被害初期のマインドコントロール1【2024年版】No2
前回の記事「被害初期のマインドコントロール1【2024年版】No1」で述べたことは、私の被害初期、加害組織の加害初期のときのマインドコントロールの本質である。
被害初期のマインドコントロール1【2024年版】No1
マインドコントロールの本質を理解できれば、私が被害初期時に「マイクロ波聴覚効果」を加害相手から声を聴かされる技術の結論を下した私自身が加害されながらマインドコントロールされた基本妄想に適合性のあるものだったのも必然的なことなのを示す。
前回の記事で述べたマインドコントロールは、二つのマインドコントロールである。
① 基本マインドコントロール・・・受動的に「加害の物的事実」を認識して妄想の物的事実を認識する。
② ①のマインドコントロールに積み上げるマインドコントロール・・・①の妄想の物的事実を認識したものに能動的に積み上げる妄想の物的事実を認識する。
二つの認識は、ターゲットの私が(どのターゲット被害者も同様)自分の意識で、自分の考え方で、自分の意志で認識したものであるのと同時に加害組織がマインドコントロールしたことが我々ターゲットにとっては、「認識させられた」事でもある。
それらの実情がマインドコントロールの本質である。
本題に入る前に一言言っておけば、加害組織の実践するマインドコントロールは、ターゲットの頭脳をよく調べ済みの後で行うことと加害組織の実施するマインドコントロールに気が付くことはない事である。
だから、幻聴を聞かされる被害者が幻聴を実際に聞こえるものとして認識しても作り物のようなものに聞こえると認識しても、加害組織にとってはどちらでもいいのであるから、いわゆる「音声送信」か「実際に聞こえるもの」かの区別は、早い話無意味。
◆基本的マインドコントロールの上に積み上げるマインドコントロール◆
基本的マインドコントロールの上に積み上げるマインドコントロールは、ターゲットにされた自分が能動的に取り込む点で基本的マインドコントロールの場合と大きく異なる。
基本的マインドコントロールとそれに積み上げるマインドコントロールとの境は、ターゲットにされれば、分からない。
基本的マインドコントロールに積み上げるマインドコントロールは、基本的マインドコントロールで受動的に認識した妄想の物的事実認識を潜勢的な意識のように「その都度の意識」に作用する結果となる。(根拠にするという意味)
言い換えれば、基本的マインドコントロールは、加害組織がターゲットの先入観を誘導して実施する。
加害組織から言えば、ターゲットの先入観にマインドコントロールした先入観を「付加」することである。これが加害組織のターゲッティングの中身である。
換言すれば、基本的なマインドコントロールとそれに積み上げるマインドコントロールとの違いは、実際の加害の事実に「本質」を意識しないから違いを意識することはない。逆に基本的なマインドコントロールの結果、受動的に取り込んだ加害の物的事実の認識が自分の先入観に一体化するため、一つの加害方法をやられれば、その一つの加害方法が一体化したものに認識するだけである。
前回の記事でも紹介したとおり、私の被害初日には、女の声との会話めいたものがあった。女の声以前にも別の声を聴かされた。
それらの声は、姿のない声で声の出所もはっきりとわかるものだった。
すでに最初の声から私は基本的なマインドコントロールを実施済みとなって、相手の存在が不明でも亡霊でも、唯一、「声が聞こえた時の声の相手がしゃべって自分に聞こえた」という物的事実を受動的に認識していた。
重要な点は、何気なく、漠然と、特に意識することなく、「声が聞こえた時の声の相手がしゃべって自分に聞こえた」という物的事実を疑いもなく認識したことである。その認識は、基本的なマインドコントロールで聞こえる声を物的事実として認識したことになったのである。
次に、加害の一つを物的事実として認識したことになった上に女の声を聴かされて相手を女だと認識した。と同時に、姿がない点を物的事実として能動的に認識したことは、それも基本的なマインドコントロールで加害の事実を物的事実として根拠にしたことである。
私の被害初日には、基本マインドコントロールの上に積み上げるマインドコントロールとの違いがどこにあるか考えても、考えることもなかったのである。ーーー亡霊だと思った自分の判断さえも疑念があったにもかかわらず。
なぜそうなるかは、一つの加害方法が、二つのマインドコントロールを同時に実施したからであり、基本的なマインドコントロールの方は、女の声という認識とは別個にしかも正反対の意識状態で認識したものである。
だから、基本的なマインドコントロール=基本妄想が能動的な認識がないために唯一、女の声という認識が基本的な妄想=加害技術で作り上げた声という物的な事実を能動的に認識したものとなったのである。
つまり、私は、加害初日から加害組織が作り出した声を物的事実として女の声なら女の声を加害組織が物的に作り出した事実の認識に「代替」したのである。
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ここで述べている点は、本当の事実を認識した時の「代替」された認識が加害技術の物的事実を認識したものとなったことである。
しかし、加害技術の物的事実を「代替」認識したものは、加害技術の物的事実をを本当に認識したものではないことである。
読者にとっては、この部分の詳細な展開がよくわからないだろうと推定する。
例えて言えば、分からないものを何らかの言葉で表現したものに過ぎないことなのだが、昔、オーストラリアで西欧人が原住民にカンガルーを指さして、あれはなんだ?と質問して原住民が「カンガルー」と返してきてカンガルーをその動物の名前を言ったのだと思い込んだものみたいなもので、一種の取り違えだが、原住民がカンガルーと言った意味が実は、原住民の言葉の意味が、「分からない」だったのである。【民間語源・俗説によるーーー参考 https://manalink.jp/teacher/11104/blog/706】
つまり、加害技術で聞こえる声が身近な人が発しただろう声でも、姿のない声でも、聞こえる声から加害技術の本質を導き出そうとしても、たいていは、取り違えた認識しか生まれないことである。
私の実例で言えば、枕もと近くから聞こえた女の声を聴かされて女だと認識し、枕もと近くの場所から声を出したと認識したから、その認識の上で私が相手を亡霊のように意識したものとは、加害技術の本質を導き出したものではなく、ただ単に感覚と先入観を根拠とした私の認識であり、決めつけの一種でしかないことである。
しかし、私のその取り違えは、加害技術で声を聞かせる物的事実を観念的に表現したものであり、当たらずとも遠からずの一端を持っていたのである。
そういう取り違えは、加害相手は身近にいるとか電磁波攻撃装置を使っている、などの観念的表現も同様ではあるが、私の見るところ、それらの被害者には、当たらずとも遠からずの一端もないと結論付けている。
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この展開部分が長ったらしいのは、ある種の哲学風の思惟過程を示すためである。
問題の核心部分は、加害技術で作り出せる声であり、聞こえた女の声でもあることである。それゆえ、感覚からくるものを根拠にして相手を考えても、取り違えしか生まれないことになるわけである。
いわば、妄想の根源、である。
加害技術は、空間中から声が出ているように物的に作り出す加害技術だから、女の声が聞こえ、女の声が私の頭の中の意識に応じて応答してきた会話めいたものは、女の声を聴かされた時にどういうことかを考えるべき対象を含むことになるが、基本的マインドコントロールが意識誘導したものは、私が意識対象として意識しないような演出をしたということである。
女の声が聞こえ、私の脳内意識に応答し、会話めいたことによって私の脳内は、一種の興奮状態となったことを意味する。性的な意味ではない。どちらかと言えば、恐怖の興奮状態である。
だから、女の声には女の声が聞こえたことを真っ先に認識する。会話めいたものになっているときに自分の頭の中の意識を聞こえたかのように応答してきた様を意識して、亡霊だから・・・という感じでその場の状況を認識したのである。
それは、加害組織が意図的にそうしたほうが私には効果的だったと前もって企画済みだったと考えれば、加害組織は、ターゲットにいろいろな加害方法を実施する前に私の脳を調べ上げて経験・記憶なども調べ上げ、先入観を使った物事の断定的な意識を誘導するにはどうやればいいのか企画したものだろうと考えている。
ここで肝心な点は、加害組織がある加害方法を実施する時にターゲットが物的事実をどのように認識するかを、ターゲットがどんな先入観を使うのか前もって知っていて、その先入観を誘導するために私なら女の声を聴かせたと考えられる。
そういう加害組織側の事前企画に沿えば、女の声が私に聞かせた第一声が、「怖がらなくていいのよ」だったと考えられる。
加害組織は、姿のない声を聴かせる時、ターゲットがどのような精神的反応をするのか、良く知っている。
姿がないのだから、恐れを抱くのも当然だ。だから、第一声を「怖がらなくていいのよ」の言葉を聞かせたのだろう、女の声で。
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話を戻せば、基本的な妄想の上に積み上げる妄想は、加害の事実のときの自分の感覚と自分の先入観を根拠にターゲットの私が作り上げるものである。
そのため、女の声を亡霊と考え、私が頭の中で意識したものに女の声が応答してきた様子を亡霊だからわかるのだろうくらいに認識したのである。
ところが、亡霊だろうとの認識は、実は、加害組織が加害技術を使って私の脳に聴覚を作った物的事実を私が「代替認識」したものであって、科学技術的なものの見方をすれば、そもそも姿のない声の物的事実を認識しなければならないのである。
しかし、姿のない声の物的事実は、私にとっては、聞こえる事実だから、即、その物的事実の認識は、普通に考えられるものになるだけである。
姿がないのに声が聞こえる点を自分の先入観を根拠に亡霊だと認識した。
他の人なら、透明人間、と考えたりもするだろう。
そういうわけで私の被害初日から基本的なマインドコントロールで加害技術を使って聞こえた声の物的事実を亡霊のように「代替認識」し、当然のことながら、加害技術を使って聞こえた声の物的事実は、意識対象外となったのである。
加害技術を使って聞こえた声の物的事実が私にとって意識対象外になったことは、加害初日以降も同じままだった。その後も年月が流れ、6年以上かかって意識対象になったのである。
◆基本的なマインドコントロールが反映するターゲットの観念の特徴◆
前回からの記事に引き続き、基本的なマインドコントロールとその上に積み上げるマインドコントロールとの物的事実関係の認識は、ターゲットにされた自分が加害されながらマインドコントロールの本質を見極めるために是非とも必要不可欠な領域である。
科学的な見地から基本的なマインドコントロールを認識することは、自分がマインドコントロールされた妄想の物的事実を必ず自己批判する羽目になる。(ここを言い換えると、集スト被害者なら相手に行動を起こしたことは、お門違いな相手に何をしたのか自覚することになり、加害していたことを認識する羽目になる。)
自己批判を敬遠する様なものの考え方の被害者では、避けて通る領域でもある。
自己批判的なものの考え無しに加害技術を語ることは、マインドコントロールされた基本的な物的妄想を根拠として「断定」するしか道がないと言っておく。
科学的な見地から自分が加害された事実を分析することは、必ず自己批判的にその時の自分の判断の根拠に批判のメスを入れなくてはその分析は一向に進まない。
そんな場合、逆に自己保身的な自己弁護的な加害の事実の主張だけになる。例えばその主張は、恨み節っぽいものとか、自分の被害自慢とか、「私はほかの被害者に比べてほかの事実も知っています」みたいな加害相手の自慢話のような内容ぐらいしかない。
だから、被害者によっては、加害じゃないものまで加害の結果に決めつけて加害の事実を主張することで自分の被害をほかの人に対して比べさせるように記事を出す。(例えば、ある被害者があんたの被害なんか、ローテクだけじゃない、みたいな主張にもなるのである。)
そんな感じの被害の主張になるのは、加害の事実を科学的な見地から加害の事実を分析していないためである。
科学的な見地に対してほとんどの被害者の考え方は、いわゆる「子宮で物を考える考え方」、自分の感覚と先入観を根拠にする考え方しかない。(もちろん私も6年以上もそうだったが)
ところで、先入観の話はよく出す項目の一つなのだが、ターゲッティングが心の中のものだから、当然のことながら加害組織はターゲットの心の中の先入観を根拠にするようにターゲッティングし、それで、ターゲットの先入観に加害組織由来の先入観をくわえていくのである。
ターゲットにされた場合、はっきり言っておこう、加害技術がわからないのだから、加害の事実は、個人的な観念的表現にしかならないことである。
言い換えると、ターゲットにされたら加害の事実を自分の観念で表現するしかないことである。
自分の観念とは何かと言えば、感覚の物的根拠に「亜」(つぐ、と読む)根拠なのである。
感覚の物的根拠とは何かと言えば、それは加害のときの自分の感覚である。
だから、加害の事実は、ターゲットにされた人の先入観を根拠とした観念的な表現しにしかならないことである。
その表現を真実だと一方的に主張しても、所詮は自分の先入観を根拠とした観念的表現でしかないのである。
その先入観をターゲットにするということは、先入観をターゲッティングすることだから、当然のことながら加害されながら自分の先入観に知らず知らずのうちに別の先入観が誘導されて加える(この動詞は、ターゲットにされた被害者の動詞である点に注意ーーー能動的に)ものとなるのである。
だから、加害の事実認識に確信するのが限度などである。つまり、証拠?ーーーそんなものは見たこともない。
なぜ証拠がない?ーーー証拠を見たことがない代わりに自分の感覚認識とその認識に亜認識の先入観が証拠だからである。
それを被害者は次のような逃げ口上を表現する。
「加害の証拠は取れない物」
証拠を取るため計測機器を購入したりして電磁波や放射能などを検出してそれらを加害の事実だと決めつけるしかない。
だからこそ、基本的なマインドコントロールとその上に積み上げるマインドコントロールとの科学的な見方が加害の事実を認識するために必要なのである。
要は、観念的なものの見方では、言い換えれば、先入観では、科学的なものの見方にはならないことである。
先入観と科学的なものの見方を区別しているものは何かと言えば、いろいろな基礎科学の知識を根拠にするか、感覚からくる知識、ネットで学んだ知識をよく研究もせずに「当てはめる」こととの違いでしかない。
科学の代わりに噂を「代替」にするようなものであるが。その風景は、集スト被害者などが地獄に落とされるところでもある。
ここに一切の疑いを捨てねばならぬ。それに怯懦するならここに死ぬがよい。
しかし、多少の精神ストレスくらいのことだ、地獄でももがくだけの空間がある。むしろその方が自己保身的に自分を表現できるのである。
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この記事でも前の記事でも、私の被害初日の出来事だけを分析している。その加害は、「女の声」を聞かせる加害方法だった。他にも別の声もあったが、別の声は、最初言葉が聞き取れなかったが聞き取れるように聞かせてきた後、女の声を聴かされ、会話めいたものになった。
そのたった一日で加害組織は、私に基本的なマインドコントロールを実施、私は基本妄想を受動的に認識し、その基本妄想は、物的事実として6年以上もかかったようやく真相がわかったのである。
被害初期のマインドコントロールは、初日以降も引き続いて基本的なマインドコントロールの上に積み上げるマインドコントロールをいろいろな加害方法で受けた。電磁波攻撃が始まるのも1週間くらいした後だと思いだすが、正確ではない。
電磁波攻撃を受けた経験は、それはそれで基本的なマインドコントロールに積み上げるマインドコントロールの一断片となった。
肝要な点は、ターゲットにされると加害の物的な事実を自分なりの観念で表現する以外道がないことである。要は、ターゲットにされた人は、最初はそうなるしかないことである。
だが、自分なりの観念的な表現のまま何十年も人生を送る被害者もいるから、妄想の事実を固く確信したまま人生を終えるのも一つの人生でもあるが。
何はともあれ、ターゲットにされたらよろしく!
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2019年10月10日。
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