アイヌ民族 3
明治政府は、1877年、北海道地券発行条例を制定し、「北海道」を「無主の地」、
つまり所有者がいない土地として官有地に編入しました。さらに、北海道土地払い下規則
、北海道国有未開地処分法により、官有地としたアイヌモシリ(蝦夷地)を日本人に払い下げ、
「開拓」を勧めていったのです。政府は、大地を奪い、さらにアイヌ語の使用を妨げ、日本
語の使用を強制し、アイヌの伝統的な生活を法的二制限しました。こうして日本人化の強制
という同化政策が徹底して遂行されたのです。これらは植民地政策により、アイヌ民族抹殺
がいわば国策として作り上げられていきました。1871年(明治4年)の戸籍法公布により、アイ
ヌも天皇の赤子として「平民」に編入し、日本国民に統合となかせらも、「旧土人」として
扱い、法制度的にも差別して来たのです。
ちなみに、この北海道旧土人保護法と同じ年に作られて、同じ年に消えてしまった銀行が
ありました、「北海道拓殖銀行」です。1899年北海道拓殖銀行法によって国策銀行として設
立され、1997年北海道旧土人保護法の廃止と同じ年にその銀行も金融恐慌のあおりを受けて
破産してなくなりました。北海道拓殖銀行は、道民の最大大手の銀行でありましたが。この銀
行を国は維持することなく、見放してしまったのです。
どちらも「植民地政策」を遂行するためのもので不思議な因縁を感じます。
さて、「同化政策」と一言で行ってもなかなかピンとこないと思います。たとえば、あなた
の街ににA国人が大挙してやってきて、銃剣による暴力的な四這いのもとで「明日から日本語を
使うなA国語を話せ、飯は食うな、パンを喰え。仏教は信じるな、キリスト教のみを信じろ、農
民はすべて工場で働け、公務員は土木作業員になれ」とこのように嬌声され、その結果、言葉
(A国語)を離すことができずに「無知蒙昧なもの」と差別され、慣れない仕事ゆえに困窮せざるを
得ない状況を長年に渡って味わらせられたのです。
これまで、アイヌ民族から見た明治期の歴史を見てきましたが、次回は、和人・日本人の開拓移
民から見ることにします。 0