“ぶらぶら歩くという意味”の「さるく」という方言、
こないだおじゃました長崎だけではなく
佐賀・福岡南部・宮崎・熊本・鹿児島で使われているのですね。
福岡市内は使いません。大分も使いません。
おもしろい分布です!
で~、土・日(12~13日)で~、熊本を「さるいて」来ましたよ~。
『熊本さるく日程』
11月12日 夜の熊本城
11月13日 熊本市街
(さるくとは、ぶらぶら歩くという熊本弁です。)
レポは、
その
≪熊本城編≫・・今日です。
その2 ≪町並み編≫
その3 ≪グルメ編≫
・・へと、続きます。
その3まで、どうぞおつきあいくださいね~。
熊本城は、名古屋城、大阪城と並んで
日本三名城のひとつです。
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・・中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。
「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある
熊本城に着いたのは夕方5時。
ガイドさんの説明を受けながら、城内を「さるき」ました。
はい。ICレコーダー大活躍です。
画像は、夕間暮れから、夜のとばりが降りるまで
変化していきますよ~。だんだん、暗~くなっていきます~。どうぞ。
≪飯田丸五階櫓≫
熊本城は、本丸と出丸の間に水堀(備前堀)、さらに出丸と二の丸、二の丸と藤崎八幡宮の間には空堀をもうけるなど防衛策を凝らしています。
≪飯田丸五階櫓≫がきれいにさかさに見えるこの堀は唯一水を蓄えた備前堀です。
≪長塀≫ 国指定重要文化財
長い長い!全長242メートル!
夕方で、よく見えなかったのですよ。パノラマで写したかったです。
熊本城は、何度かおじゃましたことがありますが、
夜の熊本城は、はじめてです。
≪宇土櫓≫ 国指定重要文化財
創建当初から残る唯一の多層櫓です。
石垣!すごい!ですよね~。
始め緩やかな勾配のものが上部に行くにしたがって垂直に近くなる「武者返し」と呼ばれる形状です。
≪石落とし≫
穴~見えますか~
ここから、敵に石~落としてやっつけるんですって~。
≪大小天守閣≫
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・・大天守閣は、地上6階地下1階。石垣の上から高さ30メートル。
小天守閣は、地上4階地下1階。高さ19メートル。
石垣の傾斜が少し違います。
熊本城の石垣は全て「打ち込みハギ」という工法で積まれています。
後年建てられた小天守閣は、長方体の石の長辺と短辺を交互に組み合わせることにより、
より急な角度を出すことができる「算木積み(さんぎづみ)」という工法が開発されたもので、傾斜が急になっています。
≪熊本の夜景≫
大天守閣~6階まで登りましたよ~!ふぅ!
西の方です。
≪大天守閣≫
≪本丸御殿≫
まあ~うっとり。豪華!豪華!
大広間にはたくさんの部屋がありましたが、なかでも一番格式の高い部屋が「昭君の間(しょうくんのま)」と呼ばれるこの部屋です。
この部屋には、中国の漢の時代のお話で、胡の国に送られた絶世の美女、王昭君の物語が描かれていました。
≪その名も銀杏城≫
城内には、いちょうの木がたくさんです。
篭城戦になった時の食料確保のため、築城時に加藤清正がこのいちょうの木を植えたのだそうです。
「銀杏城」という名の由来です。
≪ライトアップ大小天守閣≫
≪加藤清正像≫
多くの武勇伝が語り継がれる加藤清正は、地元では「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれ、民衆の心に通じた領主でした。
広い~!大きい~!熊本城です。
町のどこからでも、見えます。
そびえ立つ。という感じ。
熊本の方は、
熊本城に見守られていらっしゃるのですね。
今回は、ライトアップされたお城を堪能させていただきましたよ。
ああ~、さるいた、さるいた。
コメントは一度 大切に保留する形をとらせていただいています。
・・私に届いています。
今日はこの辺で