「やらなきゃ、やらなきゃ」
と急く気持ちがあるとき、
なかなか本に没頭するということは難しいなぁと思います。
読みながら
「ああ、こんなことしている場合じゃないのに…」
と思ったりしてしまうものですから。
やっと自分の本が終わったので、
(というか、もう、編集者さんにおんぶに抱っこでした。
ホントに一生懸命、考えてくれて、サポートしてくださいました。
ありがと~、ありがと~!)
積ん読になってた上記本を。
やさしくわかるユング心理学―あなたの深層心理を読み解く一歩
あいかわらず通い続けている
アラモアナショッピングセンターの白木屋
ブックオフで見つけたものです。
日本語の本がとても限られているのですが、
読みたい本が不思議と見つかるところです。
ホノルル近辺に好みの似ている方々が
いらっしゃるのかもしれませんね。
ユング派の方たちがどのようなカウンセリングを
していらっしゃるか、あまりよく知らなかったなぁと
思いながら購入したものです。
内容は著者がどのようにユング派のカウンセリングと出会い、
どのようなトレーニングを受け、どのようなプロセスをたどったか
というご自身の体験と、実際のカウンセリングの中でどのような
かかわりをしているかということ、そして本書の半分近くを占める
後半はさまざまな物語を取り上げて、ユング心理学的にその意味する
ところを読み解くという構成になっています。
日本の家に行くとあるはずの「妖精王」や「奇子」「八月に生まれる子供」
がとりあげられていて、「読みなおしたい」衝動にかられています。
(これらのマンガがうちにあるってのも不思議です。
私のセレクトではありません)
自己分析、教育分析についてのところが
とても興味深く、教育分析的なトレーニングが今、どれくらい
行われているんだろうか…と気になるところでした。
自分自身について知るということは、
カウンセラーとして必要不可欠なことです。
どこでそれをやってきたかを振り返ると、私の場合は
エンカウンターグループだったなぁと。
非構成的なものだったので、そこから何を得たのかを
きちんと振り返らなければ、
そのまま雲散霧消してしまっていたとは思うのですが、
身近にそれを振り返ったりシェアしたりする仲間がいたので、
参加したり企画したりするたびに、
自分のなかでのそれらの意味あいを言語化するチャンスに恵まれました。
今、それに似たことはKids Hurt Too Hawaiiでの
スタッフミーティングやファシリテータを
するときのチェックインのときなどでできるのですが、
体験の言語化と自己分析を英語でってのは、
不完全燃焼状態。
英語力をあげるか、話せる場を探すかする必要がありそうです。
思えば、今はなき都留先生に受けた
教育分析(的)カウンセリングがなつかしいです。
たまたまなってしまった仕事なのですが、
やっぱり、この仕事、好きみたいですね。
と急く気持ちがあるとき、
なかなか本に没頭するということは難しいなぁと思います。
読みながら
「ああ、こんなことしている場合じゃないのに…」
と思ったりしてしまうものですから。
やっと自分の本が終わったので、
(というか、もう、編集者さんにおんぶに抱っこでした。
ホントに一生懸命、考えてくれて、サポートしてくださいました。
ありがと~、ありがと~!)
積ん読になってた上記本を。
やさしくわかるユング心理学―あなたの深層心理を読み解く一歩
あいかわらず通い続けている
アラモアナショッピングセンターの白木屋
ブックオフで見つけたものです。
日本語の本がとても限られているのですが、
読みたい本が不思議と見つかるところです。
ホノルル近辺に好みの似ている方々が
いらっしゃるのかもしれませんね。
ユング派の方たちがどのようなカウンセリングを
していらっしゃるか、あまりよく知らなかったなぁと
思いながら購入したものです。
内容は著者がどのようにユング派のカウンセリングと出会い、
どのようなトレーニングを受け、どのようなプロセスをたどったか
というご自身の体験と、実際のカウンセリングの中でどのような
かかわりをしているかということ、そして本書の半分近くを占める
後半はさまざまな物語を取り上げて、ユング心理学的にその意味する
ところを読み解くという構成になっています。
日本の家に行くとあるはずの「妖精王」や「奇子」「八月に生まれる子供」
がとりあげられていて、「読みなおしたい」衝動にかられています。
(これらのマンガがうちにあるってのも不思議です。
私のセレクトではありません)
自己分析、教育分析についてのところが
とても興味深く、教育分析的なトレーニングが今、どれくらい
行われているんだろうか…と気になるところでした。
自分自身について知るということは、
カウンセラーとして必要不可欠なことです。
どこでそれをやってきたかを振り返ると、私の場合は
エンカウンターグループだったなぁと。
非構成的なものだったので、そこから何を得たのかを
きちんと振り返らなければ、
そのまま雲散霧消してしまっていたとは思うのですが、
身近にそれを振り返ったりシェアしたりする仲間がいたので、
参加したり企画したりするたびに、
自分のなかでのそれらの意味あいを言語化するチャンスに恵まれました。
今、それに似たことはKids Hurt Too Hawaiiでの
スタッフミーティングやファシリテータを
するときのチェックインのときなどでできるのですが、
体験の言語化と自己分析を英語でってのは、
不完全燃焼状態。
英語力をあげるか、話せる場を探すかする必要がありそうです。
思えば、今はなき都留先生に受けた
教育分析(的)カウンセリングがなつかしいです。
たまたまなってしまった仕事なのですが、
やっぱり、この仕事、好きみたいですね。