プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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不安に対処するには胆力がいる

2011-05-19 09:51:55 | 考えたこと
ネットワークでつくる放射能汚染地図」と
をみて、
「そうは言っても、それほどひどくないでしょう」
とどこかで思おうとしてた
ちょぴっとの信頼なるものもガラガラと崩れる音がした。

そして、一旦抱かれた不信感は、もしもあるときは本当のことを
伝えているとしても、それも信じられないことになり、
ますます、信頼できるものが無くなるという悪循環がスタートする。

信頼できるデータを共有するっていうことは、
暗黙の了解のような気がしていた。
それをどう読むかはそれぞれの責任になるとは思うけど。
つくば大で混ぜてもらってる
「テクニカルライティング」の授業もそういうテーマだ。
でも、専門家に情報として読み解いてもらう以前の問題だったんだね。

それにしても、webやツイッター上でこれだけの批判や
問題の指摘があっても、ことが明らかになってくるのは2ヶ月後。
現実の変化につなげるには、弱いツールなのだろうか?
つぶやきやさえずりは、言いっぱなしだから、
「お願い」や「対話」では無いということなのかな。

あんまりにもいろんなことが同時に起こっているので、
だれに何のことを、何と伝えればいいのかわからない。
この歯がゆい気持ちは怒りにつながりやすい。
でも、いきなりの怒りとして表現することは、受け入れられにくい。
「怒りだ」ということで拒絶、批判されやすい。

怒りの爆発ではなく、お願いとして伝えたい。
「私や私の家族の生命にかかわることで、
あなたが知っていることを、教えてください」

不安は伝染しやすい感情のひとつだ。
この不安な感じと対決するには胆力がいる。
いろいろ大変さや狂おしい気分はわかってるけど、
なんとかやり過ごしたり、ときどき忘れたり、
気分転換したり、みんなで笑い合ったり、
ぐっとこらえてみたりする。

否認や抑圧と言われる対処もいっぱい使われているだろう。
関係性のなかでは、脆いところにストレスのしわ寄せが
いく可能性も高い。
身近なだれかひとりに不安のストレスがたまってしまわないように。
そして、なんとか、不安が濁流になってしまわないように。
ゆったり不安を共有したり、いなしたり、なだめたり
しあえる場があることが望ましいように思う。

セリグマン学習性無気力に端を発し、
happinessの研究や実践を行っていることに
勝手にオリエンテーションされつつ、
こっちで開くリトリート的ワークショップができないかと模索中。

そして、ワークショップを開く前に、自分の胆力を
つけておかないと、とも思っているところ。
こころのピラティス、
こころの筋力トレーニングであります。
コメント (2)
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