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「と と と」
↑わかります?
すばらしい~博多弁なのですよ~。
「とっているの。」という意味なんです。
一文字目の「と」は、撮る、取る、採る、捕る、執る、獲る、録る・・なんでもあり。
たとえば、撮るの字をあてはめると
「写真 撮ってるの?」「うん。撮ってるよ。」が、
「写真 と と と?」「うん。と と と。」に、
なります。
先日、新聞にこんな記事が載っていました。
▼〈ガラスば わって/おごられた/くらくなるまで そうつきよって/おごられた〉。「おごられた」は叱られた、「そうつく」は歩き回ること。いろいろ叱られて〈おごられんひは なかなかなか〉。三つ目の「なか」は、ない、の意味
▼自分が生まれる前に亡くなった祖父と自分は誕生日が同じ。〈だけん/じいちゃん/もういっかい うまれて/あたしといっしょに いきとうと〉。「いきとうと」は標準語では「生きているの」
▼標準語という名の東京弁をテレビが列島中に毎日届ける現代は、とくに子どもたちから言葉の古里を奪っていく。これではいけないと感じた41歳の女性が童心に帰って方言で種々つぶやき、それが詩集になった
▼「博多っ娘(こ)詩集 いきるっちゃん」(石風社刊)。著者のうしじまひろこさんは勤めた学習塾などで子どもと接してきた。英語の「どこに行ってるの?」という文章を「どこ行きようと?」と方言で訳したとき、子どもたちはポカンとしたことがあったという
▼古里言葉は楽しいよ。そう伝えたい気持ちが詩集になった。親の世代も子どもたちにもっと方言を、とも思っている。〈うたうっちゃん/ルルルルルー/おどるっちゃん/ワン ツー スリー…〉。つくるっちゃん、たべるっちゃん、などと続いて〈いきるっちゃん〉。
=2012/01/06付 西日本新聞朝刊=
さっそく、『いきるっちゃん』を購入しました。
おごられた
ガラスば わって
おごられた
くらくなるまで そうつきよって
おごられた
かきのみ ちぎって
おごられた
よっちゃん なかして
おごられた
てつだい わすれて
おごられた
おごられんひは
なかなかなか
じいちゃん
あたしが うまれるまえに
てんごくにいった
じいちゃん
じいちゃんな
かたほうの あしが
なかったげな
たんこうの じこで
けがしたげな
じいちゃんと あたしの たんじょうび
おなじひやん
だけん
じいちゃん
もういっかい うまれて
あたしと いっしょに いきとうと
↑新聞に掲載された詩を、紹介させていただきました。
古里言葉は素晴らしい。
心癒され、なかなかよか。
関東で暮らす3人の息子は、いまだに
こてこての博多弁です。
で、関東生まれの2人のお嫁ちゃんは、どうやら
語尾に、「と」をつけると、博多弁になると、思っているらしい。
きゃは。ん~なわけ~、ないと。
今日はこの辺で
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