プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
こちらもどうぞ→ https://note.com/nana_horoiwa

「寺カフェ」について考えてみた

2019-10-19 19:30:09 | お寺
月に一回、「寺カフェ」という名前で
お寺の入口脇のスペースを「カフェ」にしている。

カフェと言っても、ドネーションしていただいた
コーヒーメイカーでコーヒーを淹れ、
いらした方とおしゃべりする場、という感じ。
たいていは、まず、ご住職が美味しい日本茶を入れてくださる。

お昼にはご住職がご飯を炊いて、お魚を焼いてくださったり、
かきあげの天ぷら入りのおうどんを作ってくださったり。
言い出しっぺの私は、いらした方とのおしゃべりに興じ、
その間に周りの方々がご飯の準備をしてくださるという、
自由すぎるカフェである。

お代はドネーションなので、
たくさん集まる日もあれば、
ほぼ0のときもある。
ビジネスをやる人から見たら、
何をしているのだ? ということに
なるのだろうけれど、
こういう場が大事だ、と私の中の何かが言っている。

何か目標を持って、それを達成する、
というのがふつうの頑張り方のように思うのだけど、
かたくななまでに「目標」を拒否している。
とにかく「あること」Being。
あることに意味があると、こだわってみている。
何かを為すことではなく、
何かをやり遂げることではなく、
まあ、そこに居て、
いらした方と一緒にそこに居る。

何かの作業をするわけでもなく、
だれかが作業を持ち込むのであれば、
まあ、それもいいかと拒否するわけでもなく。
(人手があるから使ってやれ的なのは嫌だけど)
そんな風にしていると、
何か「こんなことをしてはどうか?」的な
アイディアを持ち込んでくださる方もあり、
それがみんなの集うチャンスに繋がることもあり。

このビーイングでいて、周りの人との
インタービーイングを楽しんでいると、
なんか、いい感じなのです。
それがお寺でやらせてもらえているっていうのが
ありがたいです。



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