最近、次のようなオカルトっぽい説が「食育」と称してあちこちの食育勉強会で広められているので、ぞっとします。
「元気の気の字は、旧字体の氣の字でなければならない。なぜなら、旧字体の氣の字を分解すると、中にお米の字が入っているからだ。氣のエネルギーはお米パワーから発せられる。お米を食べなければ健康になれない。だから断固として旧字体を使用して、お米をもりもりたべましょう!」
あの~、そんなに文字の起源にこだわるのでしたら、そういう方はお米(ライス)は食べちゃダメですよ。だって、米という字はもともと麦か粟(アワ、またはゾクとも読みます。)という雑穀を指す篆文(てんぶん)という文字が起源だったのですから。
氣のパワーを発揮したいなら、お米なんか絶対食べちゃダメ!麦かアワを食べてください!!!!
以下、説明です。我が国の漢字研究の大家、白川静先生の「常用字解」(p570,674~678)や、漢和辞典「漢字源」、世界史の教科書によると、こういうことです。
まず、甲骨文字(今から三千年以上前の殷王朝時代に発明された、最古の漢字。)にも米の文字が見つかるのですが、殷王朝は黄河文明なので、寒すぎてお米が栽培できない土地柄でした。お米が栽培できたのは長江以南でして、当時は黄河文明の範囲にありません。したがって、殷王朝は麦または粟(アワ)を食べていたと考えられます。この甲骨文字のコメの字は、現代私達が使っている「米」の字とは異なる形をしています。
時代は下って紀元前221年に西方の秦(シン)が統一王朝を打ち立てると、それまでの文字を廃止し、秦の文字、「篆文(てんぶん)」を採用しました。この篆文の「米」の字は、現代の米の字とそっくりで、この字が現代の「米」の字の起源となりました。しかも秦は麦文化圏でかつアワも多く食べましたので、篆文の「米」の字も当然麦またはアワを指したと考えられるのです。
ただし、秦国は統一前に、辺境の地であった稲作文化圏の楚国を併合したので、アワなどを主食としていた支配層の人々も、やがて、お米を見る機会も生じるようになったと考えられます。
さらに後漢の時代になりますと、古い時代の文字に対する知識が要求されるようになりましたが、もはや米という字はもともと何を指していたかについて分からなくなってしまいました。そこで許慎という学者が読解を試みたのですが、何しろ秦が古代文字を廃したので甲骨文字は人々の記憶から消えてしまっており、篆文等を参考にするより他に方法がなかったのです。
許先生は研究成果を著書「説文解字(せつもんかいじ)」にこう記しました。
「粟の實(み)なり、禾の實の形に象(かたど)る」と。
禾(か)の字はイネだけではなく穀類一般を象徴する文字です(常用字解「科」の項目、p43に基づく)。「漢字源」では禾の字について「象形。穂のたれたあわの形を描いたもの。」と明記されてますので、許先生自身も「あわの実をかたどったものだ。」と言う意味で「禾の實の形に象る」と書いた可能性が高いのです。
まとめましょう。甲骨文字の米の字は麦またはアワを指していました。その後の篆文でも麦またはアワを指していました。ところがその後戦乱等で記録が途絶えてしまったため、後漢の許慎先生が「米の字はアワの実を指す文字で、禾の実の形をかたどった。」と研究成果を発表したのです。で、ここが重要なのですが、禾という字はアワの象形文字ですし、先生は文章の前半ではっきり「アワの実を指す文字だ」と断言してしまっているんです。ですから、氣のパワーを発揮したいなら、お米(ライス)なんか食べちゃだめですよ、麦かアワを食べなくちゃ!
ちなみに、「漢字の起源に基づいた食事をしなければならない」なんて話、私は、ただのオカルトだと思っていますから、安心して今日もおいしいお米(ライス)を食べています。
2018年5月27日追記(1)わかりやすい文章にするために一部説明を追加しました。(2)最近ある子供向けの辞典に、米の字の成り立ちはもみがらを出た米粒を描いた象形文字です、というような説明が載っていますが、漢字についてもっとも歴史と権威がある研究書「説文解字」に明らかに反する説明であり、かつ、何を根拠に「もみがらを出た・・・」と唱えているかも記されていませんので、信憑性の薄い説です。事典を編纂する以上、信頼性の高い情報に基づいて情報の出所を明らかにして記してほしいものです。
「元気の気の字は、旧字体の氣の字でなければならない。なぜなら、旧字体の氣の字を分解すると、中にお米の字が入っているからだ。氣のエネルギーはお米パワーから発せられる。お米を食べなければ健康になれない。だから断固として旧字体を使用して、お米をもりもりたべましょう!」
あの~、そんなに文字の起源にこだわるのでしたら、そういう方はお米(ライス)は食べちゃダメですよ。だって、米という字はもともと麦か粟(アワ、またはゾクとも読みます。)という雑穀を指す篆文(てんぶん)という文字が起源だったのですから。
氣のパワーを発揮したいなら、お米なんか絶対食べちゃダメ!麦かアワを食べてください!!!!
以下、説明です。我が国の漢字研究の大家、白川静先生の「常用字解」(p570,674~678)や、漢和辞典「漢字源」、世界史の教科書によると、こういうことです。
まず、甲骨文字(今から三千年以上前の殷王朝時代に発明された、最古の漢字。)にも米の文字が見つかるのですが、殷王朝は黄河文明なので、寒すぎてお米が栽培できない土地柄でした。お米が栽培できたのは長江以南でして、当時は黄河文明の範囲にありません。したがって、殷王朝は麦または粟(アワ)を食べていたと考えられます。この甲骨文字のコメの字は、現代私達が使っている「米」の字とは異なる形をしています。
時代は下って紀元前221年に西方の秦(シン)が統一王朝を打ち立てると、それまでの文字を廃止し、秦の文字、「篆文(てんぶん)」を採用しました。この篆文の「米」の字は、現代の米の字とそっくりで、この字が現代の「米」の字の起源となりました。しかも秦は麦文化圏でかつアワも多く食べましたので、篆文の「米」の字も当然麦またはアワを指したと考えられるのです。
ただし、秦国は統一前に、辺境の地であった稲作文化圏の楚国を併合したので、アワなどを主食としていた支配層の人々も、やがて、お米を見る機会も生じるようになったと考えられます。
さらに後漢の時代になりますと、古い時代の文字に対する知識が要求されるようになりましたが、もはや米という字はもともと何を指していたかについて分からなくなってしまいました。そこで許慎という学者が読解を試みたのですが、何しろ秦が古代文字を廃したので甲骨文字は人々の記憶から消えてしまっており、篆文等を参考にするより他に方法がなかったのです。
許先生は研究成果を著書「説文解字(せつもんかいじ)」にこう記しました。
「粟の實(み)なり、禾の實の形に象(かたど)る」と。
禾(か)の字はイネだけではなく穀類一般を象徴する文字です(常用字解「科」の項目、p43に基づく)。「漢字源」では禾の字について「象形。穂のたれたあわの形を描いたもの。」と明記されてますので、許先生自身も「あわの実をかたどったものだ。」と言う意味で「禾の實の形に象る」と書いた可能性が高いのです。
まとめましょう。甲骨文字の米の字は麦またはアワを指していました。その後の篆文でも麦またはアワを指していました。ところがその後戦乱等で記録が途絶えてしまったため、後漢の許慎先生が「米の字はアワの実を指す文字で、禾の実の形をかたどった。」と研究成果を発表したのです。で、ここが重要なのですが、禾という字はアワの象形文字ですし、先生は文章の前半ではっきり「アワの実を指す文字だ」と断言してしまっているんです。ですから、氣のパワーを発揮したいなら、お米(ライス)なんか食べちゃだめですよ、麦かアワを食べなくちゃ!
ちなみに、「漢字の起源に基づいた食事をしなければならない」なんて話、私は、ただのオカルトだと思っていますから、安心して今日もおいしいお米(ライス)を食べています。
2018年5月27日追記(1)わかりやすい文章にするために一部説明を追加しました。(2)最近ある子供向けの辞典に、米の字の成り立ちはもみがらを出た米粒を描いた象形文字です、というような説明が載っていますが、漢字についてもっとも歴史と権威がある研究書「説文解字」に明らかに反する説明であり、かつ、何を根拠に「もみがらを出た・・・」と唱えているかも記されていませんので、信憑性の薄い説です。事典を編纂する以上、信頼性の高い情報に基づいて情報の出所を明らかにして記してほしいものです。