「大工と鬼六」という昔話がある。
氾濫する川に大工さんが橋をかけることになるが、
何回やっても流されてしまう。
困っているところに鬼がやってきて、
「橋を作ってあげる代わりに名前を当てろ。
当てられなかったら目をもらうぞ」
と。
大工は承諾し、鬼は橋を作り上げる。
大工は鬼の名前を当てようとするが、
うまくいかない。
目を渡さなくてはいけない期限が
せまったときに、子どもたちが歌う
はやし歌を聞いて、鬼の名前を知る。
名前を当てられた鬼はどこへともなく消える。
そんな話の流れだった。
どこかで
「いいのか、鬼、それで?
橋を作ったのにだれからもねぎらわれず、
報われず、賞賛もされないで?」
というような思いがする。
「いいのか大工、鬼にお礼しなくて」
とも。
失明を賭したとはいえ、
バランス悪くないか? と。
ずっとどこかにひっかかっている絵本だった。
先頃から「ハワイおはな文庫」という
文庫活動に携わりはじめ、この本に再会した。
絵本や文庫活動についての本を読む機会が増え、
メタの視点から絵本を見るというマインドセットが
どこかにできてきたのかもしれない。
そうしたら、
「大工と鬼六」がカウンセリングのプロセスのように
見えてきた。
鬼はいわゆる「黒感情」だ。
名まえのわからない、
けれどもパワーがあり、
その感情の持ち主も気づいていない
知恵とスキルを持っている。
氾濫する川のように自分を脅かす何かに橋を架けて
なんとか此岸と彼岸とをつなぐ手助けをしてくれる
ものでもある。
トラブルを乗り越えるには
鬼の手助けが必要なのだ。
一方で鬼も自分を脅かす危険なものだ。
この危険なものを無害化するときに
「名づけること」が意味を持つ。
「名づけること」は
コントロール可能にするということだ。
黒感情についても同じことが言える。
もやもやと蠢く黒感情。
この感情に名前を与えることで、
感情にふりまわされることから、
感情は自分の一部分へと転換される。
黒感情は自分の内側と外側とをつなぐ橋を作り、
あとはどこへともなく消えて行く。
カウンセリングのプロセスで、
なぜ、感情の言語化が行われるか。
「大工と鬼六」で答えが見つかった。
鬼への思い入れがあったから、
「黒感情」なるものに入れこんで
しまったのかもしれないなぁ
氾濫する川に大工さんが橋をかけることになるが、
何回やっても流されてしまう。
困っているところに鬼がやってきて、
「橋を作ってあげる代わりに名前を当てろ。
当てられなかったら目をもらうぞ」
と。
大工は承諾し、鬼は橋を作り上げる。
大工は鬼の名前を当てようとするが、
うまくいかない。
目を渡さなくてはいけない期限が
せまったときに、子どもたちが歌う
はやし歌を聞いて、鬼の名前を知る。
名前を当てられた鬼はどこへともなく消える。
そんな話の流れだった。
どこかで
「いいのか、鬼、それで?
橋を作ったのにだれからもねぎらわれず、
報われず、賞賛もされないで?」
というような思いがする。
「いいのか大工、鬼にお礼しなくて」
とも。
失明を賭したとはいえ、
バランス悪くないか? と。
ずっとどこかにひっかかっている絵本だった。
先頃から「ハワイおはな文庫」という
文庫活動に携わりはじめ、この本に再会した。
絵本や文庫活動についての本を読む機会が増え、
メタの視点から絵本を見るというマインドセットが
どこかにできてきたのかもしれない。
そうしたら、
「大工と鬼六」がカウンセリングのプロセスのように
見えてきた。
鬼はいわゆる「黒感情」だ。
名まえのわからない、
けれどもパワーがあり、
その感情の持ち主も気づいていない
知恵とスキルを持っている。
氾濫する川のように自分を脅かす何かに橋を架けて
なんとか此岸と彼岸とをつなぐ手助けをしてくれる
ものでもある。
トラブルを乗り越えるには
鬼の手助けが必要なのだ。
一方で鬼も自分を脅かす危険なものだ。
この危険なものを無害化するときに
「名づけること」が意味を持つ。
「名づけること」は
コントロール可能にするということだ。
黒感情についても同じことが言える。
もやもやと蠢く黒感情。
この感情に名前を与えることで、
感情にふりまわされることから、
感情は自分の一部分へと転換される。
黒感情は自分の内側と外側とをつなぐ橋を作り、
あとはどこへともなく消えて行く。
カウンセリングのプロセスで、
なぜ、感情の言語化が行われるか。
「大工と鬼六」で答えが見つかった。
鬼への思い入れがあったから、
「黒感情」なるものに入れこんで
しまったのかもしれないなぁ