「Canta! Timor」
たくさんの音楽が詰まっっている「Canta! Timor」
子どもの笑顔が弾けるようにあふれるドキュメンタリーだが、
内容はとても重層的で重奏的。
監督の広田奈津子さんは言う。
「子どもの頃、家の周りには木がいっぱい生えていて、
いつもその林の中で遊んでいた。ある日、宅地造成の波が
押し寄せて、一夜にして木が一本もなくなった。そのとき、
私がもし、コダヌキだったら今日、死んでいたな、と思った」
そして、お母さんに尋ねる。なぜ、こんなことができるのか?
その土地を持っている人が土地を売り、
業者がそこを宅地造成することにすれば、できるのだと聞いても、
どうしても納得できなかったと。
分断は地面を人間が分けて、ここからこっちは
自分のものと線を引いたところから始まった?
私とあなたは別のもの、自我を確立しなくっちゃというところから?
ホノルル妙法寺でのピースコンサートで、詩の朗読があった。
なっちゃんの応援団だという女優の斉藤とも子さんによるもの。
その詩はシアトルの町の名前の由来となった
シアトル酋長の言葉だった。
200万エーカーの土地を15万ドルで買いたいという
アメリカ連邦政府からの申し出に対してのものだそうだ。
ハワイの地にも所有という概念はなく、
Ainaと呼ばれる大地は人間のものではない。
「分断」が気になりだしたのは、今年の3月。
福島の子どもたちの保養プログラムをサポートしたときからだった。
震災被害への保証で、一本の道路を挟んでこちらとあちらで額が変わる。
さまざまな被害が、一本の線でサポートされたりされなかったり。
同じ地域に住みながら、あっちとこっちが分断される。
悲しみを抱えながら、子どもたちも分断される。
仲間だと思っていた関係がバラバラになる。
大変な思いを抱えている人(ところ)を
ひとりにしてはいけないはずなのに。
学生になった広田さんはある日、
ネイティブアメリカンの絵本に出会う。
それが、先ほどのシアトル酋長の話だったという。
いてもたってもいられず、カナダの先住民に会いに行く。
そこで出会った先住民は「土地を人間のものとは考えない民族が
太平洋の周りにはたくさんいるから、会いに行ってごらん」と
言ってくれたという。
そして、東チモールの人々も土地は人間のものとは考えない。
けれども、インドネシアやその背後の国々は、
東チモールの地を手に入れようとやっきになる。
近くに油田が見つかったからだという。
戦禍に見舞われ、虐殺や拷問を受けながら、
東チモールの人々は言う。
「悲しい、でも怒りはないよ」
「ハワイになんでやってきたんだろう、私」という問いが
ずっとあった。日本でやれることや、やりたいことがまだまだ、
あったなぁと。出てくるときにはそれほどとは思わなかったが、
日を追うにつれて、失ったものの大きさに、思いの外、打ちひしがれていた。
けれども、このドキュメンタリーのメッセージで、
いろんなことが統合された。
戦争、原爆、水俣、地震や津波、原発。
どれもがあまりにも大きなテーマで、
いったい、どこに取り付いていいやら、
まったく無力な感じを抱き続けてきた。
でも、もしかしたら、できることがあるかも、と。
それぞれの「悲しみ」と捉えたらどうだろう。
それなら、ぐっと身近になる。
悲しみの傍らに居るということならできるじゃないか。
ネガティブ・ケイパビリティをどう持つかが
これからの私のテーマだ。
グリーフを抱えながら、はじけるような笑顔で暮らせるよう、
ひとりぼっちの子どもをつくらないよう、
地に足をつけて日々を暮らしながら、
できることをできるところからやっていけばいいのかもしれない。
飽和溶液から結晶が析出するように、
ハワイでの日々のいろんなことが、
結晶になって腑に落ちてきたのだった。
たくさんの音楽が詰まっっている「Canta! Timor」
子どもの笑顔が弾けるようにあふれるドキュメンタリーだが、
内容はとても重層的で重奏的。
監督の広田奈津子さんは言う。
「子どもの頃、家の周りには木がいっぱい生えていて、
いつもその林の中で遊んでいた。ある日、宅地造成の波が
押し寄せて、一夜にして木が一本もなくなった。そのとき、
私がもし、コダヌキだったら今日、死んでいたな、と思った」
そして、お母さんに尋ねる。なぜ、こんなことができるのか?
その土地を持っている人が土地を売り、
業者がそこを宅地造成することにすれば、できるのだと聞いても、
どうしても納得できなかったと。
分断は地面を人間が分けて、ここからこっちは
自分のものと線を引いたところから始まった?
私とあなたは別のもの、自我を確立しなくっちゃというところから?
ホノルル妙法寺でのピースコンサートで、詩の朗読があった。
なっちゃんの応援団だという女優の斉藤とも子さんによるもの。
その詩はシアトルの町の名前の由来となった
シアトル酋長の言葉だった。
200万エーカーの土地を15万ドルで買いたいという
アメリカ連邦政府からの申し出に対してのものだそうだ。
ハワイの地にも所有という概念はなく、
Ainaと呼ばれる大地は人間のものではない。
「分断」が気になりだしたのは、今年の3月。
福島の子どもたちの保養プログラムをサポートしたときからだった。
震災被害への保証で、一本の道路を挟んでこちらとあちらで額が変わる。
さまざまな被害が、一本の線でサポートされたりされなかったり。
同じ地域に住みながら、あっちとこっちが分断される。
悲しみを抱えながら、子どもたちも分断される。
仲間だと思っていた関係がバラバラになる。
大変な思いを抱えている人(ところ)を
ひとりにしてはいけないはずなのに。
学生になった広田さんはある日、
ネイティブアメリカンの絵本に出会う。
それが、先ほどのシアトル酋長の話だったという。
いてもたってもいられず、カナダの先住民に会いに行く。
そこで出会った先住民は「土地を人間のものとは考えない民族が
太平洋の周りにはたくさんいるから、会いに行ってごらん」と
言ってくれたという。
そして、東チモールの人々も土地は人間のものとは考えない。
けれども、インドネシアやその背後の国々は、
東チモールの地を手に入れようとやっきになる。
近くに油田が見つかったからだという。
戦禍に見舞われ、虐殺や拷問を受けながら、
東チモールの人々は言う。
「悲しい、でも怒りはないよ」
「ハワイになんでやってきたんだろう、私」という問いが
ずっとあった。日本でやれることや、やりたいことがまだまだ、
あったなぁと。出てくるときにはそれほどとは思わなかったが、
日を追うにつれて、失ったものの大きさに、思いの外、打ちひしがれていた。
けれども、このドキュメンタリーのメッセージで、
いろんなことが統合された。
戦争、原爆、水俣、地震や津波、原発。
どれもがあまりにも大きなテーマで、
いったい、どこに取り付いていいやら、
まったく無力な感じを抱き続けてきた。
でも、もしかしたら、できることがあるかも、と。
それぞれの「悲しみ」と捉えたらどうだろう。
それなら、ぐっと身近になる。
悲しみの傍らに居るということならできるじゃないか。
ネガティブ・ケイパビリティをどう持つかが
これからの私のテーマだ。
グリーフを抱えながら、はじけるような笑顔で暮らせるよう、
ひとりぼっちの子どもをつくらないよう、
地に足をつけて日々を暮らしながら、
できることをできるところからやっていけばいいのかもしれない。
飽和溶液から結晶が析出するように、
ハワイでの日々のいろんなことが、
結晶になって腑に落ちてきたのだった。