毎年、5月の最終月曜日にあるメモリアルディに
ハワイではランタンフェスティバルがある。
2011年、長蛇の列に並んで手にしたランタンに書いたのは、
当時、まだカウアイ島のお寺の住職だった
藤森さんから届いたメールに添付されていた、
「東日本大震災の犠牲者を想う法要」の式次第に
書いてあった以下の詩だった。
大地よ
重かったか
痛かったか
あなたについて
もっと深く気づいて
敬って
その重さや痛みを
知る術をもつべきであった
多くの民が
あなたの
重さと痛みと共に波に消えて
そして大地へ帰っていった
その痛みに
いま私たち残された多くの民が
しっかりと気づき
畏敬の念を持って手をあわす
アイヌ詩人 宇梶静江
震災後、あれだけのことが起こったのだから、
きっとたくさんのヘルプが東北に集まり、
被災した人たちにとっても
福島の問題についても、
世界の英知が結集して、
何か手厚いサポートがあるのではないかと
期待した。
けれども、時々、訪れて感じる日本の雰囲気は
よりトゲトゲしい、何かピリピリした
緊張の続くものだった。
3年が過ぎた頃からは東北へのサポートが、
なんだかゆっくりした、
重いものになった印象があった。
福島や原発について話すことがためらわれるような
そんな感じがした。
「多くの人が遠い」
Canta! Timorでの大きな問い「この戦争のからくりから私たちは独立することができるのか」
「問いがあればウマルリックの守り女に尋ねに行くといい」というアドバイスに従って
応えを聞きに行ったときのルリックの言葉だ。
「近い者が数少なくなっている」
「大地・水・目に見えぬものへの敬意を忘れたとき、
人類は絆を失うんだよ」とも。
福島から子どもたちを招くイベントに携わったときに
目にした「分断」という言葉が頭をよぎる
この「分断」ということが、
震災数年後からずっと、気がかりだった。
悲しみは悲しみとして続いている、と考える人たちもいれば、
亡くなった人のことや悲しさはさっさと忘れて、
次に進むべきだと考える人たちもいた。
そんなふうなことも、分断をすすめ、
「わかってもらえない感じ」や
「みんなと違う感じ」が拡がっていた。
みんなで手をつないで踊るtebe。
脱穀するときの様子を歌った踊りと歌だそうだが、
このtebeをインドネシア軍は嫌ったという。
シャナナが説明するときの手の取り方もすごい。
がしっと、つながるつなぎ方。
ハワイのイベントの最後はアロハオエで終わることが多い。
そのとき、会場にいる人全体が手をつなぐ。
もらう手と送る手があると聞いた。
Kids Hurt Too Hawaiiでは、みんなで集まって遊んだ後、
子どもたちと終わりの会をする。
みんなで手をつないでハンドスクイーズで終わる。
ぎゅっ、ぎゅうっと隣の人の手を握っていく。
子どもたちは
「Loveを送っているんだよ」
と説明してくれることもある。
ハワイ東海インターナショナルカレッジでの上映会&監督のトーク後、
音楽監督をなさった小向サダムさんが、ギターを抱えて歌ってくれた。
その中の一つがTebe。
みんなで手をつないで、稲穂を踏む踊りを踊った。
オーディトリアムいっぱいに拡がって。
手をつないで踊ることに相当する何か。
それが見つかれば「分断」が消えていく?
そんなことがふと、頭をよぎる。
つながろうとして対話するか、
ことさら違いや間違いに注目して、
勝ち負けのあるディベートをするか。
「分断」と「グリーフ(悲しみ)」は
しばらく私にとってのテーマになり続けるだろう。
ハワイではランタンフェスティバルがある。
2011年、長蛇の列に並んで手にしたランタンに書いたのは、
当時、まだカウアイ島のお寺の住職だった
藤森さんから届いたメールに添付されていた、
「東日本大震災の犠牲者を想う法要」の式次第に
書いてあった以下の詩だった。
大地よ
重かったか
痛かったか
あなたについて
もっと深く気づいて
敬って
その重さや痛みを
知る術をもつべきであった
多くの民が
あなたの
重さと痛みと共に波に消えて
そして大地へ帰っていった
その痛みに
いま私たち残された多くの民が
しっかりと気づき
畏敬の念を持って手をあわす
アイヌ詩人 宇梶静江
震災後、あれだけのことが起こったのだから、
きっとたくさんのヘルプが東北に集まり、
被災した人たちにとっても
福島の問題についても、
世界の英知が結集して、
何か手厚いサポートがあるのではないかと
期待した。
けれども、時々、訪れて感じる日本の雰囲気は
よりトゲトゲしい、何かピリピリした
緊張の続くものだった。
3年が過ぎた頃からは東北へのサポートが、
なんだかゆっくりした、
重いものになった印象があった。
福島や原発について話すことがためらわれるような
そんな感じがした。
「多くの人が遠い」
Canta! Timorでの大きな問い「この戦争のからくりから私たちは独立することができるのか」
「問いがあればウマルリックの守り女に尋ねに行くといい」というアドバイスに従って
応えを聞きに行ったときのルリックの言葉だ。
「近い者が数少なくなっている」
「大地・水・目に見えぬものへの敬意を忘れたとき、
人類は絆を失うんだよ」とも。
福島から子どもたちを招くイベントに携わったときに
目にした「分断」という言葉が頭をよぎる
この「分断」ということが、
震災数年後からずっと、気がかりだった。
悲しみは悲しみとして続いている、と考える人たちもいれば、
亡くなった人のことや悲しさはさっさと忘れて、
次に進むべきだと考える人たちもいた。
そんなふうなことも、分断をすすめ、
「わかってもらえない感じ」や
「みんなと違う感じ」が拡がっていた。
みんなで手をつないで踊るtebe。
脱穀するときの様子を歌った踊りと歌だそうだが、
このtebeをインドネシア軍は嫌ったという。
シャナナが説明するときの手の取り方もすごい。
がしっと、つながるつなぎ方。
ハワイのイベントの最後はアロハオエで終わることが多い。
そのとき、会場にいる人全体が手をつなぐ。
もらう手と送る手があると聞いた。
Kids Hurt Too Hawaiiでは、みんなで集まって遊んだ後、
子どもたちと終わりの会をする。
みんなで手をつないでハンドスクイーズで終わる。
ぎゅっ、ぎゅうっと隣の人の手を握っていく。
子どもたちは
「Loveを送っているんだよ」
と説明してくれることもある。
ハワイ東海インターナショナルカレッジでの上映会&監督のトーク後、
音楽監督をなさった小向サダムさんが、ギターを抱えて歌ってくれた。
その中の一つがTebe。
みんなで手をつないで、稲穂を踏む踊りを踊った。
オーディトリアムいっぱいに拡がって。
手をつないで踊ることに相当する何か。
それが見つかれば「分断」が消えていく?
そんなことがふと、頭をよぎる。
つながろうとして対話するか、
ことさら違いや間違いに注目して、
勝ち負けのあるディベートをするか。
「分断」と「グリーフ(悲しみ)」は
しばらく私にとってのテーマになり続けるだろう。