サイコドラマの研究会に参加していたことがある。
これも、20代の頃の話。
その頃、大学の保健管理センターで
カウンセラーの見習いをしていて、
師匠がいろんなセミナーを企画していたからだ。
確か学芸大の研究会で
ディレクターは野口先生とおっしゃった。
そこで、不良の役をやったり、
自閉症の弟を持つ姉の役をやったり、
つまづきの石になったり、木になったり。
初めはかなり気恥ずかしかったが、
案外、楽しくてハマってた。
そんな中で落ち込んでいる人との
相談場面というのをやったことがある。
気持ちにフォーカスしてやりとりする中で、
私の言葉は落ち込み役の人の
落ち込みに引っ張られて、
ずんずん、一緒に沈み込んでいってるのがわかった。
落ち込み沼はなかなかの吸引力なのだ。
ディレクターからの
「落ち込みに引きずられないで」
というディレクションで、ハッとして、
どうすればいいんだ? とジタバタ。
その時にわかったのか、
その後で、いろいろやっているうちに
分かるようになったのか忘れたが、
同じことは逆側からも言える、
ということに気づいた。
どういうことかというと、
「友人は私のことをちっともわかってくれないんです」
というようなことがあるとしたら、
「もっと友人にわかってもらえたらなぁって?」
みたいな方向。
落ち込みのうしろには希望が隠れてる。
そんなことに気づくきっかけだったなぁと。
落ち込みそうになったら、
「私は本当はどうして欲しかったのか?」に
フォーカスしてみるってこともできる。
これも、20代の頃の話。
その頃、大学の保健管理センターで
カウンセラーの見習いをしていて、
師匠がいろんなセミナーを企画していたからだ。
確か学芸大の研究会で
ディレクターは野口先生とおっしゃった。
そこで、不良の役をやったり、
自閉症の弟を持つ姉の役をやったり、
つまづきの石になったり、木になったり。
初めはかなり気恥ずかしかったが、
案外、楽しくてハマってた。
そんな中で落ち込んでいる人との
相談場面というのをやったことがある。
気持ちにフォーカスしてやりとりする中で、
私の言葉は落ち込み役の人の
落ち込みに引っ張られて、
ずんずん、一緒に沈み込んでいってるのがわかった。
落ち込み沼はなかなかの吸引力なのだ。
ディレクターからの
「落ち込みに引きずられないで」
というディレクションで、ハッとして、
どうすればいいんだ? とジタバタ。
その時にわかったのか、
その後で、いろいろやっているうちに
分かるようになったのか忘れたが、
同じことは逆側からも言える、
ということに気づいた。
どういうことかというと、
「友人は私のことをちっともわかってくれないんです」
というようなことがあるとしたら、
「もっと友人にわかってもらえたらなぁって?」
みたいな方向。
落ち込みのうしろには希望が隠れてる。
そんなことに気づくきっかけだったなぁと。
落ち込みそうになったら、
「私は本当はどうして欲しかったのか?」に
フォーカスしてみるってこともできる。