ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

幸せと罪悪感

2006-10-01 21:33:18 | 身体のこと
臓器あっせん容疑、患者と売買仲介者を逮捕 愛媛県警 (朝日新聞) - goo ニュース




透析を導入した病院は腎移植でも有名な病院だった。
だから部長先生は
「このまま入院を続けてお母さんから腎臓をもらおう」と
勧めてきた。

普通は透析導入後一年は移植ができないらしいが、
私の場合、SLEによる急激な悪化により腎生検の
結果からも残存機能は皆無に近かった。
そういうこともあり、勧めて来たのだった。

でも、私は断った。
母からもらってもSLEがコントロールできなくて
またせっかくもらった腎臓をだめにしてしまったら。
SLEを発症してたった5年で腎臓はだめになった。
透析導入2年前の腎生検では
「あと10年はもつ」といわれた腎臓が
たった2年でだめになった。
だから今回もまただめになるだろう。
そうしたら、私は罪悪感で普通でいられなくなるだろう。

また、家族はみな病気がち。
母が頼り。
もし、私に腎臓を提供したことで
母が病気がちになったり、もしも透析なったら。
それで私も透析に戻っていたら
罪悪感で生きていられないだろうと思った。

だから、断った。


その後、普通の生活=子供が欲しくて
献腎移植を希望したことがある。
けれど、移植を受けるにはハイリスクということと
ステロイドを減量してきてステロイドを飲まないことの
すばらしさを知り、登録を止めた。


今、移植を希望する人は
今後への不安と、普通の食生活をしたいという
気持ちからだと思う。
特に飲酒は透析したままだと難しい。
少量ならともかくも、「飲み交わす」となると。。。
飲んでも水分は透析するまでそのまま溜まっている。
場合によっては心不全が起きる。
おきなくても身体は重い。
アルコールも透析するまで体から抜けない。
よって肝臓に負担がかかりアルコール性肝炎に
なることもある。
(実はアルコール性肝炎を経験しました。
うつむくとげろが出そう。歯を磨こうとするとげろが出そう。
身体はすごくだるい。本人がどんなに黙っても
血液検査で飲酒がばれて強ミノを一ヶ月
注射してもらった。。。


最近は透析に入るとすぐに親族から
腎臓をもらうケースが多い。
腎臓を提供するリスクを知っているのか
知らないのか。
透析から解放という「幸せ」だけが
目に入って気がつかないかも。
親戚一同、透析=一族の恥 と思い、
できるだけ早く患者を消したいのか?
または「自分だけは」と思い、
リスクなんて関係ないと思うのか。

なかには移植できても薬が合わず、
ずっと副作用に苦しむ人もいる。
副作用に耐えられず自分で薬を止めて、
腎臓をだめにしてしまう人がいるという。


今回の事件で、提供者はどのくらい知識を
もっていたんだろう?

もらった人は提供者の今後について
罪悪感はなかったのか?
「買った」から罪悪感がないの?
一時、中国での腎移植の斡旋が掲示板を
賑わせていた。
結局、あれも死刑囚や囚人から提供をうけたもの。
特に囚人は「提供すれば釈放する」という交換条件つき。
交換条件にリスクなんて説明があるはずない。

人を傷つけても幸せを得るということは
必ず「罪悪感」がつきまとう。
腎臓を得た分だけ、社会に貢献できますか?
人を幸せにできますか?
コメント (1)
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