ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

術後八日目 その2

2012-12-20 14:43:39 | 腎臓がん

透析に行くとき、エレベーターホールで
今日退院の同室の人に会う。

4人部屋といっても、
みんなカーテンをしっかり閉めていて
顔もわからない。

この人とは部屋から出るときにぶつかりそうになったから
挨拶をしたことがあった。

先生との会話は聞こえてしまい、
2年以内に透析に入るということだった。

だから、
「私、透析して2●年になるんです。
 うまくコントロールすれば充分生きられます」
と声をかけた。

すると
「あんた、そんなに長く透析していたの?
 初めて透析していて元気な人に会えた。
 透析をすると顔色が悪くて寝たり起きたりの
 生活になると思った。
 もっとはやく声をかけておけばよかった」
といわれた。

そういう悪い状態の人しか見ていないことを知る。
かならずしも寝たり気にならないという希望を
与えられたことをうれしく思う。




血液浄化センター。

前回、誤差で200g余分に引けた。

しかし、この誤差から踏み込んで300gでなく、
前回の指示の基礎体重から300gマイナスの終わりの設定。

前回700g引けても体重に変化がないのに、
たった、100g踏み込むだけ。
これこそ、誤差範囲ではないか!



腎内の先生
「血圧の変化はありませんね。
 来週も引いて行きましょう」という。

「明日、退院します」

「え。。今日がここでの最後の透析ってこと?
 もう帰っちゃうの?」

「はい。お世話になりました」

「向こうの先生に、もう少し引くように
 お手紙に書いておきますね」


朝の申し送りの時点では
退院の話は出ていなかったので
血液浄化センターには退院の話は伝わっていなかった。

それに、腎内の先生にも
「SLEだから、傷の治りが悪かったり、
 術後、SLEが悪化したりして
 経過観察に入院が長引くだろう」との
思いがあったと思う。


へへへ。期待を裏切ってごめんね


先生がお手紙を書いてくれなくても
独断で体重を落とすから心配しないでねと思う。




血液浄化センターの看護師さんに
「たまには遊びにおいで」といわれる。

確かに、会話が成立する患者は私ぐらいだろう。
いじり甲斐があったかも。
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術後八日目 その1

2012-12-19 10:57:23 | 腎臓がん

朝の回診前に、N先生のチェックがあった。

「傷口見せて」とシールをはがす。
傷口をおさて、浸出液が出てくるか確認して、
小さなテープに替えてくれた。


そして、珍しく座っていう。


「病理の結果が出た。
 腎臓がんでも一番多い淡明細胞癌だ。
 悪性度は中程度。
 リンパ節や周囲の組織に浸潤はなかった。
 転移していないか調べるために
 三か月に一度、CTを撮ることになる」



計画表では病理の結果は明日出る予定だった。


ガンを取ればいいというものでなく、
3月に一度もフォローをするんだ。。と
あまりに短い周期でのフォローにショックを感じる。
本当に中程度の悪性度なのかと疑いを持つ。

副腎は残せたという。




「僕の外来は金曜日だけれど、
 透析って何曜日だったけ?
 来れるかな?」

主治医、変更決定!!!

「じゃあ、診察受けてから透析だね。
 あす以降ならいつでも退院していいよ。
 いつにする?」

「明日帰ります。」




計画書では、10日目に退院の説明で
それ以降に退院だった。

土日に退院が決まったら、
病院間の連絡が滞ることを想定して
月曜日に透析をしてから帰ろうと思っていた。

金曜日のこの早い時間に退院が決まれば
病院間の連絡もスムーズに行く。

だったら、明日出るしかない。
それに眠れないからなおさら帰りたい。


前倒しで9日目の退院。
すごい!!!!
傷口の治りが悪い私にとって。


       




清拭しましょうと看護師さんがきたけれど、
「あとでシャワー浴びますから」とお断りする。

すると、別の看護師さんがきて
「今日、透析だよね。
 体を拭きましょう」と来る。
再度断る。


またまた別の看護師さんがきた。
「透析後、お風呂入る気?」
と聞かれる。


ようやく彼女らが何をいいたか悟る私。

禁断の透析後のお風呂ということに。

でも、あえて自己主張。
「はいる

「こうやって、腕上げて?」

「うん」

「まかせるわ。。。。


透析後の体調不良で転倒などの事件は起きないことを
信じてもらえたようだ。
いや単なる「自己責任」を明確にしただけかも。。。
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術後七日目 その2

2012-12-19 10:56:32 | 腎臓がん

病室へ戻るときに
着替えの入った風呂敷で傷口を押えて歩く。

きっとお風呂場へ行くときもこうやって
押えていたから、痛くなかったんだろう。

だから、他の人は腹帯で傷口を押えることに
納得した。



午後の検温で、看護師さんに傷口は痛むかと聞かれる。

「お肉が揺れると痛いけれど普段は大丈夫。
 傷口を押えればなんともないし。」
と答える。

「細いのにどこにお肉があるの?」といわれる。


その後、売店にお買い物に行くところを
目撃されるが、
私が左腕で傷を押えて歩くのをみて
納得する看護師様。



おひるごはん

オムライス、いも
カリフラワーマリネ、ささみ
アイスパイン、
オレンジゼリー

熱:682Kcal、蛋白24.6g、塩:2.0g

卵の上のケチャップはいいから、
ご飯のケチャップを増やしてほしい。。。。
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術後七日目 その1

2012-12-19 10:56:05 | 腎臓がん

回診で
「N先生が綺麗に縫ってくれたよ。
 傷のなおりがわるいんだって?
 どんなことがあったの?」

と聞かれる。

ホント。。。ありすぎて。。。


「傷口見る?」と聞かれたが
辞退する。


傷口はガーゼから、シールになった。

「腹帯はしなくてもいいけれど、
 している人が多いんだよな」

なぜ、みんながしたがるかわからなかった。
でも、くびれていない私の腹周りでも
傷口に腹帯が当たらず、
ブラジャーとまではいかないけれど、
胃の周りに腹帯が行っていることは常にあり。
背中がごろごろするので腹帯は外した。




その後、看護師さんが清拭のタオルをもってきた。

「回診終わった?どうなった?」
と聞かれる。

「シールに替わったよ」と見せる。

「それって防水シールなんだわ。
 シャワー浴びれるはず。
 聞いてきてあげるわ」


計画書では
シャワーは8日目。
この傷が治りにくい私が前倒し?????




シャワーはOKとなった。


早速、お風呂の予約を取る。







お風呂場で傷を見る。

なにが綺麗に縫った?
ギャザーありのタックありではないか!!!!

と思う。。     

ただ、細かく縫っただけを「綺麗に」というだけかも。
確かに細かく縫っていただくのは必須ですが。



頭を洗う。
ごしごしと洗うため、体を揺らすと
傷がいたい!


振動でお腹のお肉がゆらゆらすると痛いのだ。



体を軽く洗う。
お肉をゆらさないように。



シャワーで温まる間もなく、
着替えて髪を乾かすと、
お風呂場の使用時間30分はあっという間にきてしまった。
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術後六日目その2

2012-12-19 10:54:47 | 腎臓がん

透析が終わって、病棟に帰って
遅い昼食を食べる。



本を読んでいると母がきた。

雑談。



めずらしい時間に執刀医のN先生がきた。
「傷口みせて」

母は「外へでましょうか」と出ようとする。

先生は「みてもいいですよ」という。

母「みます」

私だってみていないのに、
(頭を上げて見れるほど、
 腹筋に力をいれることが
 できないこともある)
怖いもの知らず!!!!!!!!!!!!!!


先生は丁寧に、「この傷は何で」と説明していた。。。。。。
(後で思うとうらやましい。。。。)




その後、売店に行っておやつを調達した。
血液浄化センターで
「ごはんが足りない」と訴えても、
却下の気配だったので

ヨーグルトとキャラメル

採血は今日がラストだから、
このあと高リンになってもばれない。
でもなおかつ口が乾きにくいもので選んだ。



傷の方は、普段は痛くない。
せきとかくしゃみをするために
腹筋を使おうとすると痛い。

痛みのため、せきもくしゃみも止まってしまう。

せきの場合、すっきりしないので
ずっと浅いせきをごほごほやっている。。。。

このせきって、まさか肺の水の影響だったりして。。。 
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術後六日目 その1

2012-12-16 18:44:26 | 腎臓がん

今日は透析前に胸のレントゲンと採血がある。


「レントゲン呼ばれたけれどいける?」
と聞かれる。

「回診まだきてないよ」

「回診終わったらいってね。
 ひとりで行ける?場所わかる?」

「わかる。
 行って『お願いします』とリストバンドを
 見せればいいんでしょう?」

「そうそう」


私ってなんて手のかからない患者なんだろう




胸のレントゲンを取りに行く。

「ブラなど金具のあるものを身につけていますか?」
「いいえ」
「レントゲンの前に立って、 、
 パジャマのボタンを全部はずして
 胸を開いてください。」

そんな方法で撮れるんだ。
びっくり。





血液浄化センターへ行く。

増えは1.4kg。
透析中に食事ができない分増えている。

水分は300mlぐらいしか摂っていない。


けれどむくみっぽいし、血圧も高いので
基礎体重よりも水を引きたいとお願いをする。

しかし、
却下

先生の指示がないとできないとか。     


「摘出した腎臓分は引かないと」といいつつ、
これも先生の指示がないとできないとか。



透析が始まって腎臓内科の先生が来た。
「どうですか?」

「むくみっぽいし、血圧も高いです」

足を触って
「そんなにむくんでいるように見えないけれど」

一日足をあげて生活しているから
むくみは足にたまらない。
この重い顔を評価してほしい

と思う。


しかし、しばらくして先生は戻ってきた。
「今日のレントゲンで肺に水が
 たまりつつあることがわかりました」

という。

肺に水?
透析導入時は肺や心臓に水が溜っていたらしいけれど
それ以来、そんなことはない。
かなりの勢いで水をひかねば



「手術すると体力が消耗して、
 3kgから4kgやせるもんなんですよ。
 そして安静にしているから筋肉量も落ちて。
 じゃあ。今日300g、次回300gおとしましょうか」
という。

3kgも4kgもやせているのに
300gってのんきなことを。

今日は除水量も少ないし、
血圧も低いから一気にかけるべき。


「300gじゃなくて500gにしませんか」と提案。
しばらく押し問答の末、500gに決定



それから一時間ぐらいして先生が来た。
「血圧さがりましたね」とうれしそうな顔。

自称、うたたねしていたから一時的に下がっただけと思う。



その後、お尻がいたいのなんのって。

ベットは平ベット。
横を向くにも、左手は透析中で動かせない。
右手は肩が不調だし、肘も腫れていて、
まがらないし、力をいれることができない。
横も向けない。
もし、横を向けても手術の跡もお腹の中も痛い。
(夜がそうなのだ)
耐える。    

床ずれができそう。。。。。

筋肉はあっという間に落ちるものもの。
お尻に肉布団は大切です。


透析終了間際、また先生が来た。
「血圧下がっていない。。」と落胆して帰って行った。

500gおとしただけで変化なんてしないと思う。
今なら1kg落として血圧が変化するかしないかの次元だと思うけれど。
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術後五日目

2012-12-16 13:43:24 | 腎臓がん


気分はブラック。       

日曜日にメニュー調査があった。
火曜日・水曜日のメニューを選ぶというもの。
希望を出さないとA食になる。

朝はパン食(B食)を希望

でも、昨日、透析食になってしまった。
透析食に選択食があるはずもない。
たとえ選択食があっても、
昨日の今日だから、
以前出した普通食の希望に準じて食事を出してくれるはずもない。

よって気分はブラック。
       



出てきた朝食は。

パン食(B食)



ヨーグルトもジャムもついて感動
ブラック脱出。


無塩パン2個 マービージャム
もやしそぼろソテー、 スープ(カリフラワー)、
くだもの、ヨーグルト。

熱:418Kcal、蛋白:13.5g、塩:1.4g




清拭をしてもらうと
今日はすることがない。

暇、読書する。




11時ごろ、妹が来る。

退院後のランチ計画をひたすら練る私。



そこへ昼食が来た。

なんと煮込みハンバーグ
透析食でも煮込みハンバーグが出るのだ。

ただし、淡白調整のビスコ付き

透析食でも淡白調整おかしがつくことに感心する。

昔は、透析前の腎不全食で
ポテトチップスとかキャンディーが食事についてきて
それでカロリーを摂ったものだった。
時代は変わったなと思った。

(興奮のあまり写真を撮りませんでした。
 食欲が強かった)





夕食後。。

なんかひもじい。。。。


メニュー票に書いてあるカロリー数を計算する。

常食2000カロリーに対して
透析食1800カロリー。

普段なら1800カロリーで足りるけれど
手術後で栄養がほしい時。
ご飯がたりないよ!!!!!!!!!!
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術後四日目 その2

2012-12-15 23:46:08 | 腎臓がん

透析が終わり、病棟に帰り、昼食を食べた後。

「水分制限について聞いた?」ときかれる。

聞いてない。


そして、マグネット付きパウチの貼りもの登場。
水分制限800ml/一日

「食事のお茶が一回100ml。
 だから、食事のお茶3回分とペットボトル一本分が
 一日の摂っていい水分ね」


だれが800mlも飲む???
昔の透析って500mlだった。
だから楽勝。
この差はなに???と思う。



同じくして、体重管理も始まった。
(兼水管理ということ)




夕食から食事は透析食になると思い
かなり落ち込む。
明日の昼食の常食は煮込みハンバーグだった。   

ハンバーグが消えていった。。。。。。。。。。。。。
       


早く退院して、自分の病院でしっかり除水して
ランチにいっぱいいって早く太ろうと思った。




その後、
「今日は頭を洗う日だけれど
 透析後だから、またにする?
 今後は透析日を外して設定するね」
といわれる。

大丈夫ですと答える。

で、浴室の予約を取りに行ったら
今が空いているという。

「透析後すぐだから、体がきついでしょう。
 夕方にしようか」

大丈夫ですと答える。


透析に関する先入観ありすぎじゃない???





当然、夕食は透析食だった。。。。。

ミートローフ産まれて初めて食べた。。



ご飯130g ミートローフ 70g
金平ポテト  アイスパイン

熱:669Kcal、蛋白:21.5g 塩1.9g


とりあえず、「おもいっきり治療食」的
貧しいメニューは回避されたのでよしとするか。。。
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術後四日目 その1

2012-12-15 21:35:21 | 腎臓がん

完全な水豚。
朝ご飯が入っていかない。

何年振りだろう。
水豚でご飯が食べられないなんて。。。



回診の時、執刀医のN先生が
主任部長先生に対して
「小さいから出すのはどうかと
 迷ったんですけど。。
 出したらその形態をしっかりしていたんですよ。
 だから出してよかったんですよ」
といいわけっぽくいいながら入ってきた。


手術後の説明でも
「出してよかったよかった」と
喜んでいたというから
手術することに迷いがあったのか。。。

でも、手術すると決めたのは
戦線離脱のK先生。
前日に押し付けられて責められるなんてかわいそう。。。




血液浄化センターまでは歩いて行った。

歩いて行くと
一人で歩いてきたの?すごい
ちょっと傷口を押えながらうつむき加減なら
充分は早歩きできる。

常識を覆す女と呼んでおくれ!


しかし、水は3.4kgの増え。

この病院は最高3000g+返血の生食300mlしか
除水をかけてくれない。。
(もっとも食事分は除水に入らない)

血圧も高いしむくみもあるから、
もっとかけたほしいと思う。


「点滴していたから仕方ないよね」といわれる。


しかし。。。


「点滴なんて土曜日の朝におわっているじゃない。
 常食食べたから増えたんでしょう」と指摘される。
「あら。ばれた?
 佃煮やお味噌汁をよけたんだけれど」といいわけ。
「それでも塩分は多いんです」といわれる。

流動食の牛乳がまずかった。。。。

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術後三日目

2012-12-15 16:02:00 | 腎臓がん

術後三日目。

日曜日なのに計画通り、採血があった。



入院計画書ではドレーンを抜く日。

昨夜からべちゃ漏れ。。。

それでもドレーンを抜いてくれた。


先生に
「歩いている?見ないけれど。」
といわれる。

「歩いています」とはったりをいう

でも、朝夕の顔作りは
時間をかけてやっておりますけれど。。
体の都合により、トイレもマメに行っておりますけれど。
       



このころから右肩が抜けそうな感じがあった。
起き上がるとき、
ベットの柵を持つんだけれど、
右腕に力が入らない。
左腕を使うと、傷が痛い。。  

どこかで
「右のおしりが真っ赤になったので
 シールを貼りました」
という報告が聞こえた。

清拭の時に
「おしりにシールはなあに?」と
聞いてみた。
手術の時に横に向けて
お尻が赤くなったから貼ったものだと思うとのこと。

モーラステープLを思われる。

だから、同じく右肩も
下になりひねったということか。。。。



動脈の抜針の後は
あざは手首から脇まで
真っ黒なあざが広がった。

それだけでなく、
筋がつっぱって腕を伸ばしたり曲げたりが
日に日に困難になっていった。

それだけでなく、トイレで踏ん張っても
腕の筋が痛いのだ。   
(当然、おなかの傷も痛くて踏ん張れない)

血圧は足で計っていた。



夕方から、下痢しそうな感覚があった。
トイレにあわてて駆け込む。

ガスが出る。しかし実は出ない。

これが5分おきに2時間以上も続いた。

ドレーンを抜いたことで、
腸が刺激刺激されたのか。
これがうわさの腸閉塞かと一瞬焦る。

でも、寝る頃のは何事もなかったように
治った。




水が溜ってきて
足もパンパン。

足で血圧を測ると
腕よりも高めに出る。
どのくらい水が溜っているかも
見当がつかない。

血圧が高いためか、眠れない。

頭を上げたまま寝ても
一時間ほど寝ると眼が覚めてしまう。

あとは座って時間が過ぎるのを待つ。
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術後二日目

2012-12-14 16:10:33 | 腎臓がん


週末であっても回診も清拭も掃除もあった。
入浴可であれば、土日であろうとも
入浴もできるという。
しっかりした病院だなと思う。



清拭をしてもらいながら
「K先生ってどうされたんですか?」
と看護師さんに聞いてみる。

「最近、姿を見ないと思ったら、
 子供の運動会で張り切って
 足をけがしちゃったんだわ。
 救急車に乗らずに
 うちの救急外来にきたみたいだけれど。
 昨日、車いすで移動しているのを見たから、
 外来はしているでしょう」
とのこと。

10月から先生が一人減って
大変なところに、
一人立てないから手術も回診もできないというのが
出てしまい、
先生達のスケジュールはすごいことになっているという。。。

確かに、回診に来る先生は二人だけ。
執刀医のN先生は、回診と別に顔を朝夕見せてくれるけれど、
外来のほかはずーっと手術室にこもっているらしい。。。
お疲れ様です。



回診で、ガスでた?と聞かれる。
当然聞かれること。

「まだですが、食事をしてもいいんですか?」
と聞いてしまう。
「おなかが充分動いているから
 ガスが出ていなくても食べていいよ。
 そのうちに出るでしょう」と。

医学は進歩したと思った。
ガスが出なくて食事の開始が遅れて
退院が遅れるということはないようだ。



看護師さんが、次の透析まで時間があるので、
点滴のオーダーをキャンセルしてはと
上申してくれた。

流動食+毎日1000mlも
水分をいれたら水豚じゃ。。


点滴がすべておちたら
針を抜いてもらえた。


痛み止めの缶は
一度看護師さんが
「痛いでしょう?」と気をつかってくれて
ワンショットしただけで
あとは自動に流れる分だけ使った。




ここの病院は、
点滴を交換するときは、
看護師さんの名札のバーコードを読み取った後、
点滴についているバーコードを読み取る。
これでいつだれが点滴を交換したかが
記録に残る。

何事も適宜パソコンに入力していく。

回診の記録も当然いれていく。

私たちの質問に対しても
看護師さんはパソコンをみながら答える。

しっかりしている。。
でも、年配の看護師さんには
パソコン操作がつらいだろうなとも思う。




夜から5分がゆになった。





この時点までは、
ドレーンから、滲出液は出なかった。



夕食後。。なんか下着が冷やっこい。。
腹帯を見る。
汚れている。

看護師さんを呼ぶ。

ガーゼ交換をしてもらい、
下着まで全部着替える。


真夜中もガーゼ交換してもらった。



明日はドレーンを抜く日。。。。。
抜いてもらえるか。。。。。。。。
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術後一日目 その2

2012-12-13 15:25:15 | 腎臓がん

透析から病棟に帰ると
部屋は個室から4人部屋に替わっていた。
家具ごと入れ替えるのだ。
ご本人様も家族もいないうちにお引越し完了。。。


しばらくして妹がきてくれる。
ここで母の危ない運転が話題に。
「ひとりで来させるのまずくない?」
という話になった。
しかし、だれがそれを言い出すかが決まらず。
きっと憤慨するのが目に見えているから。




看護師さんがきて
「歩いてみましょうか?
 透析後だから止めますか?」と聞かれる。

「歩かせていただきます
と答える。


しかし。。これが困難で、
お腹から出ているドレーンパックを
点滴台にひっかけて
点滴台を引きずる。
まだ、尿道カテーテルが入っていない分
楽だったかもしれないけれど、
左手は傷口押えて、よたよたと。。。


歩けたことになり、
血栓防止のストッキングを脱がしてもらうことに。

看護師さんに脱がしてもらう。

これでトイレにいってことになる。

しかし、くれるはずのストッキングをもっていってしまう。
洗ってくれるのかなと思いつつ、
追及しなかった。
(結局、もどってこなかった。。。



トイレに行くがこれが、すごい困難。
トイレは各部屋についていて、
車いすで入ることも前提としていてとても広い。
距離的にも作業空間的にも問題はなかった。

点滴は限りなく右手手首に近いところに入っている。
点滴ラインは、点滴3本+痛み止めの缶の接続のため、
ラインがすごく重い。

それに右腕は抜針のトラブルで腫れていて曲がらない。

それでもって、和式寝まき。。
左からは、ドレーンが出ているし。。
裾をまくるのも大変。

腹帯はしているし、
生理用のナプキンは、紙パンツ(おむつというべきか)で
固定されていて。。
そんななれていないものを上げ下ろしするのはもう大変。

。。
うまく紙パンツからナプキンが外れない。
右手もうまく動かないし。。{
/ase/} 

看護師さんに手当てしてもらった時は
まだまだ生理は軽く。。。

重いから自分でやりたいじゃなくて、
重いからこそ、自分の身体がうまく動かないから
人にやってもらいたいと初めて思った。

タイミングが悪い私。。    




また、看護師さんがきたので、
「パジャマに替えてもいいですよね」
とパジャマを着させてもらう。

点滴ラインにパジャマを通す時に
床で思いっきりパジャマを引きずったのが気になる。
しかし、自分でできないので
じっとがまん。。。



ガスが出ていないのに
夕飯として流動食が出てきた

いいのかなと思いつつ飲んだ




そして、各部屋には洗面台もついていた。
洗面台の前に丸椅子がおいてあったので、
その椅子に座って
洗顔、歯磨きを済ます。
ちゃっかり、念入りに化粧水・乳液・美容クリームまで
塗っちゃったりして。。

ホント、いい病院だと思った。
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術後一日目 その1

2012-12-13 09:23:04 | 腎臓がん

声をかけられると眼を開ける。
物音がすると眼を開ける。
そんな感じの一日だった。


朝、回診があって
ガーゼ交換をしてもらう。


その後、体を拭いてもらう。
横を向いたときに初めて傷が痛いことに
気がついた。

本当に仰向けに寝ていると
痛くないのだ。



ポータブルレントゲンがきて
胸とお腹の写真を撮る。



点滴の針を抜いてもらう。
無意識に押えようとしたら
「圧迫止血をしているので
 押さえなくてもいいですよ」

といわれた。


あと、透析後に部屋を替わることもいわれた。


また眠りと覚醒を行ったり来たりきたり。




ベッドのまま血液浄化センターに運ばれる。

初めて釣らされて体重を計った。

確か体重はほとんど増えていなかった。
「手術後だから、今日は除水はなしね」
といわれた。


眠りと覚醒を行ったり来たりしていても
「テレビ見ます」といって、
イヤホンをテレビに刺してもらう。

手術前から、透析グッズを袋にいれておいたので、
透析に行くときに
「その袋持っていきます」といって
ベッドに乗せてもらった。
よって、イヤホンも持ってきたのだった。

当然、「しっかりしているわね」と
驚かれた。



看護師が血圧を測ろうとして、右腕をみて
「腫れてる。
 止血しなかったの?」

と聞かれる。
朝の点滴を抜いたあとが腫れていたのだ。

私は頭を上げられないので状況はみていない。
「圧迫止血してあるから押さえなくてもいいといわれた」
と答える。

周りで病棟に帰して再度止血してもらうかとは
話し合いがあった。
でも、もうこちらにきているからと
棒のようなもので押えて止血をしてもらうことに。

途中、抜いた看護師さんが顔を見せに来たのを
覚えている。


実際、抜いたのは動脈に刺してあった針で、
抜いた後、看護師が10分押え、
その後10分たったら腫れていないか確認して
止血が完了という手順だった。


完全な手抜き!!!

私が悪いわけではなかった。


テレビは見ているような見ていないような
そんな意識状態だった。


透析後、右腕を見たらあざにはなっていなかったけれど、
しっかり肘の内側がもりあがっていた。。。。
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手術 後日談

2012-12-12 16:20:45 | 腎臓がん


あとから母と妹から聞いた話。

看護師さんから
手術は14時から15時ぐらいに終わると
聞いていた。


ところが、
NHKの朝の連ドラの再放送を見ていたら
「手術がおわりましたよ」といわれる。
つまり13時前。

「早い」
とびっくりする。




看護師さんにつれられて手術室ちかくの部屋に入る。



先生がきて
取りだした腎臓を見せてくれた


紫の腎臓に対して、明らかに異物と思える黄色い塊があった。

その黄色い塊を差しながら
「これがガンです。出してよかった。よかった」と
先生は喜んでいたという。



腎臓は割ってあったのか、
ソラマメの形はしていなかった。

ただ、空気の袋(のう胞のこと)がたくさんあって
円もあれば楕円形もあり、いろいろな大きさがあったという。


あと、腎臓のまわりにホルモンのような白いものがついていた。
けれど、これはなに?と聞く余裕はなかったという。

でも、感覚は食材を見るノリじゃないか。。
私は無理。。。
料理人じゃないから。。。




もちろん、
ご本人様は、
現物はおろか、
写真も見せてもらっておりません。





部屋から出るとすぐに
私が手術室から出てきた。


「ご家族がみえていますよ」の声かけに
眼を開けて探そうとしたそうだ。
結局、眼は開けれなったそうだ。



その後、
「喉が渇いた」
としっかり自己主張。

「今日はうがいだけね」とたしなめられて
「はい」と答えたとか。


後は、暑い暑いの連呼。

とにかく、声かけに対しては
眼を開けなくてもしっかりはっきりと
答えていたとか。。。。。。。。。


手術室で名前を呼ばれて眼をあけたかも
覚えていないので、
当然、このやりとりは覚えておりません。



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手術 その3

2012-12-12 10:08:10 | 腎臓がん


急に耳が聞こえるようになってきた。
眼を開けなくてはいけないのかなと思う。


次に思ったことは
「暑い」ということ。
暑い暑いを連呼していた。



目を開けるといつの間にか病室に戻っていた。
母と妹が話している。
「一度帰ってまた来るわ」とか。


看護師さんが来る。
「傷見せて。
 痛い?
 ナプキン替えようか?
 みせて。」
と声をかけられる。


妹が帰ってきて家でのチビ(姪)が何していたか
と母に報告していた。


「また、来るね」と帰る母と妹。



意識がもうろうとしている。



いつのころからか
声をかけられると眼を開けなくても
しっかり答えるようになっていた。

しかし、答えた記憶はない。

本人は自覚していなくても、
しっかり答えていたと母と妹。。


こういうときの誘導尋問ってこわい。。
無意識にやばいことをしゃべったりして。。。。



看護師は一時間ごとにチェックにきた。

午前2時。
「データがいいから」と
酸素マスクを外してもらった。


不思議と傷は痛くなかった。
違和感もなかった。
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