振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

カメもコガモも日向ぼっこ

2016-11-12 09:15:27 | 日記
私のいつもの散歩コースにある古川沿いで見る光景です。



この日は風もない好天で朝は冷え込んでいたものの10時過ぎると日差しの当たる場所は暖かく感じるようになりました。

コガモたちは水から上がって砂地に並んで日差しを浴びています。

カメたちはコンクリートの河岸に上がって甲羅干しをしていました。


このあたりの古川は2年前の冬に河川改修の工事があり両岸が削りとられていたのでその年の冬はコガモたちがどこかに行っていました。以前はヌートリアを見ることがありましたが工事の後は見ていません。

コガモたちに続いてユリカモメも間もなくすれば飛来してくるのでは思っています。


りりィ死去、私も泣いています

2016-11-11 17:03:59 | 日記
私と同年齢で誕生日が2日違うだけの彼女。

デビューした頃のLPアルバムを2枚持っています。でもレコードプレイヤーを持たないためLPは棚にしまい込まれたままです。



昨年くらいにBSの歌番組に出演していたので録画してDVDで保存しています。久し振りに歌を聴いて私も大学生の頃を思い出していました。住み込んでいたアルバイト先の3階の部屋でバイト代を貯めて買ったステレオまでまぶたに浮かんできます。

その後カラオケに行った際に1度歌いました。これからも機会があればまた歌うでしょう。

それにしても早すぎますよネ。亡くなられた訳はわかりませんがご冥福をお祈りいたします。合掌。

ダナーブーツの修理完了

2016-11-11 15:54:20 | 日記
竜王アウトレットにあるダナーのお店にブーツのソールの張替を依頼していましたが、その作業が完了して工房から店舗に配送されましたとの電話連絡がありました。

依頼してから約4週間になりますが、依頼後4~5日した頃に見積もり金額の連絡ももらっていました。ソールの形態をビブラムから変更したので「カスタム」という作業になり、ソールだけでなく中底も交換になりました。




そのため当初予想の価格より3割高くなりましたが仕上がりは満足のゆくものになりました。

滋賀県のゴルフ場でラウンドした帰り道に竜王に寄って持ち帰りました。

越前海岸、福井、長浜へツーリング

2016-11-04 10:56:17 | 日記
バイク仲間4台が湖西道路の妹子道の駅に集合。10月末ともなると自宅出発が7時前は寒くて辛い。それでも快晴なので陽が昇るににつれてマシになってきた。

目的地を福井としてルートは湖西道路を北上して敦賀、越前海岸道路経由と決めて道の駅を出発。10年前くらいまでは有料道路だった湖西道路も今は無料で、高島あたりまでは信号もなくて走りやすい。

国境を越えてから8号線に合流すると敦賀市内を迂回するバイパスも整備されたのでアッと言う間に敦賀湾の赤崎まで出てしまった。ここは20年前くらいに船外機付きゴムボートを車に積載してよくキス釣りに来ていた場所だ。

江良を過ぎて五幡の海岸が見えてきた。ここにも釣りに来ていた時、砂浜でスタックしたワゴン車を私のパジェロで引っ張り出したことがありました。

杉津から8号線を離れて越前・河野しおかぜラインを走行。この道路も昔は有料でしたね。快晴の中、海をながめながら5~60kmで走行するのは大変気持ちのよいものです。

このあと海岸を離れて鯖江まで出て福井へ。


福井での昼食は有名なB級ぐるめ「ソースカツ」を食べにヨーロッパ軒の本店に。定番のソースカツ丼を食べましたが甘辛いソースに漬けた豚肉をフライにしたもので、久し振り(3年ぶり?)に食べると美味しいですね。メニューの裏側に店舗一覧がありましたがヨーロッパ軒は福井市内だけで11店、県内では20店くらいあるのですね。

昼食のあとはマックに入り、100円コーヒーだけで1時間近くのおしゃべり。バイクツーリングは走行中に会話がないので休憩中のおしゃべりコミュニケーションは大切です。

帰路は365号線を経て北国街道から木之元に出ましたが、そこで私だけが離脱して湖岸道路から長浜へ。今晩は長浜ロイヤルホテルで会社時代の同期入社仲間11人で同期会です。ここ数年はこの時期に長浜でやるのが恒例となりました。但しホテル内の宴会は高くつくので市内の料理屋で宴会をしてからホテル内の部屋で持ち込みの2次会です。



画像は翌朝のホテルの部屋からの北方と琵琶湖の風景です。

京都美山の藁葺集落と柿の木

2016-11-01 20:30:53 | 日記
京都市内から車で1時間少々の丹南市美山町の茅葺(かやぶき)の集落まで出掛けました。30年位前に初めて行った場所ですが、その後も何度か行っています。



紅葉が始まっていないかと期待したのですが、やはり早すぎてモミジは全くの緑で、イチョウその他の黄葉が楽しめる程度でした。



集落以外の場所を含めてススキだけは銀色に輝いて目を楽しませてくれました。

茅葺集落を維持するためには相当のコストも必要と思われ補助金の支給もあるのでしょうが、それにも増して屋根を葺く技術の伝承は大変だと想像します。全国にも白川郷など各地でで同様の文化が伝承されていますが同じ悩みがあるのではないでしょうか。

初めて美山に来た30年前に比べて、瓦などに切り替えた家屋が増えているように思えました。実際に住んでいる方にとっても藁葺家屋より現代家屋の方が住みやすいに決まっていますよね。ただ、瓦葺に変えても家屋の全体形状は違和感を出さないように苦心されているのもよくわかりました。

こんな風景がずっと見られるのはありがたいですが、住民の方のご苦労も理解しないといけませんね。

私の生家はやはり田舎にあった藁葺家屋でした。私が10歳の時に火災で焼失しましたが、あっという間に燃え落ちてしまいました。隣家がもう1軒類焼しましたが、幸いけが人はありませんでした。父は公務員だったので1ヵ月後には官舎に引っ越すことができましたが、焼けた家は古くて雨漏りもあり、台風が来るたびにドキドキしていましたので引っ越せてホッとした記憶があります。

最近、あちらこちらで見る柿の木は秋になっても誰も果実を採らないためか、鈴なりに果実がなったままになっています。私の生家にも2本の柿の木がありましたがおやつがわりによく食べていました。

ここ美山で見た柿の木は適当に果実を採取しているようで、鈴なりの木は見かけませんでした。秋の景色としてはこちらの柿の木が似合いますね。