとつの鍵ではあった。
質量と光とを両極的に捉えた古典的な通説を先ず批判的に紹介しながら、ニュートンの法則に第0法則として「質量は作りだされることも失われることもない」を加えている。
ニュートンにとっては定義で、後に「質量保存の法則」と呼ばれるようになったが、間違った法則だった、と。

議論の大部分は物質の成立ちについてであったが、最も大事なテーマは物質としては知覚されない未確認の実体の追求法についてらしい。

われわれが学校で学んだ物理学や化学では、いつも「○○の保存則」とか「平衡」とかが重要だった。
これを手掛かりに方程式を立て、解いたものだった。
今は変換によって変わらないパターンとして「対称性」が「保存」に取って代わったと言って良いようだ。

著者は平易の為に「対称性」を「差異なき区別」と言替えたりしているが、あまりすっきりしない。
気になって、以前読みかけで放棄したレーダーマンとヒルによる「対称性と美しい宇宙」を読み直してみた。
邦題は「対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで」(白揚社 小林訳 2008)。
女性数学者エミー・ネーターが「対称性」を物理学に結び付け、対称性と保存則とを統一したことについて詳細に述べている。
時空の変換で物理法則あるいは系(=方程式)が不変なら、その変換を対称変換と言い、対称変換ごとに保存則が対応する。
まだ発見されていな対称変換があり、保存則があると言うことであろう。
物体のプロパティやパターンよりも、それが置かれている時空の座標変換に関心の比重が移ってきたようである。


宇宙を満たすとされ、そして否定されたエーテルの概念を、Wilczekはグリッドという名前で新装復活させている。
われわれが「空虚な空間」と考えているものが実は空虚ではないことは既によく知られている。
著者は「強い相互作用の漸近的自由性」の研究でノーベル賞を受賞している。
アキシオンと呼ぶ粒子の存在を予測し、それが未知の存在とされてきたダーク・マターの有力な候補だと認められつつあるらしい。


ジュネーブ近郊のCERN研究所では、大型ハドロン衝突型加速器によって光速の0.999998倍の速度で陽子を衝突させ、その爆発的現象から出てくるものを監視している。
起動して直ぐに故障したが、修理は済んでおり、予定通りなら質量の起源を解明する粒子を検出している筈。
何故かまだニュースはない。

カミオカンデはニュートリノが質量を持つことを実証した。
次は陽子崩壊の検出を待つばかりであるが、これもまだのようである。


全てを説明する究極の理論は、あまりに小さな時空と、あまりに大きなエネルギーを対象としており、直接の実験と測定は不可能だと言われる。
従来、量子物理学は新しい粒子の存在を先ず方程式から予測し、暫くして実験や観測が可能になって発見するという経過を辿ってきた。
新しい発見の前には、いつも方程式の新しい拡張があった。

方程式は情報圧縮の最たるもの、物理学の理論あるいはモデルは方程式として表現されることが強調されている。
「ポピュラー・サイエンス=数式を用いない」と言うことで、肝心の方程式は全く書いてない。
方程式は解を求めることよりも、方程式の振舞いを理解することが大切だと言う。
振舞いとは、方程式を拡張する軸となった「対称性」に他ならない。
既に色々な対称性が見つかって力の統一の理論が発展してきたが、それらの対称性を全て含む上位の対称性の研究によって重力をも統一することが期待されているらしい。


「神は真空を嫌う」という考え方は全ての文明が共有してきたわけでない。
エーテルが存在しないということを物理学が証明してからは「何も存在しない空虚な時空」の概念は否定できない標準的概念だった。
しかし、ここにきて宇宙には透明なダーク・エネルギーとダーク・マターの存在が知られるようになってきた。
それらは重力によってしか普通の物質の運動に影響していることが観測されない。
光を放出したり、吸収したりするところは観測されていないから「ダーク」と言われるだけだ、と。

ダーク・エネルギーは宇宙全体の質量の約70%を占め、ダーク・マターは宇宙全体の質量の20%を占める。
残りの5%が、われわれが日常観測する普通の質量ということになる。

ダーク・エネルギーは宇宙全体に均一に分布し、密度は時間によって変化しない。
ダーク・マターは均一に分布しておらず、凝集するが、密度は普通の物質の100万分の1以下が普通らしい。
ダーク・マターは、全ての銀河の周辺に薄い円盤状に広がってハローを形成していて、普通の物質からなる銀河こそダーク・マターの中の不純物と言うべきかも知れない、と。

アインシュタインの有名な方程式
   E = mc2
によって物質とエネルギーは等価だと解釈するのが一般的だが、誤解だと指摘している。
仮に眼の前の普通の物質を何らかの方法で爆発させることが出来たとしても、その全質量をエネルギーに変換することは出来ない、と。


われわれの素朴な哲学では、基本的存在は質量を持った物質であって、時空は任意に定義された座標系によってそれらの相互位置関係を記述するに過ぎない、と思ってきた。
ヒトの認知発達の過程からも、物質の存在が先にあって、空間と時間の概念は物質の認識が可能になってから成立すると看做してきた。
どうやら、そうでないらしい。
空間・時間こそ基本的であって、物質は彩りを添えるに過ぎない、…、とまで言ったら言い過ぎだろうか。


マクスウエルの電磁力学の方程式は対称的な形をして美しいことで知られている。
ヤンとミルズはこれを数学的に拡張し、強い相互作用を担うグルーオン粒子の存在を予測した。
マクスウエルの方程式では1種類のチャージ(電荷)しか登場しないがが、ヤン・ミルズの方程式には3つのチャージ(色荷:カラー・チャージ)が登場する。

光子は質量が0だが、超伝導体の内部では質量を持ち、いつもの光速で運動できない。
超電導体の内部では、本当の質量を持っている粒子と同じ運動方程式に従う。
光子と似たWボゾンやZボゾンという粒子が質量を持っているのは、電荷ではなく、それらの粒子に関連したチャージについての超電導体があるからだ、と。
われわれが空虚な空間と呼んでいるところの実体(=グリッド)は、そうした拡張された超伝導体なのかも知れない、と言う。


陽子という複合粒子の質量は電子の質量の約1836倍ある。
陽子に閉じ込められているクォークの質量は電子の約10倍だとか。
クォークを縛り付けているグルーオンは質量を持たない。
このズレを説明するために色々な仮説が有るらしい。
この本では、陽子の質量は二つの対立する効果の妥協の産物だとしている。

クォークが持っている色荷は周囲のグルーオン場を擾乱する。
擾乱が生じるにはエネルギーが必要で、不安定になる。
擾乱を打ち消すようなクォークを重ねることでエネルギーが最少の安定な状態になろうとする。
しかし量子の位置は不確定で、分布する可能性のある範囲を局所化しようとすればエネルギーが必要になる。
結局、擾乱を0にすることはできない。
擾乱の成長と局所化とが妥協したレベルで、そのエネルギーから電子の質量が生まれる、と。

電子の質量については、まだ何も議論の手掛かりが無いらしい。


SU(3), SU(2), U(1) という3つの対称性変換があり、それぞれ強い相互作用、弱い相互作用、電磁相互作用に対応する。
これら3つの対称性変換を全て含む SU(3)×SU(2)×U(1) という、ひとつのより大きい対称性変換として SO(10) の可能性が有る。
これは数学的には10次元空間の回転操作からなる。
標準理論(著者はコア理論と呼んでいる)のカラーチャージのそれぞれ(赤、白、青、緑、紫)が異なる2次元平面で表され、従って全部で 2×5 = 10 次元だ、と。

超対称性 SUSY(super symmetry)と呼ぶ。
系の全ての要素に同じ「量子次元の運動」を加えても方程式が変わらない。
ダーク・エネルギーについては何もまだ分かっていなし。
しかし、ダーク・マターは超対称性によって予測される新しい粒子のひとつかも知れない、と。

「超対称性」とか「対称性の破れ」とか、説明を読む度に分かった気になるが、別の文脈で出てくるとまた分からなくなる。
いちばん大切な部分の説明が門外漢にも呑み込めるように行われるのは、科学の最先端がどこまで進んだときなのだろうか。

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