一歩一歩の人生
もう40年も前に札幌の手稲山(約1,000m)の山に登ったことがあった。頂上を目指して
一歩一歩登って、漸く頂上に辿り着いた。山登りの醍醐味は爽やかな風が吹き、景色が高くな
るにつれて木々や草花の様子が変わってくることを感じるのと、苦労して登った瞬間の気持ち
というものは爽快そのものである。
その山に登っている一歩一歩の歩みの中に、石ころや湧水や草木が足場を困難にする。そ
の困難を切り抜けたからこそね到達した爽やかさを味わうことができるのだろう。これを車で
登れる山にたとえ1,000mを超える所に到達しても、足で歩いた総会さとは違ってくるものだ。
人生もこの一歩一歩の歩む姿と同じで、簡単な日々、苦労の経験のない日々では高齢者に
鳴った時の思いは違ったものになるだろう。人性には必ず、泣きたい時、悲しい時、感激する
時がある。その一つ一つ、一歩一歩こそが日々の性格の糧になるのだと思うのです。
とは言うものの、悩みや苦労の真っただ中にいるときには、もうトンネルの灯りが見えて
こないように思ってしまいます。現在の新型コロナ禍はまさにトンネルの中を漂っている思い
がします。何んとかここから抜け出さなければならないと思えば思うほど、苦しくなってきま
す。でも必ずそう遠くない時期に、ワクチンが始り、治療薬も開発されるこを願いつつ、いま
暫く我慢をしたいものです。 0