ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

あれから

2006-10-11 23:24:39 | Weblog
「彼」とそれからどうなったかというと。。。。

父として接すると宣言した「彼」。
父親としてメールはまめにくれていた。
「おはよう。仕事はぼちぼちしてください」
「チャットなんかしないで早く寝なさいね」とか。
本当にお父さんモードだった。

でも、2週間に一度は一緒に
お茶か食事をして欲しいといっていた。


しかし、私は残業の日々。
日曜日は寝ていたい気分。
よって食事もお茶もする時間なんて
作れなかった。

メールも無茶苦茶な上司批判の
愚痴メールを送ってしまい
自己嫌悪に陥った私は
『仕事が落ち着くまでメールも止めましょう
と提案した。
すると「彼」は
『愚痴も聞いてあげられないならなんのための
関係なんでしょう?おしまいにしましょう』と
いってきた。

私的な付き合いはやめることになった




そして。。。。。


今回も折れたのは「彼」だった。
『大丈夫ですか』とメールが来た。
当然無視!


すると
『メールが来ないのが心配です
仕方なく、
『お心づかいありがとう。
おしまいにしたのだから
私的なメールは止めましょう
』と返信。

今度は
『本音:後悔』とメールがきた。

無視無視。


とかいっていると私が体調を崩して寝込んだ
『癒して差し上げましょうか?
精神的癒しがなかったから
疲れが溜まり体調を崩したのでは?』と
メールが来た。

ざけんなよ。
精神的余裕がなかったから病気になっただと?
あんたとお茶しているよりも
寝ていたかったの。
もともと体調がわるかったの!!!

私は「彼」からメールが来なくても
平気になっていた。


それからもこちょこちょメールが来ていた。
最初『返事に期待しないでください』と
断っていた私。

それを見て
『返事が来ないメールなんてかけない
と怒っていた「彼」。

二日ほどメールは来なかったが、
それから『返事を期待しませんが、
メールは送ります』
とメールを一方的に送ってくるようになった。

ちょっとかわいそうかなと思いつつ様子見。
でも、そのうちにメールが待ちどおしくなってきた
3通に1通位は返事をした。


その後、私は体調を崩したことで開き直り、
「どうせ動けないから」と精神的
仕事のあせりはなくなった。


「彼」とお茶をしてもいいと思えるようになった。


それを「彼」に伝える。
当然、喜ぶ「彼」。
『話したいことがたくさんある』という。
そのうちのひとつは
「彼」は、私と冷戦中に
競馬で100円が5万円に化ける大勝ちをしていた
いっつもそう。
仲がいいときは大敗。
冷戦状態になると大勝ち。

会うようになればまた負けるようになるだろう。


「彼」の私への思いはわからない。
「男として愛する」を「父親として愛する」と
いう形に愛の形をゆがめて私に接しているような気がする。
本音は今も、「男として」私を愛してるかもしれない。

今の形がだれも傷つけない愛し方かもしれない。
コメント (2)
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