プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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「どもる体」と英語で喋ろうとする体

2019-02-20 09:46:38 | 読んだ本
去年、日本に帰ったときに買ってきた本の一つ、
伊藤亜紗著「どもる体」(医学書院)を読んでいる。
年末に読み始め、あまりにも思い当たることが
多くて、グサグサというのか、
「うっ」となって休み休み読む、
という状態が続いている。

吃音があるわけではないのだが、
ハワイで英語で話す時の私の体は、
まさしく吃音を持つ方の体と同じ。
話すときに「考えてから話す」という
もどかしさが、ストレスフルである。

さらに、難発のところを読むと、
ああ、これが起こっているから疲れるんだ、
ということがとても良くわかる。

「連発は乖離、難発は拒絶」という
小見出しの部分があり、
そこにある通り、

「〇〇と言うぞ」と言う思いが体によって拒まれる。
体と意図との間に緊張関係が生じます。


まさにこれが起こる。
さらに、その後に
「扉の鍵がない!」という小見出しのところには、
三島由紀夫の「金閣寺」の一節が載っていて、
初めの音が発せないうちに、
「内面の濃密な黐にとらわれる」
という解説がしてある。
小鳥がトリモチにつかまって
しまっているイメージ。
もう、じたばた感が
身体ごとそういう感じ。

英語でのやりとりで、言われていることは概ねわかる。
たくさん言葉が発せられるけど、重要なポイントは意外と少ない。
ただ、それに反応したい内容と表現できる内容とに
あまりにもギャップがあるので、
「内面の濃密な黐にとらわれ」て、ジタバタしているうちに、
話題は次に移ってしまう。
だんだん、何か言うことを諦めてしまう。

だいたい、もともと話すよりも聞くのが得意なので、
日本語での会話のときでさえも、
何か発しようとすることと、
身体がジタバタすることとが
セットになって身についてしまい、
ますます、発することが億劫になっていく。

自分に起こっていることがこういうことなのか!
ととても納得しながら、身につまされながら
チビチビ読んでいるところです。

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